うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『私にとってオウムとは何だったのか』早川紀代秀

 オウム信徒の死刑囚が自分の半生について書いた本。

 

 「正しいことをせよ」という意識の強い一般人が、どのようにしてオウムに入会し、犯罪行為に加担したかが書かれている。

 著者は若い時、宗教的なものには違和感を覚えたが、ハルマゲドンやノストラダムスの予言、空中浮遊や超能力には興味を持ったという。

 進学校から国立大農学部に進み、その後大手ゼネコンに就職し出世株となったらしいが、前途有望な人間でも、スプーン曲げや空中浮遊に真実を見出すという事が不思議である。

 早川には、ただ生きているだけではダメで、何か真理を見出さなければならない、世のため、人のために貢献しなければならない、という強迫観念があった。

 また、この世を改善するにはまず人の心を変革しなければならないという基本方針を持っていた。

 コンサルタント事務所で働くかたわら、オウム神仙の会で活動し、グル麻原に目をかけられ、サークルにおいても出世し、ついに妻と一緒に全財産をお布施して出家する。

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 出家後、早川は主にイベント開催等の広報活動、支部開設のためのテナント探し、サティアンの建設、ブータン国王や海外要人と麻原との会談のための調整、ロシアからのヘリの買い付け等を担当した。

 やがて教団の犯罪行為にも加担するようになった。

 信徒にとって麻原は人間以上の存在であり、真理と救済に至る唯一の道は麻原によって示される。よって、かれらは自分で考えることをやめ、麻原の意のままに動く人間となった。

 早川によれば89年ごろから麻原は武力による救済思想を唱えていたという。いわく、現代社会は煩悩が大きすぎるのでやさしい方法だけでは救済できない、たとえ地獄に落ちても救済しなければならないと。

 本書で示される早川の関与した犯罪は次のとおり。

・真島信徒死体遺棄事件:教団活動に支障が出ないよう、事故死した信徒を焼却し遺骨を湖に投棄した。

・田口信徒殺害事件:脱会希望の信徒を殺害した事件。被害者は死体遺棄の件を知っており、警察に通報する恐れがあった。

 89年になり、宗教法人申請や病院等の設立をめぐってオウムは行政機関と対立した。その過程で、麻原は政治的な力が不可欠であると感じるようになった。

 かれは真理党を結成し、衆院選への立候補を表明、99年までに政権を奪取し、救済を行う計画に取り組んだ。

坂本弁護士一家殺人事件:村井、岡崎、新実、中川、端本らとともに、被害者の会担当弁護士を殺害した。

 ――ちょうど軍隊では上官の命令に無条件に従う習慣が形成されるように、オウムにおいては、グル麻原の命令には無条件に従う習慣が形成されていったと言えます。

・国土法事件:土地取得をめぐって警察に逮捕される。

 92、93年ごろ、ロシアとの交渉を担当し、独ガス検知器、防毒マスク、防護服、細菌検知器を調達し、またLSDの原料を輸入、国内でAK銃の試作品製造にとりかかった。

 麻原は、フリーメーソンとメーソン国家アメリカこそ敵であると唱え始めた。

 ――米軍が上九に攻めてくるということでした。AKの大量生産や迫撃砲製造計画、レーザー砲やプラズマ兵器の研究、サリンの研究製造などはこの米軍との戦いに備えてのことでした。

・亀戸異臭騒ぎ:炭そ菌散布を行うが失敗する。

・富田信徒殺害事件:スパイと疑われた信徒が殺害された事件。早川は関与していない。

 93年、創価学会施設にサリンをまく作戦に参加するが警備員に怪しまれて失敗、以後、松本サリン事件や地下鉄サリン事件には参加を命じられず別業務を行った。

 95年3月の地下鉄サリン事件は、オウムに対する強制捜査が近づく中、麻原が捜査かく乱および大量ポアを目的として実行したものであると考えられる。

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 早川は、グル麻原が救世主幻想を抱き、それを信徒も共有してしまったところに、オウム犯罪の原因があると考える。

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 宗教学者による、聖戦や宗教弾圧、宗教テロリズムについての論考。

 大本教は2度の弾圧を受けた宗教団体で、民間ファシストとしての側面を持っていた。その他、PL教団やものみの塔創価学会、天理等も戦前、戦中に弾圧を受けている。

 1930年代には天皇ファシズムが勃興し、井上日召による血盟団事件橘孝三郎の関わった五・一五事件が起こる。この頃の思想家として田中智学があげられる。また、自ら切腹し訴える「死なう団」の活動も行われた。

 宗教的テロリズムの構造は、指導者への絶対的帰依、自己犠牲的な献身、自己破滅または他者殲滅的な行動からなる。オウム真理教による一連のテロも、宗教的テロリズムの系譜に連なると著者は指摘する。

 早川紀代秀は、当時流行していた、オカルト思想と精神世界思想に没頭した。かれは会社人間であり、心を埋める何かを求めていたと供述する。

 ――聖戦であれ、天誅であれ、国民の怒りであれ、暴力・武力の行使を容認する風潮は止むことがないのが現状である。

 

 人間は日常生活の中で、自分の意志と決定に基づいて善悪を判断していかなければならない。こうした平凡で凡庸な現実を嫌って出家し、価値判断を指導者に委ねたことが、犯罪行為への加担の原因となった。

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 ◆メモ

 アストラル界、バイブレーション、ハルマゲドン、クンダリニー等、聞きなれた、うさんくさい用語がよく登場する。

 オウム事件にとどまらず、人間に普遍的な現象として、暴力肯定の思考、暴力および武力の正当化の思考過程を検討することが重要である。

 都合のよい存在が現実の問題をすべて解決してくれるという考えが、各人の適切な判断を誤らせることになる。

 

  このことは、中国革命に対するシュウォルツの評価においても言及される。

 ――デューイは、「人類の政治的経済的困難を包括的に解決する方法はない」と考えていた。問題には個別的に対処し、中国に民主主義を根付かせるには「長いあいだの非ドラマティックな活動」が要求される。インテリは、人民の背後で謙虚な役を演じなければならないだろう。

 ――マルクスとレーニンによって、中国共産党の歴史がはじまったとシュウォルツは書く。かれによれば、中国知識人は安易な方向に流れて、「徹底した全面的な解決を提供する世界観」にとびついてしまった。

私にとってオウムとは何だったのか

私にとってオウムとは何だったのか