うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ドイツ表現主義の誕生』早崎守俊

 ムンクや詩人ホッディスにはじまる表現主義者たちは近代もなく新しい時代もない、「二重の不在」の時代に生きたのだった。ヴォリンガー『抽象と感情移入』は、人間に感情移入をさせる調和したルネサンスの美に対し、機械的法則を用い、抽象による美として、ゴシックやエジプト芸術を位置づけた。

 

 印象主義にいきつくバロック芸術が、感覚の声高い叫びであるとしたら、表現主義はわめき叫びである。

 第一次大戦前夜のドイツで生まれた表現主義は、のちの二〇世紀芸術の萌芽となった。芸術集団の「橋」、『嵐』誌、『行動』誌、それに、カンディンスキーらの「青い騎士(ダー・ブラウ・ライター)」、また同時期にはマリネッティの未来派がおこった。

 ゲオルク・ハイムの詩では、死の影たる月が随所にあらわれる……「血に飢えた月」「毒汁をしたたらせた月」、「地獄の奈落の底から昇ってくる月」、「吸血鬼の咆声をあげる月」「老人のようにごつごつした背中をみせてよたよた昇ってくる月」。ただし、感傷的なきらいがある。

 表現主義詩のアンソロジー『人類の薄命』。ベンは「屍体公示所」を書いた当時、「もはや生きるべき世界はなく、もはや感じ取るべき現実はなく、もはや信じるにたる教義はない」といったが、いかにこのニヒリズムを越えたかは著作集を読まねばならない。

 医師レンネを主人公にした、レンネ・コンプレックスとよばれる連作小説がある。『脳』、『征服』、『旅』の三つだ。

 ――存在をたしかめる「なんのために」、「どのように」、「どこに」という不毛な問いが彼の疲労の原因なのだ。

 あらゆるものは真空を補填しているにすぎない。空白が埋められて、また空いたら埋められるだけである。

 「脳自体が脳のことを考えられないこと、つまり自我と外界とを結びつける脳の崩壊」、「脳の本質はけっして内容ではなく形態だ」。

 内容ではなく、形態である。ベンはそう考えた。

 同時代のデーブリーンは、物質と目に見えぬ金の糸でからまったベルリンの生活を医学的に解明しようとした。表現主義技法……主体と客体の転倒、無生物のとつぜんの人間化。

 「この主客転倒は、表現主義がベルリンという大都会で誕生し、成長したという大都市現象学のなかで、過重な物質の圧力のもと、人間の精神が崩壊していく神経症的症状のあらわれといえよう」。

 デーブリーンの『たんぽぽ殺し』。

 「どんな精神活動も真実に通ずるものではなく欺瞞に通ずる。精神は真実を発見しないで、捏造する。これが「脳人間」の悲劇であって……」。

 ヴリュームナーの、戦死詩人シュトラムへの追悼文はたいへんおもしろい……「文学は耳でうけとられる――かつては耳でうけとられた! のだが、残念なことに、人間の耳は甘やかされて駄目になってしまった。あげくのはてに、人間はもはや語を聞かずに、わずかにその概念だけを理解するようになった……意味が認められさえすれば、理解できるものでありさえすればよかったのだ……それはもはや意味ではなく解釈であった、説明であった……ざっとひろい読みさえすれば、ただ読みさえすればよかった、そうすれば概念が生ずるのであった」。

 ――かれは、文学の太初に語があったという事実を見出した。

 「言語芸術はあくまで創造芸術であって再現芸術ではない」。

 これが反リアリズムだったということのようだ。シュトラムの詩は聞くことでわかるのであって、聞いたことのないもの(解説だけを見たもの?)には理解できない。

 ムンクと並んで表現主義に影響をあたえた画家に、アンソールがいる。仮面は大事な要素である。自我も物質にすぎない……表現主義戯曲において登場人物は無名、固有の名をもたない普通名詞で呼ばれ、ときには集団としてしかあらわれない。

 パウルヒンデミットの実用音楽。ココシュカ、カンディンスキー。エルンスト・トラー、ゲオルク・カイザー。マイトナー「黙示録的風景」について。

 第一次大戦の総動員は多くの芸術家を殺した。徴兵を忌避すれば銃殺だから、まさに出口なしである。これが平民の戦争なので、運が悪ければすぐ死ぬ。

 マルク、ノルデ。

 一九一四年のクリスマスには、独仏前線の塹壕から両軍の兵士がでてきて祝った。彼らは戦争がすぐに終わるものと、このときはまだ信じていた。古い精神のフランスと、新しい文明のドイツ。

 表現主義の画家たち……Emil Nolde, Hans Alp, James Ensor, August Macke, Meidner Ludwig.

 

ドイツ表現主義の誕生

ドイツ表現主義の誕生