うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『アフリカ創世記』ロバート・アードレイ

 ドーキンスデネットか忘れたが、別の生物学の本では否定されていた説。

 

 "African Genesis" 、よくわからぬ経緯で手に入れた本。

 動物の行動について本格的に研究がすすめられたのは二〇世紀に入ってからのことである。一方、アフリカでアウストラロピテクス・アフリカヌスの発見にともない、それまで定説とされていた人類のアジア起源説が覆されたのも前世紀初頭である。人類の起源と動物の特性にかんする科学者たちの革命を題材に、人間性への新しい接近法を唱えたのが本書である。

 かつてイタリアの僧侶は「社会は人間の産物である」と書いた。これは神権と王権に基づく中世の世界観を根本から否定したものだった。社会は人間の産物であり、人間は社会の産物である、この新しい考えは啓蒙主義に結実する。そして二〇世紀、人間の行動は動物的本能に基づくものであると主張するものがあらわれた。人間は神と王から自分たちを奪還したが、それはまた生物の系譜、遺伝と進化の力によって奪われることになったのだ。

 アードレイによれば、人間社会の根幹をなす階級制度や私有財産制、国家に象徴されるなわばり(Territory)の意識は、すべて動物がもっていたものである。そして人間の闘争本能・攻撃性は、捕食性動物たるアウストラロピテクスから継承したものなのである。

 この原人、殺戮類人猿は精密な武器を使い他の動物を駆逐し、自らは進化していった。人間が武器をつくったのではなく、武器が人間をつくりあげたのである。武器と人類の関係は後に詳しく書かれる。

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 以下、動物の習性のなかでも人間に受け継がれているものを列挙していく。

 ――鳥が歌うのは平和や喜びの表現ではあんく、すべての鳥の歌は、すくなくともその大部分は、実際的な目的のために歌われるのだ。

 ヒトを含む脊椎動物はほぼ例外なくなわばりという習性をもつ。なわばりの面積や性質は動物によって種々多様である。人間と同様、特権階級の鳥とプロレタリア階級の鳥が存在する。

 霊長類は性、なわばり、大きい脳、ひ弱な体という四つの要素で特徴づけられるが、これが彼らの(われわれの)社会制度の発達にむすびついている。

 なわばりをつくるものはそのなかで権勢をつくる。各個体には序列がつけられ、上位のものは下位のものをつつくがその逆はない。低位のメスが上位のオスの伴侶になった場合、メスはこれまでと異なる地位につくことで権勢を振るうことができる。コクマルガラスのよく知られた逸話は、山本七平の描く日本軍にも劣らぬ事大主義の光景を伝えている。とはいえ権勢は動物たちの集団生活を円滑にするために欠かせない機能なのだ。

 その権勢が逆に種にとって悪い影響をおよぼすことがある。アードレイによれば、捕食者としての絶大な力を手に入れた種は過度の権勢に悩まされるという。序列争いによって若いオスを殺しすぎるライオンや、人間がその例である。

 ――なわばりの本能が、動物のノスタルジアと呼んだ、理解できないある種の原始的な力の表現であるのと同様、権勢もなんらかの原始的な力の表現なのであろう……出っ歯の独裁者の歯をむき出した怒りの顔。若いライオンたちの死。火葬場とユダヤ人の死体の焼ける匂い。つつきに負け、性的不能となる雄鶏。威張り散らす学童。鋭い敵意に満ちた視線を向けるコクマルガラス。名もない谷間で、鼻を高くかかげて咆哮する巨象――いや、それは私自身の記憶にない古い魂の隠れた奥地から高鳴るトランペットなのだろうか。

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 人間は生まれつくと自分が世界の中心にいるのだと考えるが、成長するたびにそのイメージは限界によって崩されていく。それでも人間の一生はこの「中心の謬見」を取り戻す試みに費やされるのだ。

 

 人類もまた自分が中心にあるように錯覚する。人類の生態の起源がすべて自らのうちにあると考えたのが啓蒙主義者たちだった。ルソーは野蛮の状態にこそ本来の人間の善性があり、文明こそが人間を腐敗させたのだと考えた。この考えに直接影響を受けたのがマルクスだった。彼は自然人を腐敗させたのが私有財産制という誤った制度だと考えたのだ。

 しかしこれらは人間起源の誤解から抜け出せていないとアードレイは言う。そもそも人間の生態の大方は動物からつづくものなのだから。

 ――もし、世界中の人びとを包含する一つの組織をつくるとして共通のきずなを求めれば、それは人間とは何かという問いに対する無知ということになるほどのものなのである。

 では人類を人類たらしめる最大の特性とはなんなのか? 初めて発見されたアウストラロピテクスの顎は、何者かの一撃によって右側を粉砕されていた。彼らはカモシカの大腿骨を武器に用いていたとしか考えられなかった。ヒトの生態たる道具の使用とはつまり武器の使用である。文明は様々だが武器のない文明はない。われわれ人類に特有のものとは武器なのだ。

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 良心の起源はなわばりにあり。なわばり習性のもつ友敵のイメージが良心を組み立てたのだ。人間の特性が動物に由来するということを肯定的に考えれば、それは矯正しうるということである。われわれが防壁をつくり武装し、財産をめぐって闘争するのは、神によって与えられた罪によるのではない。天与のものでないということは、われわれ自身の規範によって抑制できる可能性もあるのだ。

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 欧米の本にはこの本のような預言者風の口調が多く見られる。

 大脳第一主義。なわばりと階級制を失ったマウンテンゴリラは亡ぶ運命にある。
南アフリカでのアウストラロピテクスら類人猿の発見は混沌としていた。アフリカ育ちの野人的学者が次々と新種発見を宣言し、欧州の学者が苦心してそれを吟味するということが繰り返された。

 

アフリカ創世記―殺戮と闘争の人類史 (1973年)

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