『労働と社会的抑圧』につづくヴェイユの本。
自由な労働を謳うボリシェヴィキのだれも、工場に足を踏み入れたことがないのだろう。
「ここでは、むしろ、考えないために給料が支払われている傾向がありそうです」。
人類のすべてに頭脳を使われては困るのだ。頭部だけあって手足がないのは妖怪の類だろう。
人生の表面が変化し、不快要素が労働というかたちをとってあらわれた。ルノーおよびシトロエン工場で働くことを、「人間としての品格を完全になくしてはいない」ということはできない。
リベット締め、プレス、ペダル踏み、その他。
ヴェイユは労働者同志の友愛を信じる。しかし大多数はねじくれた人間だった。不況のためか、職を探す高学歴者が多い。牛馬か機械か、奴隷のように働くといわれるが、実際ほぼすべての人間に求められるのは家畜動力としての機能のみである。
――あきらかに苛酷で、容赦しない抑圧によって、ただちにどういう反動が生じてくるかというと、それは反抗ではなく、服従である……ルノー工場では……服従よりもさらにすすんで、何ごともあきらめて受け入れるようになっていた。
「理想、第一に人間は、ものに対してだけ権威をもつべきであって、人間が人間に対して権威をもってはならないということ」。
労働者とその機械のあいだに、「コンラッドと船のような結びつきがあるのだろうか」。ヴェイユもコンラッドを読んでいる。
組合運動関連の手紙はとばす。
〔合理化〕
ふつういわれている産業革命が第一の革命、すなわちものと自然の科学的利用だとすれば、第二の産業革命とは人間の科学的利用である。人間を動力として扱うこと。
テーラー・システム……ブルジョワ出身のテーラーは密告によって職工長の地位を得、研究所を設立し、いかに人間を効率よく使用するかを開発した。コンベアを用いた単純高密度労働は、熟練工を生み出すのを制限する意図もある。
フォードいわく「自分の工場の労働はわたしはやらん」。