フランスは広大な植民地を保有していた国であり、その影響は今でも残っている。「文明化」をキーワードとして、フランスの植民地主義の歴史を分析する。
具体的な征服の行程よりも、当時の思潮や思想傾向の把握に重点を置いている。
植民地の歴史は、16世紀からナポレオンまでの第1次とそれ以後の第2次に分けられる。フランスは現在でも多くの海外県、海外領土を持つ。
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1 奴隷制廃止と文明化
フランスはシュルシェールらの努力により1848年に奴隷制を廃止した。
奴隷制及び奴隷貿易は古来から行われてきたが、18世紀に入ると、フランスでは非文明的だとして廃止すべきとの声が大きくなる。
人権宣言により普遍的な価値を強調することは、これを他の地域に普及させる「文明化」につながった。ナポレオンのエジプト遠征にも、野蛮な文明を文明化するという目的が含まれていたと著者は考える。
フランスにおいては、奴隷制廃止と植民地拡大は、人間の文明化という点で同じ線上にある。
奴隷制廃止とほぼ同時期にアルジェリア征服戦争が開始された。将軍ビュジョーが残虐な軍事行動を推進したため、フランス国内でも非難が巻き起こったが、植民地政策そのものを否定する声はほとんどなかった。植民地とは野蛮なイスラム教徒、黒人をフランス人に同化し、かれらを文明化する行為であると考えられた。
3 帝国主義の時代
「文明化」の意味はこの時代になると、劣った民族を優れた民族が教化するというものに変化していった。フランスは1870年普仏戦争での敗北以来、対独復讐論と海外拡張論が対立していた。海外拡張論者の代表であるフェリーは、共和国の国家制度を整備する一方、産業経済発展の源としての植民地拡大を推進した。当時エジプトに対する影響力をイギリスが強めていたため、フランスが既得権益を失ってはならない、と彼は主張した。
一方、クレマンソーは対独復讐のためには植民地経営よりも国内の発展に注力すべきと主張した。
植民地主義の担い手は共和主義者だったため、反カトリックの傾向が保持された。教会保守派は当初、植民地拡大に反対していた。
――総括しよう。帝国主義の時代にフランスが唱えた「文明化」は何かと問われれば、革命の理念の伝播をあげなくてはならない。それはフランス史の文脈では「キリスト教化」とは相容れない。
しかし、文明化の意味は多義的だったと著者は書く。
19世紀末になるとフランスの帝国意識が高まった。ファショダ事件では東進するフランスと南進するイギリスがスーダンで衝突したが、このときはフランスが譲歩した。しかし、モロッコの権益をめぐって英仏西独が対立したモロッコ事件では、独立国モロッコを保護領とすることは「フランスの国民的な問題」だと考えられた。
フランスは同化政策を進めた、と言われるがこれは実情とは異なる。
現実には、植民地は絶えず反乱の起こる場所であり、劣った原住民をフランス人に同化させる方策はうまくいかなかった。同化は植民地白人に対して専ら行われ、黒人やアラブ人は抑圧された。
フランス国籍の取得にはイスラム教の棄教があった。フランスにおけるイスラム教徒問題には長い歴史がある。
フランス革命時にユダヤ人解放令がだされたが、ユダヤ人差別は根強く残っていた。
4 「危機の20年」の諸相
第1次大戦から第2次大戦にかけては植民地支持がさらに広がる一方で、叛乱は国民の眼から注意深く隠された。
フランスにおける反植民地主義には限界があり、特にカリブ海諸国では、第2次大戦後も独立の機運が起こらなかった。著者は、当時の反対者が全て改良主義者であり、植民地そのものに反対しているわけではない点を指摘する。
アルジェリア、インドシナで起きた反乱、蜂起は、国民から巧妙に隠された。
被支配者たちの独立心がフランス思想により培われたと考えるのもまた一面的だと著者は書く。
5 「オクシデンタリズム」を問う
1940年、フランスがドイツに降伏し、ヴィシー政府が誕生した。この政権はユダヤ人政策を主体的に手掛けた。一方、ド・ゴールらはロンドンから抵抗運動を呼びかけた。ドイツはフランス植民地をフランスの領有としてとどめ置いたため、ヴィシー政権とド・ゴールとの間で植民地の争奪が行われた。レジスタンス運動には植民地の協力が不可欠だった。ここでも、植民地という存在そのものの可否は忘れられている、と著者は強調する。
戦後は民族自決が国際潮流となりフランスも「フランス連合」と名称を変えて植民地を維持しようとした。しかし、ベトナム、アルジェリアで相次いで独立運動が発生した。
1954年、ディエン・ビエン・フーの敗北でフランスはインドシナを失い、同年アルジェリア独立戦争が始まった。
フランスの植民地拡大の原動力は、共和制の理念、革命の理念だった。また、この理念にある程度の普遍性があったため、他の宗主国、たとえば日本に比べて批判が少ないといえる。
奴隷制と植民地主義をめぐる謝罪と賠償の問題は、宗主国とアフリカ諸国の間でいまでも続いている。
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――フランスはポストコロニアルではないとよく言われる。それは、まだ手放していない旧植民地があるという現状と、理由はともあれ、フランスを「盟主」としてまとまろうとする動きが旧植民地の側から出ていることと、2つの文脈で考えなければなるまい。
本書は「植民地政策は否定されるべき」という主張を大前提として、フランス植民地主義の変遷をたどる。
主な参照は政治家の発言、文芸作品、映画等であり、そこに潜む「帝国意識」、「優れた民族」意識を指摘する。しかし具体的な征服の過程にはあまり触れられない。
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サンシモン主義者とは……社会主義の先駆であるサンシモンの思想を信奉する人びと、特にテクノクラート(技術者階級)の価値を重視する。
フランス植民地主義の歴史―奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで
- 作者: 平野千果子
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