うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『クルアーンの思想』大川玲子

 ブハーリーとハッジャージュ、二人のそれぞれの『サヒーフ』はスンナ派でもっとも権威を認められたハディースである。

 クルアーンは特殊な人称を用いている。すべてムハンマドの言動だが、「我々―汝」の場合我々がアラーを、汝がムハンマドを指す。またアラーを「彼」と呼ぶ場合もある。いずれも預言者ムハンマドの力を借りてアラーが言ったことばとされる。

 ヒジュラ暦は西暦からメディナ聖遷の六二二を引いたもので現在でも使われる。

 イスラーム(帰依)の聖典クルアーンはファーティハ(開扉)という七句からはじまる。ファーティハは最重要視される章である。

 クルアーンの章の順序は時代をさかのぼっている。

 イスラームの信仰箇条と儀礼をまとめて六信五行という。六信とは神(アッラー)、天使(マラーイカ)、使徒・預言者たち(ルスル)、啓典(クトゥブ)、来世(アーヒラ)、運命(カダル)を信じることである。天使にはジブリール(ガブリエル)やミーカーイール(ミカエル)なども含まれる。同様に使徒・預言者はモーセダヴィデ、イーサー(イエス)も含まれ、ムハンマドが最後の使徒・預言者とされる。

 イスラームでは来世がやってくるまで死者たちはバルザフとよばれる墓のような場所にいるとされる。天の書によって、あらゆる運命はすでに書かれている。

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 ユダヤ教キリスト教イスラム教を含めて啓典の民とよび預言者ムーサ、イーサー、ダーウィドらには敬意を払っている。旧約聖書新約聖書との整合性がクルアーンの各所ではかられている。

 キリストがイブラヒムの子イサクの子孫とされるのに対して、イスラームではムハンマドは長男イシュマーイールの子孫とされる。イブラーヒムからの直系を強調するのはユダヤ、キリストへの対抗らしい。

 ユダヤ教聖典は正確には旧約聖書ではない。

 イスラームの評価では、ユダヤ教徒アッラーから「律法の書(タウラー)」を授けられたにもかかわらずそれを遵守しないものたちとされる。ダーウィド、マルヤム(マリア)には相応の敬意が払われている。

 クルアーンと先行啓典との関係を調整するために、タスディーク(確証)、ナスフ(取り消し)、タフリーフ(歪曲)といった概念が用いられる。それによればクルアーンは先行啓典を確証するものであり、また先行啓典に書かれたことを打ち消す。クルアーンのなかの矛盾も、新しい章句が古い章句を打ち消すという考えによって解決される。そしてイスラーム法学の発展によって、ユダヤ、キリストは自分たちの啓典そのものを歪曲してしまったのだと解釈されるようになる。

 ユダヤ教キリスト教多神教偶像崇拝よりも自分たちに教えが近い分、近親憎悪もつよくなったといわれる。

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 クルアーンによれば、すべての運命はあらかじめ「天の書heavenly book」に書かれている。この呼称は欧米での研究に使われるものでクルアーン自体には「護られた書板」「明瞭なキターブ(書)」「キターブの母」という名で呼ばれている。

 この書かれた運命という観念はメソポタミア文明に由来する。ジャン・ボテロの著作を参照すること。

 

 クルアーンははじめ天の書から、天の段階のひとつである「力の神殿」に一度に下された。そこからさらに段階を経て、分割されて使徒(ムハンマド)に下された。この一括と分割の解釈は先行教徒たちの批判に応じるためらしいが、なぜここまで重視されるのだろうか。
クルアーンの思想は厳しい運命論の立場をとっている。祈祷と善行によってアッラーが記録の書を書き換えてくれることはあるかもしれないが、その根底には諦念が横たわっている。人類学者ハマディによれば、長きにわたる荒地での過酷な生活が彼らにあきらめを植えつけたのだろうという。

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 日本人のクルアーンイスラーム受容の歴史は、西洋と戦った東洋の盟友という意識からはじまった。ムハンマドは富国強兵を進める日本の先達とされた。満州事変以後は国策、植民地統治の観点から本格的なイスラーム研究がはじまる。
石原莞爾大川周明の唱える東西文明対決論に拠って、ムスリムを皇室のもとに抱えることが目的とされた。大川の勤務した満鉄の東亜経済調査局は現在でも稀に見る高水準の学術研究所で、井筒俊彦前嶋信次ら多くのイスラーム学者を輩出した。

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 おもしろいことにムスリムの人口は聖地から離れたところ、インドネシア、インド、パキスタンバングラデシュに集中している。次にようやくトルコがくる。

 参考文献はこの先も利用することになる。

 

聖典「クルアーン」の思想――イスラームの世界観 (講談社現代新書)

聖典「クルアーン」の思想――イスラームの世界観 (講談社現代新書)