……体制変革を経て公開されるようになったソ連時代のアルヒーフ(文書)をもとに、これまで知られなかったスターリンのさまざまな言行を明らかにする。
内容として、スターリンの死、スターリンの後継者選び、スターリンの個人文書、スターリン批判の前後、スターリンと原爆、スターリンと水爆、スターリンと原子力収容所、スターリンと科学および言語学、ロシア民族主義者としてのスターリン、ブハーリン殺害の顛末、スターリンとアパナセンコ将軍、スターリンの読書、大祖国戦争におけるスターリンの動き、失敗におわった「医師団陰謀事件」について、などを含む。
大変多岐にわたる視点からスターリンをとらえており、彼の人格や行動をよく知ることができる。
以下、印象に残った点……
スターリンの死後、イデオロギー部門を支配したスースロフは失脚することなくとどまり続け、ブレジネフ時代には彼を傀儡として動かした。また、スターリンが発作によって死の間近となったとき、進行中の「医師団陰謀事件」をやめさせ新聞から記事を消したのもスースロフだという。
スターリンの個人文書はスターリン個人によって、また、弾圧へ加担した証拠が明らかになるのを恐れたマレンコフ、ベリヤ、フルシチョフらによって消失させられている。
とくに、スターリンの死と同時にベリヤが別荘ごと没収し、文書を次々と焼き捨てていったことで、重要資料の多くが失われた。
原爆の情報は西側の共産主義科学者から既にうけとっていた。スターリンはクルチャトフを原爆プロジェクトの責任者にあて、開発を進行させた。スパイから原爆の設計図を受け取っていることは極秘だった。このため、クルチャトフは天才を装って開発を進めた。
彼の下には傍若無人なカピッツァらがいた。カピッツァはアメリカで学んだ科学者で、ノーベル賞を受けている。スターリンやベリヤにも物怖じせず衝突したため、原爆および水爆計画からもはずされ、かえって自由に研究を進めることができた。
原爆製造のためにはウラン収容所が必要となる。囚人たちは被爆しながらウラン収容所の建設と維持に従事した。彼らは情報保全の観点から収容所のなかに閉じ込められ、数万人の囚人が住む巨大な原子力収容所がいくつもつくられた。囚人たちのみならず、クルチャトフら幹部たちも皆被爆した。当時は放射能の性質がまだ知られていなかったためである。
赤軍大粛清は軍学教官にもおよび、士官学校で教官を務めていた者の大半は銃殺された。かわって、若い指揮官が教壇に立ったが彼らに知識はなかった。
レーニンとエンゲルスはクラウゼヴィッツを高く評価している。しかし、スターリンはクラウゼヴィッツを批判し、クラウゼヴィッツに肯定的な歴史家や軍学者を失脚させた。
スターリンが学問に口を出した場合、たいてい事はよくない方向に傾いた。遺伝学では、ルイセンコがスターリンの寵を得て、間違った学説がソ連の公式見解となった。
言語学の場合、スターリンは非常に優れた学者を取り立て、この学問の発展に寄与した。言語学という学問がこれほど注目を浴び、存在感を増したのは珍しいことである。
この過程で、言語にも階級があり、上部構造と下部構造がある、というマルクス主義的学派は退けられた。
ロシアナショナリズムを当初否定していたスターリンは、戦争を経て伝統の必要性を認識し、以後ナショナリズムを利用するようになった。
彼が極東戦線において登用したアパナセンコ将軍は、著者から無名の英雄と評される。関東軍との戦闘で失敗した指揮官が銃殺され、かわって内戦時代からの知り合いであるアパナセンコがシベリア方面を任されることになった。
彼は粗暴だがすべての責任を自分で負い、部下がへまをした場合軍事裁判にひきわたさず自分で罰した。彼はシベリア鉄道を防護するための車道を急ピッチで制作し対日戦に備えた。その後戦死したが、シベリアロシアの防衛に貢献した。
スターリンは大変な読書家で、速読術とすぐれた記憶力を有していた。知識人や外国の作家等と会見するときは必ず入念に下調べしゲストをおどろかせた。読んだ本の余白にはコメントをつけた……「ハハ!」「馬鹿め」「その通り」等。
通説と異なり、ドイツがソ連に攻撃をはじめた時、スターリンは茫然自失の状態ではなかった。彼は多くの軍幹部と会い、命令や指令を下している。
しかし、チャーチルよりもヒトラーを信頼していたことが彼の過ちだった。
彼の反セム主義およびイスラエル支援は純粋に政治的である。アメリカとともにイスラエル建国を支持することで、アラブにくさびを打ち込み、中東におけるイギリスの影響力を弱めようと考えた。
その後、国内でユダヤ人医師をターゲットにした「医師団陰謀事件」のシナリオ作成に取り組んだ。
国家保安省および内務人民委員部は、常になにかを弾圧していなければならなかった。標的とシナリオをつくらなければ部署は縮小してしまい、怠業にもつながる。
第2次大戦後は、以前に比べて彼らの恐怖は効力を持たなくなった。
過酷な戦争を通じて、ソ連国民の死への恐怖は薄れていった。逮捕と銃殺では、以前のように人間を動かすことができなくなっていたという。
イグナチェフは保安関係の幹部としては珍しく、失脚することなく年金生活に入っている。
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