第2次世界大戦から冷戦を経て、ポスト冷戦へ:
・民主主義と全体主義
民主主義国と全体主義国(ドイツ、ソ連、イタリア等)との外交の行き違いについて。
ソ連は当初外交儀礼をまったく無視したために諸外国から警戒された。さらに、民主主義諸国の転覆を目的とするコミンテルンが、独立した組織を装って活動を続けたため、特に合衆国はソ連を交渉相手とみなさなかった。
ソ連の外交官チチェーリン、リトヴィノフ、モロトフらは硬直した命令に基づき民主主義諸国と交渉した。
西側諸国の対ソ不信は独ソの協同につながった。
著者は、ソ連外交が「すべてのブルジョア体制に対するイデオロギー的憎悪によって」動いていたと主張しているが、実際にはリアリズムに基づいていたことをキッシンジャーは指摘している。
ドイツはソ連とは逆に寛大な扱いを受けた。ネヴィル・チェンバレンは宥和政策を進めたが、政敵からは非難された。
――……宥和政策の根本的な欠陥は、独裁者の要求に譲歩することでその行動をなだめることができるという仮定にある、と指摘した。
著者は、ヒトラーがあらかじめポーランド侵攻に伴う対英仏開戦を準備していたとする立場をとる。これは、「英仏との戦争をヒトラーは予期していなかった」とするA.J.Pテイラーやフェストとは異なる。
・戦後の安全保障
ルーズヴェルトは、新しい国際システムを作ること、中央ヨーロッパをめぐる抗争を防ぐことを、どのように達成するかについて考えなければならなかった。
ルーズヴェルトによる「4人の警察官」構想はやがて国連に変化した。
その後、国連が多数の小国、新興国を抱えるにつれて、超大国の中には国連を批判するものも現れた(合衆国など)。
著者は、国連には確固たる実績があることを強調する……国際会議の場、外交チャンネル、ソ連のアフガン撤退、キプロス調停、その他。
・冷戦
米ソの相互不信が冷戦となる過程について。ルーズベルト時代、米国民は赤軍を対独戦の英雄とみなしていた。トルーマンは、国民に反共政策、対ソ政策を説得するため、誇張したキャンペーンを行った。
冷戦は、国際システムの条件……同意された目的、適切な構造、手続きを保持していただろうか。著者は、未発達ながら冷戦に規範が存在していたことを指摘する。
1962年のベルリン危機とキューバ危機について。フルシチョフの威嚇戦術を見破ったことで、米国は優位に立った。一方、双方とも最終戦争の危機を察したことで、軍備管理交渉を始めた。
しかし、合衆国の封じ込め政策はその後30年続いた。
ニクソンはイデオロギーに偏重した現状から、再びバランス・オブ・パワーに基づく封じ込め政策へとシステムを変えようと試みた。
ギャディスによれば、ニクソンは「やむをえずベトナム戦争から撤退しなければならないのだ、と思われずにベトナム戦争から撤退する道を」探った。
ニクソン時代とフォード時代、デタントが進み、ソ連との緊張は緩和したが、やがてデタントは国民の支持を得られなくなった。なぜならソ連を敵とみなす冷戦構造の方が、人びとには受け入れられやすいからである。
キッシンジャーの政策は、タカ派、ハト派双方から批判を受けるようになった。
レーガンは、悪の帝国ソ連と対決することで平和と核廃絶を達成できると信じていた政治家であり、結果的に、かれの政策は冷戦の終結につながった。
・冷戦後
湾岸戦争、ソマリア介入、ボスニア紛争、ルワンダ虐殺と、国際システムについて。
大国はどの程度国際紛争に介入しなければならないのか、どのように秩序を形成するべきなのかが、冷戦後の課題となった。
合衆国は元来、孤立主義的傾向が強く、ベトナム的な泥沼を回避しようとした。しかしキッシンジャーは、合衆国が海外に展開し、勢力均衡を維持することが必要ではないかと主張する。
英仏は、合衆国よりも軍事介入に対する世論のハードルが低い。ドイツは、湾岸戦争時には、ナチ時代の失敗から一切の介入に反対した。
ブトロス=ガリ元国連事務総長は、国連の役割は予防外交・平和創造・平和維持・平和構築であると考えた。
国家対国家の紛争ではなく、国内紛争、非国家主体による紛争に、どのように対処するかもまた焦点となる。
***
2 軍事力と外交
2部では、歴史上の事例を参考に、外交技術や戦術をいくつかに分類し検証する。
・歴史の教訓
湾岸戦争をめぐって、ブッシュがサダム・フセインとの交渉で犯した過ちを例に、4つの外交戦略を検証する。
1 無法国家を国際社会に復帰させること
方法としては、指導者の強制排除、圧力による政策変換、報奨・懲罰によるコントロールがある。ブッシュ大統領は、3番目を選択したが失敗した。
2 宥和政策
ミュンヘン会談の失敗が大きな印象を与えており、宥和政策の成功事例……1898年ファショダ事件、ブラントの東方政策についてはこれまで十分に検証されてこなかった。
3 再保障政策
敵対国や無法国家に対して、今後の友好関係を保障する政策。ブッシュ政権の再保障政策は効果がなく、フセインは侵略を思いとどまらなかった。
4 戦争終結(軍事目的と政治目的の統合)
湾岸戦争は軍事目的を完璧に達成したが、フセインの排除は達成できなかった。それは当初の政治目的でもなかった。
――要するに軍事的成功は、野心的な政治的戦争目的を達成するために必要な条件かもしれないが、軍事的成功が政治的目的を達成するのに十分であることはめったにないのである。
[つづく]
- 作者: ポール・ゴードンローレン,アレキサンダー・L.ジョージ,ゴードン・A.クレイグ,Paul Gordon Lauren,Alexander L. George,Gordon A. Craig,木村修三,滝田賢治,五味俊樹,高杉忠明,村田晃嗣
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