ワールドカップでクロアチアが脚光を浴びたのを受けて、またバルカン半島の歴史に興味が湧きました。
今読んでいるのは、デイトン合意(ボスニア内戦に関する停戦合意)をまとめたアメリカの役人の著作です。
- 作者: Richard Holbrooke
- 出版社/メーカー: Modern Library
- 発売日: 1999/05/25
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国務長官ウォレン・クリストファーの元で、補佐官として働いた著者が強調しているのは、内戦の原因を追求することの重要性です。
ボスニア紛争は、異なる民族・異なる宗教同士の宿命的な対立に起因するのではなく、民族憎悪を煽った当時の政治家・メディア・ギャングによって引き起こされたものということです。
クロアチア独立国(第二次世界大戦時の親ナチス政権)についてよく調べなければと思い、以下の本を読む予定です。
クロアチア極右組織ウスタシャ(親ナチス政権の母体)によってつくられた収容所の回想録と、その概要について述べた本です。ヤセノヴァツ収容所では多数のセルビア人やロマが殺害されました。
44 Months in Jasenovac (English Edition)
- 作者: Egon Berger
- 出版社/メーカー: Sentia Publishing
- 発売日: 2017/03/16
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Jasenovac and the Holocaust in Yugoslavia
- 作者: Barry M. Lituchy
- 発売日: 2006
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バルカン半島の一部を旅行した自分としては、どの国に肩入れするというわけではなく、もっと詳しく知りたいという気持ちです。いずれ、セルビア、コソボ、マケドニア、アルバニアも旅行しようと考えています。
クロアチア代表の健闘を受けてわたしもサッカーボールを蹴ってみましたがすぐに筋肉痛になりました。
◆大きな島
無職としての暇な時間を利用してハワイ島に行ってきました。
ヒロ、コナといった主要な町のほか、ジープを借りてマウナケア山頂のすばる天文台見学にも行くことができました。
普段、オアフ島でニート生活をしている中でも、たくさんの日本人名字の方に会う機会があります。かれらの多くは日本語を話しませんが、とても親切に声をかけてきてくれます。
免許センターでたまたま隣になった方はカリフォルニア出身で、子供のときに真珠湾攻撃が発生し、収容所に入れられた後、解放されて帰ってみると、自分たちの土地をすべて隣人に取られていたそうです。
多くの日系移民は、国家の後ろ盾がない中で大変な苦労をされてきたという印象を受けました。
バックグラウンドが日本・韓国・中国・フィリピンなど混合していることも多く、「何民族、何民族」と詮索するような次元ではないと感じます。
しかし、ハワイには差別がないわけではなく、特に白人とハワイ人との間には対立があるとのことです。
わたしの無職仲間(ジョージア州出身)から聞いた話では、知り合いの子供が学校で「肌が白い」といっていじめられ、頑張って日焼けしたが赤くなってしまい、変わらずいじめられたそうです。
理由はわかりませんが、わたしは人種差別に対して、本能的な嫌悪を覚えます。子供の頃から理屈ではなく感情的に拒否感が湧いてきます。
外国人に対する心ない言動を聴くだけで不快な気分になります。どこに行っても、特定の人種・民族・宗教を攻撃する人は一定数います。わたしはいま外国に住んでいますが、幸運なことに、身の回りの人びとはこうした偏見を持っていません。
私は自分の国と自分の国の住民が、外国人や他人種に対し公平であってほしいと思います。人種差別が常識であるような国であってほしくないと思います。
◆兵隊的なおもいで
遠い昔、兵隊ごっこの国で働いていたときに、わたしたちは脳髄精神の教育と称して、テキストを参考に脳髄運動の正しい用法を学びました。これは兵隊的な動きの教義を記したもので、シリコン兵隊組織体で出世するためにはこの脳髄テキストの一言一句を暗記して試験で運用しなければならなりません。
実際にはこのテキストは、古い軍隊で使われていたものをそのまま流用したにすぎず、表記以外はほとんど変わっていませんでした。
この古い軍隊は劣悪で、ぼろ負けして消滅しました。
神保町には、古い軍隊が使用していた教程等を取り扱う古本屋があります。古い教程を読んでみると、わたしが昔働いていたときのものとほぼ同一なので驚きました。
兵隊ごっこの総本山で働いていたときに、機械の修理をするということで、昔のいわゆる海軍軍令部に入ることがありました。
会議室には、壁一面に零戦の飛び交う、大きな絵が飾ってありました。わたしは機械を直しながら、自分は70年前にタイムスリップしたのではないか、という錯覚に陥りました。
わたしたちを監視する担当者が、感じが悪かったのも相まって、作業が終わったあとに先輩(わたしも先輩も海の兵隊ではない)と、「あれだけぼろ負けしといていまだにあんなのをありがたがってるのか」と話した記憶があります。