うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『権利のための闘争』イェーリング

 ――自分の権利があからさまに軽視され蹂躙されるならばその権利の目的物が侵されるにとどまらず自己の人格までもが脅かされるということがわからない者、そうした状況において自己を主張し、正当な権利を主張する衝動に駆られない者は、助けてやろうとしてもどうにもならない。

 カントは本書に賛同していわく「みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない」。本書は訴訟癖をすすめているわけではなく、「批判されるのは、臆病や不精や怠惰によって漫然と不法を甘受する態度だけである」。

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 権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法の生命は闘争である。平和と享受は絶えざる刻苦の結果としてのみ可能なのである。

 法は、歴史法学派がいうように、無意識的な、有機的、内発的な発展をとげる。しかし、「きわめて多くの場合に、法の改正は既存のもろもろの権利や私的利益への思い切った介入によってはじめて実現されるものである」。

 ――既存の法が利益によって支えられているこれらすべての場合に、新たな法が登場するためには闘争に勝利を収めなければならない。

 権利のための闘争はあらゆる領域、局面で展開される。私法上の領域でもおなじである。「権利を犠牲にして平和を選ぶか、それとも平和を犠牲にして権利を選ぶか」。

 ある国家が1ヘクタールの土地を奪われた場合、コストを気にして奪回しなければどうなるだろう。次々と1ヘクタール奪われ、最終的にすべて奪われても文句はいえない。割に合わない訴訟をおこなう場合、「訴訟は、単なる利害の問題から品格の問題、に、つまり人格を主張するか放棄するかという問題になっているのだ」。

 一方、権利を犠牲にして平和を得るのに必要なのは、「不法から逃げ出す臆病な態度」である。

 ――人格そのものに挑戦する無礼な不法、権利を無視し人格を侮蔑するようなしかたでの権利侵害に対して抵抗することは、義務である。

 この義務は同時に「国家共同体に対する義務」でもある。「利益という低い動機から始めて、人格の倫理的自己保存という一段高い見方に至り、ついに、国家共同体の利益のための権利=法理念の実現への個人の協力という最高の見方に達したわけだ」。

 国民の権利感覚を育てることは、国家の政治教育のもっとも重要な課題のひとつである。国民の権利感覚の発達が国家にとって対外的・対内的存立の確実な保障物である。

 

権利のための闘争 (岩波文庫)

権利のための闘争 (岩波文庫)