うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

筋肉について

 先日、アリゾナ記念館見学に行ってきました。

 有名なアリゾナ号慰霊碑は対岸のフォードアイランド側にあるため、海軍運営のボートで向かいます。乗船の前に、ホールで映像による説明を受けます。真珠湾攻撃に至るまでの経緯や、合衆国における位置づけ等を知ることができました。

 真珠湾攻撃は海軍基地だけでなく隣の航空基地やホノルル市街、その他島内の主要な軍事施設にまで及んだとのことです。

 

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 去年の真珠湾攻撃の時期には米軍基地のBXで関連の書籍キャンペーンが行われており、1941年当時水兵だった著者のJim Downing氏がサイン会を開いていました。

 この本はいずれ読もうと思います。

The Other Side of Infamy: My Journey through Pearl Harbor and the World of War (English Edition)

The Other Side of Infamy: My Journey through Pearl Harbor and the World of War (English Edition)

 

 

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 無職関係者たちのいる職場の建物にも、真珠湾攻撃の機銃掃射の跡があり、遺産として保存されています。建物の壁や屋内の階段に点々と穴が開いており、「1941.12.7damage」等の記載があります。

 このせいで建物は歴史的建造物に指定され、取り壊しができないそうです。ある人びとは「取り壊しできないせいで駐車場が狭い」とぼやいていました。

 

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 米軍といえばランボーのような筋肉戦闘員というイメージだが、ステロイドの使用は限りなく違法(軍の中で)に近いという。原則として医師の処方が必要なため正式に許可を得て使用するのは困難である。

 ただしステロイドはインターネットで簡単に手に入るため、特に海外にいる兵隊がよく使用する。

 なぜ海外に行くと皆使うのか質問したところ、例えばアフガンに派遣されたら何十キロという荷物に加えて銃、装備をかついで延々と歩かないといけない。さらに海兵隊や陸軍であれば負傷した仲間――おそらくこの仲間も体重100kgくらいある――とその仲間の装備をすべて担いで救出しなければならない。

 というわけでかれらは本来規則違反の薬物を使用して筋肉戦闘員になるようだ。麻薬と異なり、ステロイドの検査はほとんど行われないので軍も目をつぶっているのだろう。

 ステロイドを投与し続ければ内臓を痛め、精神バランスにも影響を与えることになるが、かれらは目下進行中のアフガニスタン戦争で生き延びるためにドーピング戦士にならざるを得ないので、非常に過酷である。

 

 アフガニスタン戦争は普段ニュースでもほとんど見かけない。今も、公表されているだけで1万人以上の兵隊がいるにも関わらず、完全に黙殺されているようだ。

 まったく解決の見込みがないので、事態が悪化していても、皆見て見ぬ振りをしているのだろうか。こちらの国にも似たような厄介ごとがあった気が……。

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『KGB帝国』エレーヌ・ブラン その2

 第2次チェチェン紛争は政府側によって意図的に引き起こされたのではないかと考えるジャーナリストがいる。

 

 ――テロ対策はすべての人を結束させる最高の口実だ。

 ――彼(プーチン)はアンドロポフとブレジネフ双方の血を引いた雑種的人物だ。

 ――プーチンにとって、このチェチェン紛争が必要なことは明らかだ。2000年には、この戦争を踏み台にして国家元首になり、2004年に再選されるためにもこの戦争が役に立つのだろう。

 

 シロヴィキ(KGB、軍、内務省出身者)が国家を掌握しているのがロシアの過去であり現在だという。

 

 ――「ブッシュとプーチンの違いを知っていますか?」

   「前者は戦争をするために大統領になったのです。後者は大統領に選ばれるために戦争を始めたのです……」

 

 4

 エリツィンからプーチンへの交代は、KGBが決定した事項である。エリツィンの下で3度首相の交代があり、その全員がKGB出身者だった。

 プーチンKGB時代に海外工作員として勤務した。また、サンクトペテルブルク市長サプチャークの下で働いたときは、大規模な汚職に関与したという疑いがある。

 2000年の大統領選挙だけでなく、その後の議会選挙、大統領選挙にも、不正と操作の疑いがある。

 

 プーチンの発言。

エリツィンは私たちが選んだ」

 大統領選直前に起こされたチェチェン人によるモスクワ爆弾テロ事件は、KGBによる工作だという疑いがある。そのことを暴露したKGB将校リトビネンコは暗殺された。

 

 5

 プーチンによって変質したロシアについて。

 KGBの指令を受けたプーチンは、専制体制を強めた。チェチェン人のテロにより恐怖を煽り、国民の支持を得た。

 新興財閥を統制し、またロシアを発言権のある国に復帰させる一方、KGB=国家のマフィア化は進み、厳しい情報統制・言論統制が敷かれた。

 プーチンが民主主義者であるというのは全くの誤解である。著者によれば、かれはKGBの一員であり、警察国家、強権国家を志向している。

 

 6

 プーチン体制とは、共産党を失ったロシアがKGBによって完全に掌握された体制である。

 KGBは過去の弾圧や犯罪行為を認めておらず、またプーチンKGB出身者であることに誇りは持っているが反省はまったくしていないという。

 

 ――それでは、KGB工作員とはどのような人間だろう? プーチンがその典型だと言える。冷静さ、辛辣さ、感情を表さない技、嘘をつくこと、芝居をすること、演出をすること、二枚舌、三枚舌の使い方などを教えるKGBの特別養成学院で教育を受けた「チェーカー」の人間である。彼らは命令には盲目的に従い、いくら野蛮な指示を受けても、躊躇せずにそれを実行するように教育されるのだ。

 

 ――ソ連政権の力であるKGBが、民衆の人間的弱点(貪欲さ、極端な愛国主義、恐怖、意気地なさ)や蔓延化した密告に基づいた容赦ない弾圧システムであったことを覚えておいていただきたい。

 

 プーチンの選挙用パンフレットより。

 ――スターリン時代にも、その後にも、ロシアに政治的恐怖時代があったとは思わない。そのようなことを考えたこともないし、迫害が行われたと想像したこともない。

 

 7

 KGBロシアによる工作活動は活発である。フランスは伝統的に親ロシア感情が強いため、利用されてきた。

・新聞、テレビ、言論、有料ニュースレターによる情報操作や洗脳

・亡命ロシア人を装ったKGB職員による反体制派情報の収集、国際結婚、研修目的での浸透

・ロシアン・マフィアの進出……資金洗浄、売春産業、暗殺の横行

 

 ――私は、一国の市民全体が、騙されることがあり得ると教えられてきた。騙されていても疑わないのである。そのような時に、黙っていてはならない。黙っていることは騙そうとしている人びとの共犯になることだからだ。私は祖国の危機を傍観していたとは言われたくない。

 

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KGB帝国―ロシア・プーチン政権の闇

KGB帝国―ロシア・プーチン政権の闇

 

 

『KGB帝国』エレーヌ・ブラン その1

 本書の目的:1982年から2004年にかけての、ペレストロイカソ連崩壊、プーチン政権誕生までを説明し、情報機関KGB=FSBが国家権力を掌握していった過程を明らかにする。

 

 ◆所見

 フランスから見たプーチン・ロシアのイメージの1つ。

 KGBが単なる情報機関ではなく、国家の隅々にまで根を張った特殊組織であり、財閥、マフィアと一体化している事態を明らかにする本。

 本書で描かれるKGBは、親衛隊のような巨大な組織であり、またロシアは民主主義、人権、自由の概念が存在しない土地である。
 言及されているジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤや、亡命者リトビネンコは実際に殺害されている。さらに他の本も読んで、ロシアがどのような国家であるかを調べる必要がある。

 最終章では、フランス社会に入りこむKGBロシア工作員について警告を発している。その様子が、「工作員に囲まれている」という被害妄想そっくりなので笑ってしまう。しかし、いくつかの工作員事例は実際に明らかになっているのが恐ろしい。

 

 なぜプーチンは日本でも人気があるのか。

・強いリーダー像

・過激な発言……暴言、放言の多い指導者はいつでも人気

KGBやスパイ映画・小説へのあこがれ

・国営メディアの報じるプーチン武勇伝(飛行機操縦、柔道、熊退治)を素直に受け入れる


 1

 1950年代以降、ソ連汚職と腐敗が進んだ。ノメンクラトゥーラ(共産主義エリート、共産貴族)とマフィアが一体化し、計画経済の裏で闇の経済を動かし、国民の富を略奪した。

 KGB出身のアンドロポフは、ソ連の内部崩壊を把握していたため、汚職追及により共産党を浄化しようと試みた。かれは、あくまで厳格な管理によって現状を修正していこうと考えていた。

 ゴルバチョフはアンドロポフらKGBの指令を受けて国家元首となった。

 ペレストロイカは、腐敗組織となった共産党を排除し、KGBによる管理を強化しようとする試みだった。ペレストロイカは、ゴルバチョフが書記となる3年前に、KGBによって定められていた方針である。

 ソ連プロパガンダとは異なり、ゴルバチョフは実際にはマルクス・レーニン主義者であり、ソ連体制を保守しようとしていた。

 1991年のクーデタは、ゴルバチョフエリツィン、保守派による芝居であった可能性が高い。

 ゴルバチョフの評価はロシアでは限りなく低い。

 何の作戦もないまま政治の自由化を始めたため、国家そのものがKGBとマフィアに牛耳られたからである。

 

 2

 エリツィン大統領とガイダル首相による急激な自由化政策は次のように形容される。

 

 ――普通の市民がどうにかして超インフレの中を生き延びようとしている中、旧来の指導階級は「民主主義者」に急変して、「人民の財産」を山分けし始めた。臆面のない彼らのほとんどは、自分たちの意図を隠そうともしない。国の莫大な天然資源を私有化し、海外に向けて大量の資本と物資の流出を企てるのである。ロシア国家が完全に疲弊してしまうかもしれないというのにだ。

 

 政府は少数の資本家を育成しようとした。こうして国家資産を私有化する新興財閥(オリガルヒ)が出現した。

 

 ――エリツィン時代には、新体制に順応するように見えていたKGBは、ソ連時代以上に強力になった。……エリツィンから実権を奪い取った元KGBが密かに国を治めているのだ。

 

 地方議員や連邦議会の大半が、身分を偽ったKGB将校で占められるようになった。

・1991年 守旧派クーデタ

・1993年 10月政変 ルツコイ、ハズブラドフらの議会クーデタ

・1999年 エリツィン辞任

 

 3

 ソ連解体後の独立紛争を先導したのは軍・KGBだった。ロシア軍と現地の武装勢力は武器や村(占領地)を売買した。ロシア軍は武器庫を自分たちの武器庫を略奪させることで報酬をもらい、足りなくなった武器は中央から支給させた。

 チェチェン紛争もまた、チェチェン人の伝統的な独立意識を利用した、ドゥダーエフらチェチェンマフィアとロシアンマフィアとの抗争だったという。

 チェチェンには石油の製油所があり、この権益をめぐって双方が争っていた。さらに、戦争によって蓄財できる者がチェチェンにも政府中枢にも多数存在する。

 

 [つづく]

 

KGB帝国―ロシア・プーチン政権の闇

KGB帝国―ロシア・プーチン政権の闇

 

 

『五・一五事件』保阪正康

 五・一五事件は1932年に発生した。

 五・一五事件をきっかけに台頭した、国民のなかのファシズムと、事件の関与者である愛郷塾の創設者橘孝三郎とを検証する。

 厳密には歴史の本ではなく、著者が調査結果をもとに再構成した劇である点に注意する。

 

  ***

 橘孝三郎の生い立ち、活動、五・一五事件への関与までをたどる。

 

橘孝三郎茨城県水戸市で生まれた。一高に入学し、哲学……カント、ベルクソン等に熱中した。やがて、中退し農業に従事する。

・橘の農本主義は、ロバート・オウエンの共同体事業を参考にしたものである。家族や、橘を慕う知人・友人とともに、「兄弟村」をつくり、農村共同体の建築を試みた。

 武者小路実篤率いる白樺派も、「新しき村」という共同体建設を行っていたが、武者小路の指揮についていけない者が多くなり破産した。

 橘の農本主義が描く農村像も、かれの個人的な世界観を強く反映したものであり、そこに多様性や自由はない。

・昭和恐慌によって農村の貧困が加速し、国民の一部は過激化した。満州事変は国民を熱狂させ、また国内政治を革新する運動が盛んになった。

・橘は農本主義の立場から反マルクス、反マルサスを説き、県の支援も受けて演説活動を行っていた。

 やがて、クーデターを企画する下級将校や、井上日昭らと知り合い、かれらに同調していった。

・政治家の中で、森恪、平沼騏一郎等、軍や民間右翼と協力する者が多くなった。

 

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 ◆所見

 橘孝三郎とかれの門徒たちは、農村を救済し、農村を基盤として日本を復興するという目的を持っていた。

 しかし、テロリストや革新派軍人に同調し、最終的に橘自身も、発電所の襲撃を指揮し逮捕された。橘は満州に活路を見出そうと出国していたところを追跡され捕まった。

 貧困を解決しようとする人物たちが、テロやクーデターという安易な手段に依存していく様子が描かれている。

 満州国ユートピアを見出したのは、橘だけではなかった。多くの知識人や左翼活動家たちが、満州国を基盤に自分たちの思い通りの社会が作れると考えた。

 五・一五事件に対して、軍人や国民は同情的だった。憲兵は実行者たちを国士として扱った。

 「やったことは悪いが、かれらの思いは正しい、立派だ」という正当化が世論となった。

 五・一五事件を境に、政党政治は終わり、さらに軍人や民間右翼、ファシストの政治的な発言力が増大した。

 橘孝三郎と愛郷塾は、農業改良運動から、過激な武装集団に変質することによって、地道に改善を続けていくことを放棄したと考える。

 「動機が正しければ行為が間違っていてもよい」という思考を、山本七平は『現人神の創作者たち』で批判した。

 世間の大多数が、安易な解決手段や暴力を肯定したとき、その動きを止めるのは困難であることを認識しなければならない。また、そのような潮流におもねることも絶対に避けなければならないと感じる。

 出所後の橘孝三郎は、天皇主義者、右翼の大物の地位に納まっており、まったく興味をひかれない。

 

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 首謀者たちだけでなく、社会状況や政治の様子についても書かれている。

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 メモ

・海軍軍人……1930年のロンドン海軍軍縮条約に不満を持つ勢力

・海軍・陸軍、右翼(大川周明)、農民決死隊(橘孝三郎と愛郷塾生)

 

五・一五事件―橘孝三郎と愛郷塾の軌跡 (中公文庫)