ゲルナーやアンダーソンのナショナリズム論とも比較しながら読む。ゲルナーも読みにくいと感じたが、こちらは翻訳のせいで読みにくい。ゲルナーのものをすでに参考にしているようだ。
ゲルナーがナショナリズムの定義を簡潔に示しているのに対し、こちらは豊富な具体例をあげて国民国家成立の過程を分析する。
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本書の主張は以下のようなものである。ナショナルアイデンティティはほかの文化的アイデンティティとは対照的である。民族(ethnic)基盤が近代国家形成に果たした役割や過程はさまざまである。ナショナリズムのイデオロギーや象徴作用を分析すること。ナショナリズムはいかなる政治的結果を与えたか。
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ジェンダーや地域、階級といったアイデンティティのなかで、ナショナルアイデンティティは異質である。この異質に若干近いのが宗教である。
著者はネイションを以下のように定義する……「歴史上の領域、共通の神話と歴史的記憶、大衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、共通の法的権利・義務を共有する、特定の名前のある人間集団」。
このネイションを基盤とするナショナル・アイデンティティは大きく分けて二種に分かれる。西欧から生まれた、市民的アイデンティティ(共和派)と、エスニック的アイデンティティ(王党派)である。前者が国家内の平等や法を重視するのに対し、後者は伝統や慣習、その国家が出自であることを重視する。著者によれば後者はアジアや東欧に多く見られるという。
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エスニシティ、民族は、主観的な要素によって定義され、そのため流動的である。この点ではゲルナーと同じだが、著者は「戦略的にエスニシティを操れる」などの極端な道具主義も否定する。民族は歴史や経験による構築物なのである。
国家は、このエスニシティを基盤につくられるとおもわれがちである。確かに、民族基盤と国家が一致している例もある。しかし、クリオーリョがつくった南米諸国や、白人が、土着の民族とまったく無関係に国境を敷いたアフリカなど、国家と民族が一致しないことは多々ある。
エスニシティと国家の関係は、よって不明確、不明瞭である。
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国民形成にいたる過程や、知識人の役割などが具体例をあげて説明される。どれも一度は触れたことのある話だが、日本語が読みづらい。
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ネイション(国民?)は古代から存在し、それが産業化によって復興され、やがてネイション・ステイトの時代へと移行したというのが著者の理論のようだ。
ナショナリズムが完全に産業社会の産物であるとするゲルナーとは若干解釈が異なる。
- 作者: アントニー・D.スミス,Anthony D. Smith,高柳先男
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
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