うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Growth recurring』Jones

 「成長の循環」もしくは循環する成長という題名の本。

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 イギリスの産業革命によって地球規模の経済成長がおこった、という定説は認めながらも、本書はより広い視野を提案する。成長のきざしは非西洋、前近代においても見られる。また経済成長は、障害物、とくに政治的な障害物が取り除かれさえすれば、どこでも可能だったはずだ、と著者は訴える。

 本書で使われる「経済成長」とは実質賃金の上昇を示す。健康、文化度など尺度の不明瞭なものは除外し、また先進国におけるサービス業の比率増大をかんがみて、工業化については、重視はするが成長の尺度には含めない。

 どうして英国、日本など限られた地域でしか経済成長がおこらなかったのか、その障害物、原因はなにか、を考えることで、経済成長を知ろうとする。さらに成長は、人類全体の賃金増加である外的成長と、一人頭の平均賃金の増加である内的成長とに分けられる。われわれの用いる経済成長とは内的成長のことである。

 平均賃金の増加はまたプロト工業化といわれる特徴もともなう。これは一〇~十三世紀の宋代や、江戸時代、中世から近代の西洋に起こった現象である。

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 そもそも産業革命という一例だけに適用される経済成長「理論」とは矛盾である。著者のあげる宋代や江戸時代も成長の例として考慮に含めなければならない。対して、明や清、オスマン帝国ムガル帝国では、内的成長つまり平均実質賃金の成長は抑制されていた。

 工業化と経済成長はイコールではない。工業化は成長の徴候にすぎない。産業革命といわれる現象は、実際は17世紀から19世紀にかけての漸進的なものであり、またイギリス中心でもない。実質賃金は少しずつ上昇していた。

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 では、クズネッツにつづくレイノルズが提唱した、外延的成長extensive growthと内延的成長intensive growthのうち、内延的成長はいつ誕生したのだろうか。人口が漸増するかぎり外延的成長は当然継続する。外延的成長はつねに存在した、では、どのように内延的成長に転じたのか?

 まず、人口が減る状態での成長とはありえない。これを認めればペストの時代を経済成長の時代と定義できてしまう、とクズネッツは言う。経済成長は通常、経済の構造的、制度的、分配的変化を伴う。GNPの上昇や、平均寿命の増大も成長に近い現象である。

 前近代史において覚えておくべきこと……人口の漸増、絶え間ない技術向上、総生産の増加は人口増加によって追い抜かれる、というマルサスの説に反する事例の存在。

 宋代と晩唐は産業革命的な特徴、経済成長の特徴を備えている。「莫大な貨幣鋳造、工業化があり、近代的成長に近い構造変化があり」、陶器や活字(movable type)、火薬や銃器、その他もろもろの技術革新があった。

 人間には自分の富を増やしたい、生活水準を上げたい、という普遍的な欲求がある。ならば、時代や場所によって発展に差が出てしまったのは、成長を妨げる要素があったからと仮定すべきである。

 歴史とは経済成長とたかり(rent-seeking)とのせめぎあいである。ウェーバーいわく、経済的利益を求めるという特徴はどの時代にも見られるもので、産業資本主義社会に限られるものではない。

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 古代における成長の兆候……従来の歴史家や、ケインズなどの説とは異なり、先史時代から、技術革新は絶え間なくおこっていた。停滞する東洋や中東という表現は、だから正確ではない。問題は、技術革新が必ずしも経済成長(=内延的成長)につながらなかった点にある。

 ケインズ的な、「近代西洋から技術は格段に進歩し経済も発展した」という世界観は不正確である。古代ギリシア時代から複雑な機械が発明され、古代インドや中東では優れた製鉄技術が生み出されていた。記録システムの不備により、こうした発明が一般化、普及されることが稀だったので、成長は緩慢だったのである。

 技術革新は通常戦争や奢侈の分野で進み、平均賃金、生活水準の向上には結びつかなかったが、例外がある……古代ギリシア、ロードス、ローマ帝国アッバース朝、そして宋代など。

 非ヨーロッパ世界、古代中世世界は技術と商業の栄えた、閉鎖的でなく開かれた世界だった。中国がヨーロッパのように大航海時代を迎えなかったのは、政治抗争のほかに季節風などの地理的影響があったためだとする説もある。

 こうした技術革新が経済成長に結びつかなかった理由として、古代においては技術や労働力が宗教施設や巨大遺跡、要塞などの非生産的なものに、政府の要求によって費やされたことがあげられている。経済・生産の分野でなく無駄な分野に使われた、ということである。成長の基盤は世界中で見られたが、これを妨げたのは「社会的、または政治的構造」であった。

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 宋の場合……西暦一〇〇〇年頃の宋代における鉄の生産量や鉄の価格水準は、18世紀のイギリスに匹敵するものだった。また科学は発展しなかったが、広範な分野において技術は発展した。宋の時代には内延的成長がおこったが、つづく元や明にはおこらなかった。

 神のひき臼……世界システム論者も英国論者も、すべての発展の起源をヨーロッパに求める点で誤っている。

 成長の基盤が世界中に存在したにもかかわらず結実しなかった理由を探らなければならない。

 18世紀の世界人口は清、ムガル、欧州、徳川幕府オスマン帝国、西アフリカとインドネシアに集中していた。人口密度では日本が群を抜いている。政治的安定に欠け、人口密度も薄く、科学技術を生まなかった西アフリカとインドネシアを除外したうち、内延的成長を達成したのは欧州、日本、宋代中国である。

 成長を阻むものとしてあげられる代表が価値観と制度だが、アジアの大家族制はときには経済を阻害するといわれ、シンガポールについてはビジネスのインセンティブとなるといわれるなど、確定的要素に欠ける。

 家族制度やカーストなどの慣習は、われわれが考えている以上に柔軟で変化するものである。さまざまなデータから、経済状況によって因習や慣習が変化することが示される。価値観、慣習はよって経済抑圧の決定要因ではない。

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 ヨーロッパにあってほかになかったものは侵略性である、という意見がある。現在の第三世界の不遇を帝国主義植民地主義のせいにするのは都合がいいが、著者はこの風潮を正しくないと考える。

 モンゴルは合理的な計画に基づいた殺戮のあと、税をとり、広域にわたる商取引を確立させた。にもかかわらず、成長は加速しなかった。モンゴルの侵略がもっともひどかったイランでは、現在にいたるまで「モンゴルがイランの発展を妨げた」という批判がなされている。ノマド流浪の民、ステップ民族の制度が強制執行された地域では、土地の私有が進まず、成長がおこらなかったと著者は結論付ける。タタールのくびきが経済成長を阻んだのである。

 また、アジア、イスラームの政府・帝国は搾取がひどく、経済が発展しなかった。これも「政治的、社会的障害」によって成長が妨げられた例である。

 イスラーム王朝では、政府の力が弱まったときに経済は栄え、また搾取・重税を逃れるため、中心となる都市は次々に変わった。中国においては伝統的に商業の力が政府よりも強かった。イスラームの政府、インド、中国の王朝では、政府と、不安定な体制が成長を妨げる主要因だった。

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 怠惰な国家……中国経済史の総括……中国は宋代以降、人口爆弾と完全に均衡した経済発展をとげた。人口増加に伴う総生産の増加がつづき、内延的成長つまり一人頭の分け前は増えなかったが、人口増によって分け前が減ることもなかった。つまり外延的成長の時代だった。中国は、ほかのものによって追い越されることが多かったが、発明に富んでいた。細かい技術革新は絶えずおこっていた。

 「中国とヨーロッパの歴史的システムにおける本質的な違いは、国家行動と市場のあいだの混合にある」。

 飢饉のとき、中国は政府主導の救済策をおこなったがヨーロッパは市場に任せた。中国の策は政府の手腕に依存し、持続しなかった。

 中国とイスラム圏への侵略は物理的な傷を残さなかったが、制度と価値観は保守的になり成長から遠ざかった。カーストおよびギルドは商業支配のために都合がよかった。東洋の政府は、拡大成長や公共の利益といった考えにおもいがいたらず、ただ支配者・権力者の欲するままに産業・市場は操られた。

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 日本およびヨーロッパの経済成長の要因を分析する。徳川幕府は政治的には厳格だったが、その分経済へのエネルギーをうながすことになったという。また参勤交代は都市(江戸)の市場を拡大させ、藩同士の取引もまた市場を広げた。こうした市場盛り上げは戦国時代から続いていた。徳川幕府というゆるやかな経済成長の時代があったからこそ、明治があったといえる。

 ヨーロッパは複数の政治主体からなるため日本より複雑である。しかし、大きくキリスト教圏でくくって分析することは可能である。経済成長はそれぞれ、日欧で同時に起こった。どちらもアジアの主大陸から見れば辺境であり、技術や慣習は借り物だった。

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 民族や文化による慣習、風習、宗教ではなく、政治的な征服や制度の押付けこそが経済成長を妨げる確実な原因である。このことが全編を通じて強調される。

 

Growth Recurring: Economic Change in World History

Growth Recurring: Economic Change in World History