状況報告や状況説明とは異なることばの使い方が多く、理解しにくい箇所が多い。ほとんど状況がつかめずに話が終わるものもあった。
表題作はまったく頭に入らず投げた。その他の短編も、話は頭に入らなかったが、ことばが独特だったので記録しておく。
***
「縁日のあと」
ホームレスのような子供がメリーゴーラウンドを起動させる話。
――この市をくまなくさがしても、少女の眠る場所はどこにもなかった。ある場所は、あまりに静かすぎたし、べつのところは鼠がうるさかった。占星術師のテントのすみには、わらがあったが、さわったとたん、ごそごそ動いた。そのわきにひざをついて、手を伸ばしてみた。少女の手のうえに触れたのは、赤ん坊の手であった。
――そのうちに、キャラバンの人びとが起きてきて、機械仕掛けの馬にまたがり、高まりゆくオルガンの音楽にあわせて、ぐるぐる、ぐるぐるまわっている、太っちょと赤ん坊を抱いた少女の、黒い影を見た。
「敵たち」
どこかの庭の話。
――庭の紐につるされた服は、奇妙なダンスを始めているであろう。そして子宮におぼろげな形を宿した女たちは、湯気の立つ桶にかがみこむとき、新しい鼓動を感じるであろう。いのちは血管に、骨に、束縛する肉体ぜんたいに行きわたるのであろうが、それらには、緑の草の肉体で家を束縛している谷と同様、移りゆく季節と天候があるのだ。
「木」
前の短編と似た舞台における、木についての話。
――家はこどもの気分にしたがって変化した。芝生は海だったり岸だったり空だったりした。なんでも望むものになるのだ。
園丁は木についての物語をだれかに聞かせる。
――園丁はバイブルが好きだった。太陽が沈み、庭が人びとでいっぱいになると、彼は小屋にろうそくをともしてすわり、最初の愛の話やりんごと蛇の伝説を読むのだった。しかし、木のうえでのキリストの死こそ、彼の最も好きな話だった。……彼の世界は、春が枝枝に動き、裸木を変えてゆくにつれて、同じように動き、変化した。彼の神は、りんごの形の土の上から生えた木のように、神のこどもたちにつぼみを与え、神のこどもたちを冬の微風によってそれぞれの場所へ吹き飛ばしながら、大きくなっていった。
――目を閉じながら、彼は、この世にいない小鳥たちがしがみついている初めにありき、の木が、たったいっぽん、火のように明るく立っている庭のくらやみよりも、なお深いやみの洞窟がぐるぐるまわっているのを見つめていた。
東から来た白痴が何かをしようとしている。
――にわとこの木じゃな、と園丁はいったが、そのときこどもが箱から立ち上がり、たいそう大きな声で叫んだので、修理ちゅうのまぐわはかたんと音をたてて床にころげた。
――園丁がはりつけ台の12の足場の話をしているとき、その木は少年に大枝をゆすってみせた。使徒の声が、タール分でおおわれた老人の肺から出た。
そこで人びとは、キリストをひとつの木にかけ、その腹や足に釘を打ったのじゃと。
長老の木の幹のよごれた樹皮には、正午の太陽の血があった。
――やがてこどもが、木のしたに、天気の拷問を偉大な忍耐力で耐え、風におもうまま髪をなぶらせ、口もとに悲しげな微笑をたたえている白痴に気づいた。
「訪問者」
――ライアノンは死者の付添人で、口のかけたコップを死人のくちびるにつける役だった。
――病人は訪問者を待った。ピーターはキャラハンを待った。彼の部屋は世界のなかの世界だった。彼のなかの世界はぐるぐるまわり、ひとつの太陽が彼のなかに昇り、ひとつの月が沈んだ。キャラハンは西風であり、ライアノンは西風の冷えを、タヒチからの風のように、吹き落とした。