本書の目的:陪審制度との比較により裁判員制度が誰のための制度かを論じる。
「陪審制度は個人を公権力から守る最後の砦であるのに対して、率直に言って、私が見る限り、裁判員制度は裁判官と国民が一緒になって悪い人のお仕置きをするかどうか決めるための制度である」。
日本の司法制度は一般国民をバカで幼稚だとする前提から成り立っている。
著者はアメリカ人弁護士であり、「政府は信頼できず、役所は法や制度を最大限悪用する」という前提に立ってものを考える。
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1 日本の法律制度
法律は他人の権利を規制するためにある。
「ある法律が誰のためにあるのかを知るには、その法律が誰の自由を制限し、誰に裁量の余地を残しているかが重要なヒントになる」。
日本の法律は役所のためにある。役所は自らの威厳と効力を最大化させるため法律を作る。あいまいな定義は役所の裁量と柔軟性を高める道具となる。
法令を市民が守るかどうかはその役所が執行しているかどうかに依存する。
裁判員制度では、そのような役所の裁量に関わるような微妙な事件は取り上げられず、制度が使われるのは殺人や放火といったわかりやすい事件だけである。
日本の人権は公権力が保障するものではなく国民が自主的に守るものであると考えられている。
――……これらの「守ろう、なくそう」という一種の呼びかけは、どう見ても公権力に向けられたものではなく、「人権感覚が欠如している国民」に向けられたものに読める。
裁判官は組織の中におり完全に独立していない。また刑事事件の有罪率は99パーセントであり、裁判官は推定有罪の思考に染まっている。なので裁判所の任務は量刑を決めることである。
裁判所は力の弱い官庁の1つであり他省庁の縄張りには触れないようにしている。
――……日本で冤罪事件が起きるのは、検察官や警察官が悪い人たちだからではなく……彼らがほぼ全員、勇断が報われないお役所の有様に束縛されている、善意と良識のある人々だからこそである。
2 陪審制
アメリカは州によって制度が異なるため一般的な説明にとどまる。
大陪審は23人で構成されその案件が起訴するに価するかどうかを判断する。また、大陪審の判断のみによって起訴することもできる。
小陪審は6名以上12名以内で構成され、民事、刑事ともに扱う。有罪無罪判定がその機能であるため有罪を認めた事件は扱われない。検察官、容疑者、弁護士が司法取引によって合意した場合そこで裁判は終わる。
陪審の目的は権力の抑制である。陪審が無罪を出した場合検察は上訴できない。歴史上、陪審は地方の調査機関として生まれた。やがて、裁判官と国家の恣意的な権力行使を抑制する機関として働くようになった(ブッシェル事件とウィリアム・ペン)。
陪審は法律を無視する力がある。英米法の考え方によれば法律は正義を実現する手段の1つでしかないため、法律に従っていても正義にならなければ意味がない。よって法律に背く、陪審による判決も、それが正義にかなっていれば評価される。真実は神にしかわからないが、陪審は少しでも真実に近づく手段となる。
3 裁判員制度の謎
裁判員制度の趣旨……「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続きに関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」。
裁判員資格には法律に無知であるという条件がある(法曹関係者は資格がない)。著者の予測では裁判官と裁判員との上下関係を維持するためである。
国民に義務を課し役所の裁量を担保するという法律の特徴が裁判員法にも表れており、裁判員は品位を保ち、公正誠実に職務に励み、意見を述べなければならない。
裁判官と裁判員の話し合いが密室で行われることで、裁判員が都合のいいように誘導される恐れがある。裁判員には守秘義務が課せられるため密室での出来事を話すこともできない。
――……裁判員に課されている守秘義務は、裁判官による法律の説明との関係で意味が大きいと思う。……つまり、裁判官としては被告人か検察が上訴した場合、上訴審で外から「裁判員がこんなとんでもない法解釈論を聞かされた」という批判をされるのはきっといやだろうから、それを不可能にしているこの守秘義務のメリットは大きい。
裁判官には否認権があるため裁判官の賛成がないものは多数決採用されない。
――だとすれば、裁判官と裁判員が有罪か無罪で対立した場合、裁判官の味方になってくれるのは、不真面目でも何でもいいから早く帰りたい裁判員で、真面目に義務を背負い、良心に従って最後まで「ノー」という裁判員は、迷惑で無視してもいい存在になることが少なからず起こるだろう。もしそうなれば、ちょっと悲しい制度になってしまう。
裁判員制度は裁判員が「形だけ」参加するよう設計されている。また、検察は上訴することができ高裁では裁判員制度は使われない。
4 裁判員制度は誰のものか
裁判員制度は裁判官のためのものである。その第1目的は、裁判所に対する批判を減殺することにある。また、国内外に対して法制度が整備されていることをアピールすることもできる。
しかし、制度は使う人間と運用方法によって良い方向に行く可能性も秘めているという。
著者は裁判員制度に反対しているが、根本的な姿勢は政府と役所を疑うという点にある。当該制度の実態はよく調べないと意見できないが、本書に貫かれている思考に完全同意する。
無職としての経験をとおして、わたしは役所が日常的にうそをつくこと、形と書類だけを整えること、特別やましい気持ちもなく税金を無駄にすることを学んだ。