文学批評といっても、現代の論文作法にのっとったものではない。古典研究者であるクルティウスはまず古典古代に価値を見出し、現代をあわただしい不毛の時代と考える。
ある視点から見ることでも批評はおこなわれる。
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ウェルギリウスは永遠の転変を描いている。彼の詩はローマという時代・国家に制約されない。彼の描く黄金時代は時代を超えており、やがてダンテに受け継がれることになる。『アエネーイス』の力は言葉の組み合わせとリズムにあるので、ホラティウスやホメロス、シェイクスピアと異なり翻訳は不可能である。
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文学批評とは、「文学を対象とする文学」である。
フランスにはサント・ブーブが、イギリスには「タイムズ・リテラリー・サプリメント」があったのに対し、ドイツにはゲーテの時代を除けば文学批評が存在しなかった。クルティウスによれば文学批評はドイツにおいては衰退したのであり、文学は「世界観」を構築するものとして消費された。ドイツにおける文学批評の衰退は考察に値する題材である。ここでは著者は批評家としてのゲーテの功績を並べていく。
ゲーテは自然科学を足がかりに世界観を築いた。たとえば色彩論における光の役割を、文学における美を理解するための比ゆとして用いている。彼は晩年には「自然科学だけに関心がある」という趣旨のことばももらしていた。
ゲーテはまた世界文学という概念の提唱者でもある。これは彼が晩年、ペルシアのハーフィズなど東洋の詩を知ったことで生まれた。ほかに機会詩という概念を生み出した。本来、機会詩とは古典古代に用いられたことばである。機会詩とは、行事や祝祭のときに賛辞をのべる雄弁家の詩のことである。ゲーテによれば、単に自分の感情を吐露するだけでは詩人ではない。経験をもとに言葉をつくり、世界をつくりだすものこそ詩人である。この経験がつまり機会である。
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ゲオルゲとホフマンスタールは双方ともロマン文学(フランス、イタリア、スペイン)から大きな影響を受けたが、その解釈の仕方は異なる。ゲオルゲは当時のドイツの潮流に馴染めず、フランスの象徴主義やイタリア、スペイン文学に憧れを抱いた。
一方ホフマンスタールはラシーヌからユーゴーまでのフランス文学を包括的にとらえた。ホフマンスタールは包括的であり軽蔑することがほとんどなかったのに対し、ゲオルゲは「大いなる軽蔑者」だった。ゲオルゲはホフマンスタールを否定したが、それは「日常の現実に対して秘教的な反世界を対置しようとする巨人的な野心」だった。
ホフマンスタールはドイツ文学の授業をとったときからいまいち共感できなかったが、彼の唱える「世界の連関」は、カルデロンから影響を受けている。
――イギリス、フランス、ドイツの演劇は、深い構成上の差異にもかかわらず、人間についての共通な見解によって結ばれている。人間がこの劇の中心点である。人間は悲劇の主人公として最高の品位に高められる。この主人公は個性的な特徴をもっている。彼は「性格」である、一人だけしかいない人物である。そして彼の性格が彼の運命である。
一方、カルデロンの劇は「人間を中心としておらず、人間はいつも宇宙的な、そして宗教的な結びつきのなかで動いているからである。人間を規定するものは星辰の飛翔であり、より高い面から見るならば、神の恩寵と人間の自由の神秘的な絡み合いである」。
ダンテとカルデロンはキリスト教の世界像全体を示した詩人と劇作家であり、これを達成したのは二人だけである。ダンテは緻密な計算とリアリズムに基づき、カルデロンは混沌とした二百あまりの劇作品(無限の芝居)において世界を表現した。ホフマンスタールはこの世界像を受け継いだ最後の旧ヨーロッパの詩人だった。
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ヘッセの『ガラス玉演戯』評に関しては、作品を読まないとなんともいえない。ヘッセ自身は、遊びと怠惰に長けており、明白にゴルトムントやギーベンラート、クヌルプの側の人間だったようだ。
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バルザックはリアリズムの作家ではない。芸術における写実主義は、十九世紀に限らずどの時代、どの地方においても認められる傾向である。バルザックは、フローベールのような「芸術のための芸術」、芸術的形式の完成を目指した作家ではなかった。彼は社会全体を連作小説のなかに押し込めようと試みた。彼は権力、金、愛欲などあらゆるかたちであらわれる欲望を表現しようとし、またそうした欲にあふれる現世を肯定した。この態度は厭世観で満ちた十九世紀文芸のなかでは異質のものだった。
クルティウスはバルザックを、ホメロス、ダンテ、シェイクスピアと並んで「偉大」の範疇に入る作家だと考える。
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オルテガ・イ・ガセットはスペイン論を多く書いている。スペインは中心からはずれた国であり、優れた者、少数者にたいするやっかみの激しい不毛な国であり、民衆は無知蒙昧で、貴族はいなかった。行政・官僚・教会が腐敗し、政治からはだれもなにも期待していなかった。第一次大戦後のときから、わが国では人物は払底した、というのがスペインの決まり文句だった。
オルテガの評論は生と理性の融合を目標としていた。彼の著作は「新聞の記事やエッセイ」の類で、専門家からは軽蔑される傾向にある。
しかしオルテガによればこうした著作は人間が内的規律をもつために必要なのだ。二〇世紀に入り、ヨーロッパは自らの文明を信用しなくなった。文学はまじめに受け取られなくなり、芸術や哲学も同じ運命をたどった。オルテガはこの潮流に危機感を抱き、真剣な遊び(数学、倫理、哲学)の重要性を唱える。
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エリオット論、「アルゴナウテース達の船」、はあまりに専門的すぎて理解不能だった。エリオットについては原典を読まないとなんともいえない。
クルティウスはトインビー『歴史の研究』を、近代的方法に基づいて歴史観を構築した最初の人間だと賞賛し、それ以前のランケやヘーゲル、シュペングラーとは区別している。本書に載っている『歴史の研究』の概観によると、文明形態学とはやはりシュペングラーやサイクル史観に近い文芸的なものらしい。
「フランス小説に関する覚え書」で、小説の未来を案じている。十九世紀の重厚長大小説は読まれなくなったが、アメリカではダイジェスト版が発行されている。ジョイス、プルーストら微小分析の作家と、ベンやジードの晩年の作という二つの可能性をあげているが、後者のことを自分は知らないので調べる必要がある。