シリアに入国したジャーナリスト(と、素性の怪しい人物)がISに拉致され人質となり、斬首された。このとき、周囲の無職同志たち……本来は自国の人びとや土地を守るべき立場の人間が、人質を口汚く罵っているのを聞いて、非常に嫌な気分になった。
実現可能かどうかは別にして、本来、無職戦闘員たちは国民を助けるのが任務なのではなかったのか、とわたしは疑問に思った。
かれらは、人を見て助けるか助けないか選択する。
公務員や企業からの出張者は救出・同情に値するが、政府と一体化していないジャーナリストやNGO、自営業、後ろ盾のない個人は救出に値しないかのようだ。
そもそも、人質の居場所もわからず、わかったとしても自力で行くことさえできない人たちが、どうして偉そうに「助ける価値はない」とあざ笑うことができるのか。
テロリストのいる砂漠の真ん中までJALか米軍機に護送してもらうのだろうか。
ジャーナリストは自らの意志で危険地域にも入っていくが、かれらがいなければだれが情報を手に入れるのだろうか。
政府や大マスコミ、米国やロシアから、かれらに都合のいい情報だけをヒヨコのように受け取っているのが今の状態である。
さらに昔の話について。
イラクNGO人質事件のとき……日本政府・世論・報道が3人をあまりに強く非難したため、パウエル国務長官や、(本来イラク戦争に反対していた)フランス政府までも、人質を擁護し、日本をたしなめた。
――「もし誰もが危険を冒そうとしないならば、決して進歩はない」(パウエル)
――イラク戦争に反対してきた新聞(『ル・モンド』)が米国国務長官の発言を紹介することで文章を閉じたのは、戦争を始めた米国ですら評価する問題を日本では国をあげて非難していることへの皮肉だった。
(『日本の外交は国民に何を隠しているのか』)
――米国がイラク戦争を行った理由のひとつは、フセイン政権に抑圧されているイラクの人びとを助けることだった。そうである以上、人びとが自らの危険を顧みずにイラクで直接に救援活動に関わろうと立ち上がる場合には、米国政府はかれらを評価せざるを得ない。……政府の方針と異なることを理由に、市民の自発的な活動を批判することは、米国政府がイラク戦争を始めた理由のひとつを自ら否定することにもつながり、なによりも米国が最大の価値をおく民主主義に最も反することに他ならない。
(『日本の外交は国民に何を隠しているのか』)
――あえて言えば、この日本右派の権威的、利己的かつ排他的な姿勢に最も近いのは北朝鮮かもしれない。
――……この問題は、お上に逆らうなという意識が今なお広く世論にしみついていることを示したのである。それは、日本に民主政が根付いていないことを物語っていた。
(『日本の外交は国民に何を隠しているのか』)
人種差別的な雰囲気、「政府に従順な奴だけ生きるに値する」という空気が無職共同体に広がっていくことに非常に失望している。そして無職共同体は国全体の縮図である。