矛盾を多く抱えた国家について解説する。
アメリカの同盟国であると同時に、9.11実行者の大多数を輩出し、また冷戦期にビンラディンやアフガン・アラブを支援した国でもある。
日本人の視点からは非常に不思議な社会であり、抱える問題もわたしたちとは異なる。
0 パラドクス
サウジアラビアはワッハーブ派といわれるが、これは蔑称である。18世紀にアブドゥル・ワッハーブが提唱した宗派は柔軟で革命的なものだったが、現在サウジアラビアで施行されているものは全く異質の教義である。
サウジアラビアは、世俗化することなしに近代化を行った。近代的な産業が発達する一方で、宗教警察である勧善懲悪委員会が市民のふるまいを監視している。
都市は富裕層が多く居住する一方で、スラムが存在する。また、テロリストの問題は9.11(同時多発テロ事件)をきっかけに噴き上がったが、サウジアラビアでは、それ以前から国を悩ませる問題だった。
1933年の国家成立後、当初メジャーによる経営だった石油生産は、徐々にサウジアラビアの手にわたっていった。
1960年にはサウジアラビアの生産決定権が増し、1980年には、石油会社アラムコが国営化した。
1 王族
・フェイサル国王(1975年暗殺)
・ハーリド国王(1982年死亡)
・ファハド国王(2005年死亡)
・アブダッラー国王(病気がちの王に代わり実務を担当していた、2015年死亡)
・サルマーン(2016年現在国王、認知症)
・ムハンマド・ビン・サルマーン(皇太子、実務担当)
サウジアラビアとは「サウード家のアラビア王国」を意味する。イランやイラク、エジプト、リビアの王制は打倒されたが、サウジの王族は存続した。
王族は歴史が古く、また数は2万人以上存在する。
王族は、閣僚ポストのみならず外交・治安・軍事、また地方行政の隅々まで配置され、反乱やクーデタを未然に防止している。
王族のほとんどはビジネスに関わっており、例えばワリード・ビン・タラール王子のキングダム・ホールディングはアラムコを除けば国内最大の企業である。また、ファイサル元国王の一族によるファイサリーヤ・グループも巨大である。
王族の企業は新聞やテレビ放送を牛耳っている。
王族は、コネと口利き、賄賂を使い、サウジアラビア経済を支配する。
国王は政治的・宗教的な最高権力を持つが、王族会議や部族代表による合議制に基づいており、独裁的な力を振るうことはできない。
2 石油の力
サウジアラビア経済は石油に依存しているが、現在、石油価格は市場と海外の動向に左右される。
また、1人当たりGDPは、同じ産油国であるカタールやドバイよりもはるかに低い。理由は、サウジの人口が急激に増加したためである。
サウジアラビアの人口統計はあてにならないが、現在も高い出生率(7人)を記録しており、このまま人口爆発を続けた場合、石油経済では国民を賄うことができなくなるだろう。
石油に依存しない経済の多角化が行われているが、前途多難である。
また、特に若年サウジ人の失業は深刻である。にもかかわらず、数百万人の外国人労働者がいるのには理由がある。
――おそらくアンケートに答えた管理職側の人間もサウジ人だろう。サウジ人みずからが、サウジ人労働者は勤務態度が悪く、定着せず、規則を遵守せず、経験がなく、外国語ができず、配置換えも賃金カットするのも難しく、生産性が低いと認めていることがわかる。
若者の失業率の高さを改善するために、各業界・分野において外国人労働者の比率を減らす「サウジ人化」政策がとられたが、うまくいかなかった。経営者側は、使えないサウジ人の若者を高い給料で雇いたくないし、サウジ人側には、グレーカラー、ブルーカラーの仕事・職人仕事に対する忌避が強かったからである。
――サウジでは、働いているのか、休憩しているのか、あるいは邪魔しているのかよくわからない人たちをよく見かける。
こうした社内失業者を雇うことが、家族社会と同様にセーフティーネットとなっている。
サウジ人が労働市場で価値が低い原因は、教育と経験の不足にある。教育は宗教家たちが管理してきたが、近年は職業に役立つ訓練を取り入れるよう変化しているという。
3 変わりゆく社会
教育問題……
・識字率が7割程度
・小学校中退が多く、高卒も13パーセント程度
・宗教に傾いた、しかも偏向した教育内容
――イスラエルの存在が影を落としているのだろう。ユダヤ人に関しては、欧米ではまともに相手にされない陰謀論がまかりとおる。たとえば、高校1年生の教科書にはフランス革命も共産主義もユダヤ人の陰謀だといった説が記されている。
異教徒の根絶、ジハードの義務等、教科書の内容はアルカイダの主張とほぼ同一のようだ。
教育が過激化した原因は、1979年のマッカ占拠事件にある。教育に過激な要素を取り入れることで宗教界をなだめ、王制への不安定要素をつぶそうとした。
また、エジプトやシリアの世俗政権に追い出されたムスリム同胞団員を難民として受け入れ、教育職につかせた。
あわせてソ連のアフガン侵攻に聖戦士たちを送り出すことで、国内不満の沈下を図った。かれらはアフガンから帰ってくると、国の厄介者になり、居場所を失った。
湾岸戦争をきっかけに政治改革運動、デモが生じ、政府はこれを抑え込んだ。さらに、聖地における米軍駐留に宗教界が反対し、また一部の過激派であるアルカイダの発生するきっかけになった。
4 リヤドの春
9.11をきっかけに、政府は教育改革、テロ対策に手を付けた。
政府は宗教界をコントロールしきれなくなり、改革を提言し政府を批判する宗教家たちを弾圧した。ほぼ同時期に、サウジ国内でのテロが再開し、やがて9.11につながる結果となった。
9.11以後、政府は欧米からの自由化圧力と、国内の宗教強硬派の双方に配慮しなければならなくなった。
イラク戦争前後には国内で自爆テロや銃乱射、誘拐斬首が頻発し、当局は対応に追われた。政府は過激なウラマーを逮捕し、また慈善団体への資金監査を厳格化した。
2005年には、地方評議会選挙が全国で行われた。その結果は次のようなものだった。
・国民の大半は無関心だった。かれらの関心は、地方評議会ではなく諮問評議会(国政)にある。
・新聞やインターネットで比較的自由な言論が生まれた。
・大都市では部族ネットワークが機能しなかった。
・イスラーム主義者は危機感を抱いた。
5 未来への道
サウジアラビアは過激派と西欧文化にあこがれる若者、テロ・宗教警察と豊かな生活、ワッハーブ派エスタブリッシュメントとリベラルが併存する国である。
ある研究によればサウジ人の6割はノンポリであり、思想的な分布は次のように示される。
・テロリスト
・ジハード主義者
・タクフィール主義者(背教徒宣言をし殺害する勢力)
・扇動のウラマー
・保守強硬派
・穏健派(改革派)
・無関心
・リベラル
2005年現在、政府は、宗教勢力を刺激しないように、漸進的に改革を進めているようだ。
サウジアラビア―変わりゆく石油王国 (岩波新書 新赤版 (964))
- 作者: 保坂修司
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/08/19
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