うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『アフリカ大陸探検史』アンヌ・ユゴン

 ◆メモ

 主に19世紀のアフリカ探検をたどる。

 探検家たちの多くは偏見や白人至上主義の持ち主だったが、リヴィングストンやメアリ・キングズリー等、当時の基準からすれば公平な視点を持つ者もいた。

 アフリカ探検は文明化の象徴として本国でもてはやされ、やがて帝国主義の先駆とされた。

 本書には探検家の写真や、アフリカのスケッチ、文物のカラー写真が多く含まれている。

 "Scramble for Africa"で言及されていた、冷酷で異常なドイツの探検家カール・ペータースKarl Petersについては記載がない。

 

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 1 未知の世界

 19世紀のヨーロッパ人にとって、アフリカは未知の世界だった。かれらの知識は沿岸部に限られており、また奴隷貿易は栄えていたが、内陸に入りこむ必要はなかった。

 18世紀、啓蒙主義の時代に、奴隷貿易の廃止とともにアフリカへの伝道、探検の動きがおこった。。

 カトリックプロテスタントの各国は盛んに伝道師を派遣した。同時に、商業的な理由からの探検(天然資源や、市場)も増加した。

 ナイルの源流は、ヨーロッパ人にとって、地中海の成り立ちを知るという意味を持っていた。また、アフリカ大陸の赤道上には、雪山があるという伝説があった。

 

 1880年以降は、軍人が中心となり、探検は植民地化と同義となっていった。

 

 フランス語のCを用いてアフリカ探検の歴史を表現する。

・Curiosite好奇心

・Civilisation文明化

・Christianisationキリスト教

・Commerce商業

・Colonisation植民地化

 

 2 ナイルの水源を求めて

 18世紀末から、ナイルの水源地を求めてイギリス人、フランス人、エジプト人らが探検した。ナイル川は途中でスーダンの湿地帯に吸い込まれるため、その先をさかのぼるのは困難だった。

 

 1850年代、イギリスは軍に対しナイル川水源への探検を命じた。

 英軍人のバートンとスピークはナイル源流を探し、1856年、ヴィクトリア湖を発見した。しかし、ヴィクトリア湖は水源ではなく、湖に流れ込む複数の湖や河が水源だった。

 サミュエル・ベーカーはバートンらに続きナイル水源発見の旅に出て、アルバート湖を発見した。かれは西洋文明主義者であり、アフリカの部族を軽蔑していた。

 探検家は、西洋文明の伝道者としての役割も担っていたが、かれらの多くは、自分たちの窮屈な社会からはみ出した者が多かった。

 

 3 リヴィングストンの伝道の旅

 19世紀、南アフリカにはボーア人とイギリス人が住んでいた。1849年ごろから、宣教師だったリヴィングストンはケープ植民地から北上する探検を開始した。

 リヴィングストンはアフリカを横断し、本国では英雄として迎えられた。

 イギリスは奴隷貿易の廃止政策を掲げていたが、アラブ商人、中央アフリカ部族、ポルトガル人らによる貿易は継続していた。リヴィングストンの報告は、奴隷貿易廃止を願う人びとにも刺激を与えた。

 1871年、ウジジ村で静養していたリヴィングストンを、特派員のヘンリー・モートン・スタンリーが発見する。

 リヴィングストンは、伝道者、文明の使者として、ヨーロッパにおいて伝説化された。

 

 4 大森林の中で

 リヴィングストンの死後、探検はヨーロッパの植民地化と一体化していった。

 1870年代には、コンゴ川流域、ルアラバ川流域が探検領域となった。英海軍人カメロンや、アメリカ人スタンリーがこの地を探検した。

 その後、スタンリーはベルギー王レオポルド2世の支援を受け、悪名高いコンゴ自由国の設立に貢献した。

 フランスもコンゴ川地域の植民地化に乗り出し、サヴォルニャン・ド・ブラザを派遣した。

 メアリ・キングズリーはアフリカ探検によって魚類や民族を調査し、やがてスタンリー、キプリング、植民地相チェンバレン等と親交を深めた。

 

 5 探検家という職業

 探検家の荷物……

・医薬品、蚊帳、シーツ、マットレス、毛布、テント

・食糧、調味料

・舟、大工道具、測量道具、通行料用の品物

・銃、弾薬

・荷役人夫:アフリカ人は、見知らぬ土地の探検に関心を持ち、こぞって応募した。

 

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 アフリカの万年雪……キリマンジャロ、ルウェンゾリ、ケニア

 ザンジバル……タンザニア沿岸の島。19世紀、奴隷貿易の中心地として経済発展した。

 マルシャン海軍大佐……1896年、フランスの横断政策に従い、西アフリカからナイル上流に向かった。1898年、ファショダでキッチナー率いる英軍と対峙した(ファショダ事件)。

 

アフリカ大陸探検史 (「知の再発見」双書 (29))

アフリカ大陸探検史 (「知の再発見」双書 (29))