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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ヒトラー暗殺計画』グイド・クノップ その2

 マンシュタイン、ボック、ブッシュら高級将校たちには、謀反などという選択肢は存在しなかった。また、クルーゲはレジスタンスに共感はしたものの、積極的には動かなかった。

 

・首謀者と実行者たち……シュラーブレンドルフ、ゲルスドルフ、オルブリヒト、ベーゼラーガー、ブッシェ、ブライテンブーフ

 

 3

 クラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク大佐を中心とした1944.7.20の暗殺未遂事件について。

 かれは当初、ヒトラーの台頭とポーランド征服、フランス侵攻の成功に浮かれていた。しかし、ナチの政治テロや、東方での虐殺行為を知り、ヒトラーを殺さなくてはならないという強迫観念にとりつかれた。

 シュタウフェンベルクはヘルムート・フォン・モルトケら民間人の反ヒトラー勢力や、国防軍内のレジスタンスと連絡をとり、暗殺計画を立てた。

 

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 東プロイセン・ラステンブルクに「ヴォルフスシャンツェ」(総統本営)がある。

 7.20、シュタウフェンベルクは総統と軍高官の出席する作戦会議に参加し、机の下に爆弾を設置した後退席した。爆発は机の脚にさえぎられたため、数人の軍人や速記者を殺害したが、ヒトラーは無傷だった。

 レジスタンスは、「ヴァルキューレ作戦」を発動した。ヒトラー暗殺に併せてベルリンの需要拠点を占拠し、SSを制圧するというものである。

 しかし、ヒトラー暗殺失敗と、その他のミスによりクーデターは鎮圧された。

 

・SSを制圧するはずの保安大隊「大ドイツ」部隊長は親ナチのエルンスト・レーマーであり、ヒトラー直接の電話によってクーデター派を包囲した。

ヒトラー生存の報を受けて、クルーゲら多数の軍人が政権側に寝返った。

 シュタウフェンベルク、ベックらが集結していたベントラー街はSSに包囲され、かれらは捕えられ、フロムによってすぐに銃殺された。

 

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 逮捕されたレジスタンスは拷問されたのち、裁判にかけられ、屠殺用フックとピアノ線で絞首刑にされた。

 

 ――まず、シュラーブレンドルフは両手を後ろ手にしばられた。それから、突起のついたねじで指のつけねを締めあげられ、砕かれた。……身動き1つできないまま、彼は鉄の突起のついた管(スペインの長靴と呼ばれる拷問器具)に足をはさまれ、鉄の突起が肉にくいこむまで強く締めつけられた。……第3段階では伸長具で筋肉と腱を引き延ばされ、あまりの苦痛に彼が気を失うと……

 

 クーデタ関係者は、軍人も軍籍を剥奪され、ローラント・フライスラーによる名誉法廷にかけられた。

 フライスラーは法廷で被告を罵った。ヒトラーは気に入ったが、カルテンブルンナーやゲッベルスは、プロパガンダとしては逆効果だと不快感を示した。裁判映像は公開されず、裁判報道もすぐに停止された。

 ヒトラー暗殺失敗は、逆に世論をヒトラー支持に傾けた。

 

 ――戦争に負けたくないという絶望的かつ的外れな願望が、現実をみる目を閉ざしてしまった。多くのドイツ人が「最終勝利」の嘘にあいかわらずしがみつき、さんざん吹聴された「奇跡の兵器」に期待をかけた。

 

 ヒムラーは家族への連帯責任(ジッペンシャフト)を唱え、首謀者たちの妻、子供、親族を逮捕し、労働収容所や福祉施設に送った。

 戦後も、家族たちは裏切り者の親族として冷たく扱われた。なぜなら、終戦まで国民はヒトラーを支持し、また戦争後もレジスタンスの名誉は回復されていなかったからである。

 

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 フライスラー……ベルリン空襲のときに爆撃を受け死んだ。

 エルンスト・レーマー……ドイツ国防軍、戦後、ホロコースト否認論者、シリア軍事顧問等として活躍。

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 ――シュタウフェンベルクには師ゲオルゲという見習うべき模範がありました。師の行動倫理と新生ドイツへの希望に影響を受けた彼は、自分のもてる素質をすべて統合するものとして、軍人という職業を選んだのかもしれません。緻密な計画立案、人材の育成、責任感、公共奉仕といった素質です。

 

 ◆メモ

 "Nemesis of Power"は、より詳細に軍の反ヒトラー運動を検証している。

 

ドキュメントヒトラー暗殺計画

ドキュメントヒトラー暗殺計画

 
The Nemesis of Power: The German Army in Politics 1918-1945

The Nemesis of Power: The German Army in Politics 1918-1945