うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『極秘特殊部隊シール・チーム・シックス』ワーズディン

 ◆メモ

 「ビンラディン暗殺!」と表題に書かれているが、冒頭の数ページのみであり、出版の際に急きょ付け足された感が強い。セイモア・ハーシュの報道で八百長と噂になった、疑惑の作戦を解説する。

 本の大部分は著者の自叙伝である。SEALでの勤務内容や、著者の半生が書かれている。本人の素朴な人間性がうかがえる。

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 米海軍SEAL(海・空・陸特殊作戦部隊)の中のエリート、SEALチーム6に所属していた兵隊による本。

 SEALは陸軍のデルタ・フォースと同種の部隊で、対テロリズム・反政府活動鎮圧を目的とする。

 チーム6はSEALの中でも存在秘の部署で、現在はDEVGRUと呼ばれ、SEALからは独立したようである。 

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 1

 著者はフロリダで生まれ、ジョージア州で育った。良心は敬虔だったが家は貧しく、義理の父からは体罰を受けた。

 大学に進んで1年半後、学費が払えなくなり、SAR(捜索救難員)を目指して海軍に入隊した。

 捜索救難課程を修了し、航空機搭乗員として勤務した。除隊前にSEAL隊員たちと出会い、薫陶を受けた。かれは再入隊しBUD/S(Basic Underwater Demolition/SEAL)訓練のための試験に合格した。

 訓練の冒頭で必ず教えられる劣等生トーマス・ノリスのエピソード……ノリスは訓練で常に劣等だったが、ベトナム戦争において勇気を発揮し、仲間の救出を行った。かれは名誉勲章Medal of Honor)を授与された。

 精神と肉体を鍛えるBUD/S訓練では、特にメンタルが重要となった。

 著者は子供時代の厳しいしつけが、不屈の精神を養ったと回想する。

 

 ――しかしながら、降伏は戦いをやめることであり、戦いをやめるという選択肢はないというのが、SEALの考え方だ。アメリカに対する政治取引の材料に使われるのは、まっぴらごめんだ。檻に入れられて餓死したり、インターネットで世界中で流すために首を斬られるのもごめんだ。敵がおれを殺したいのなら、いまここで殺せというのが、私の心構えだ。

 

・戦術訓練……BUD/S修了後の、具体的な戦闘・工作技術のトレーニン

・他国の特殊部隊との交流訓練

湾岸戦争……砂漠の楯作戦、砂漠の嵐作戦への参加。

 

 シュワルツコフ将軍は、英国のSASばかりを使い、SEAL等特殊部隊を使わなかったとして批判されている。「かれはイラク軍の石油放火能力を見くびっていた」。

 特殊部隊員は、自分たちの乗り越えた訓練や経験を誇りに思っているため、どうしても天狗になりがちである。しかし、他の職種や軍種の協力がなければ何も成し遂げることはできない。

 

 ――おなじ軍隊にいる人間を粗末に扱えば、いずれその報いがわが身に返ってくる。

 

 SEALチーム6は、SEALの中でも存在を秘匿されているエリート部隊である。SEAL隊員たちは、皆チーム6に行きたがっていた。

 著者はチーム6に志願し、訓練課程に送られることになった。

 

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 2

 かれはチーム6のメンバーになるための訓練を修了した後、ソマリア内戦に派遣された。

 

・チーム6での訓練

海兵隊スナイパー学校への入校

ソマリア内戦

 クーデター後、アイディード率いる民兵と対立部族が戦争を続けていた。

 

 イタリアは、ソマリア旧宗主国である。本書では、イタリア軍はアイディード派を陰で支援し、米軍をだます卑怯者として描かれている。

 国連も、無能であり、また民兵と陰で通じているとして非難される。

 SEALチーム6は、JSOC(統合特殊作戦コマンド)の指揮下に編成され、CIAや他軍種特殊部隊との協同作戦、パキスタン軍との共同作戦を行った。

 CIAは現地に秘密基地を作り、「アセット」と呼ばれる現地協力者を活用し情報収集に努めていた。

 著者は陸空軍の特殊部隊に対抗意識を燃やしているが、同時に高く評価している。

 

 ――CCT(戦闘統制班Combat Control Team)は空軍の特殊作戦地上誘導班で、戦域にパラシュート降下して、地上で、偵察、航空交通管制、火力支援、指揮・統制・通信を行う。……おなじく空軍の特殊部隊であるPJ(Palarescue Jumper)は、敵地に墜落した航空機の搭乗員を救出して医療を施すことに重点を置いていた。

 

 ――空軍のCCTやPJは、建物強襲の技量は身につけていないが、それぞれの特技では専門家で、SEALやデルタの戦闘員よりも技量のレベルが高い。

 

 ――SEALでは、下士官が士官といっしょに訓練を受けるのは、先祖である第二次世界大戦のフロッグメン以来の伝統だ。

 

 3

 モガディシュの戦いは、1993年10月3日に行われた。米軍はアイディード派の幹部を捕えようと陸軍・デルタフォースを降下させたが、民兵に包囲され、さらにヘリコプター2機を撃墜された。

 SEALチーム6は地上からの援護を任されていた。著者も参加し、レンジャー隊員を救出しようと輸送車(Humvee)で市街を走行した。かれは足を撃たれ後送された。

 著者は生還し、勲章を授かった。

 しかし作戦は失敗とされ、クリントン政権は政治的な理由(支持率の低下、世論の反発)を受けてソマリア内戦から撤退した。

 

 かれは、内戦に派遣された兵隊としてクリントンを非難する……途中で逃げ出すことは、協力してくれた現地人を裏切ることである。やめるくらいなら最初から介入するべきではない。いったん手を出したなら最後までやるのが責任である。

 以前のような運動能力を失った著者は部隊に残ることができず、軍を去った。

 警察、セールスマン、防弾ベストのアドバイザー、警備員、訓練アドバイザー等、様々な職を転々とする。

 その後、軍の援助により4年制大学に通い、カイロプラクティック医師として生計を立てることになった。

 

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 著者の戦闘員らしい性格が随所に見られる。

・警官と殴り合いになったが、良い時代だった。

・訓練中に裏切った卑怯者を非難する。


 特殊部隊は家族よりも仲間との付き合いの方が長く、プライベートも一体化している。

 もう1点印象に残ったのは、著者の除隊後の人生である。軍歴を生かして様々な職に挑戦しており、大学にも通うことができた。

 

 ――いまにして思えば、神は私が人間であることを思い知らせ、SEALであるのはひとつの職業にすぎないと教えたのだろう。……おまえはスーパーマンじゃない。おまえが特殊作戦の天与の才を持てるのは、私がそれを認めているあいだだけだ。おまえは私のおかげでそこにいる。自分の力ではない。……おまえは完成品ではないのだ。神は私を謙虚な気持ちにさせて、現実を直視させた。

 

ビン・ラディン暗殺! 極秘特殊部隊シール・チーム・シックス あるエリート・スナイパーの告白

ビン・ラディン暗殺! 極秘特殊部隊シール・チーム・シックス あるエリート・スナイパーの告白

 

 

『トルコのもう一つの顔』小島剛一

 トルコの少数民族とその言語を調査する日本人の紀行報告。

 トルコ共和国は成立以来一貫して少数民族や少数言語を抑圧し、同化政策を進めてきた。

 例えばクルド人は「山岳トルコ人」とされ、またクルド語はトルコ語の方言であると定められ、公の場でクルド人と名乗ったり、クルド人の存在を認めることは逮捕と投獄につながった。

 本書は70年代から80年代にかけての、トルコの同化政策や、少数民族、少数言語話者らの生活を紹介する。

 著者はヒッチハイクや野宿でフランスからトルコまでを移動し、またトルコ内の各地で住民と交流する。旅人に親切な住民とのやりとりが印象的である。一方、秘密警察や憲兵たちの監視、弾圧、異民族への横暴についても詳しく書かれている。

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・トルコにはクルド人、ザザ人、チェルケズ人、アラブ人をはじめ多数の少数民族が存在する。しかし、政府に公認されているのは一部である。イスタンブールギリシア人、アルメニア人、チェルケズ人は、歴史的経緯によりその存在を許されている。

少数民族と少数言語が必ずしも一致するとは限らず、既に言語を失った人びともいる。また、少数民族であることを主張すると私服刑事らに見つかり逮捕されるため、素性を隠す民族もいる。長い間、潜伏することで、自分たちの本来の言葉と民族を忘れた人びともいる(隠れ民族と忘れ民族)。

トルコ人クルド人の多数はスンナ派である。アレヴィー教徒はイスラム教の一種だが、あまりに習慣が異なるため、深刻な差別と迫害を受けている。

クルディスタンの独立は難しいだろう。クルド語も東西でまったく意味が通じず、隣国のクルド人とも意思疎通が難しいからである。

・当時のトルコでは、少数民族・少数言語話者すなわち共産主義者であるとのレッテルが貼られていた。

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 著者は調査旅行の途中からトルコ政府・外務省に目をつけられ、監視随行員とともに旅行することになる。

 トルコ政府は「トルコは一民族一言語」という立場であり、著者の調査や、目の前の少数民族、言語を否定した。最終的に著者は国外追放となった。

 

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

 

 

『従軍慰安婦』吉見義明

 ◆所見

 吉見義明は『毒ガス戦と日本軍』の著者でもある。

 長年問題となっていた朝日新聞従軍慰安婦捏造記事は、本書では資料として使われていない。

 政府と軍が支えた強制システムの証拠は豊富に残されており、業者の汚れ仕事に見て見ぬ振りをしつつ、慰安所を運営していた点が非難を受けている。

 今後の日本の価値観としては、「慰安婦記事は捏造であり、また一部の証言も虚偽だった、したがって従軍慰安婦問題は捏造・虚偽だった」という方向に進んでいくだろうが、わたしは絶対に同調することはないだろう。

 軍隊組織は建前を巧妙に使い、表面をきれいにし、汚れた実態を隠すことに長けている。

 反女性意識、人種差別は、今も変わらぬ日本の伝統的価値観であると再認識した。

 

  ***

 1992年の河野洋平内閣官房長官談話では、「政府は軍や官憲の関与と慰安婦の徴集・使役での強制を認め、問題の本質が重大な人権侵害であったことを承認」した。

 ただし、政府は軍・官憲が主体となったとは認めておらず、また朝鮮人以外の慰安婦についても言及していない。

 国民の間では、上述の政府認識についても共有されていない。

 

 1

 記録に残っている最初の慰安所は1931年、上海事変に併せて海軍が設置した。本格化したのは1937年の南京攻略前後からで、現地部隊の強姦が治安維持上問題化しているのを受けて、軍の指示により慰安所が設置されるようになった。

 やがて、揚子江流域だけでなく華北、東北にも広まった。

 慰安所設置は、陸軍省の統制の下、現地司令部が指揮し実施した。

 設置の理由として陸軍省文書に残されているのは「軍人の士気の振興、軍紀の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防」である。

 

 ――事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。

 

 慰安所運営に係る関係省庁……台湾・朝鮮総督府内務省

 当時第11軍司令官だった岡村寧次の証言。

 

 ――第6師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。

 

 2

 軍を主体とする慰安所運営は、太平洋戦争の開始とともに東南アジアにも拡大した。それでも強姦等はおさまらず、行政文書でも問題として記録が残っている。

 慰安婦の民族内訳は、半分が朝鮮人、3割が中国人、残りが日本人や、現地人や植民地白人だった。

 

 3

 女性の徴集についての資料は、軍の行政文書では断片的にしか残っていないため、聴き取り調査が大きなウェイトを占めている。

 売春業の募集として集められたのはごくわずかであり、ほとんどは、業者による詐欺、誘拐等だったという。一部、完全な拉致の例もあった。

 義務教育のない朝鮮人女性が就職するのは難しく、看護師、清掃夫、給仕等、職につけると業者に騙されて中国や東南アジアに渡り、慰安婦にされたケースが多い。

 他、台湾人、中国人、東南アジア人も同様に徴集された。

 フィリピン、インドネシア反日ゲリラが活発であり、現地人は軍から敵対視されていた。このため、慰安婦徴集も暴力的になることが多かった。

 占領地では、軍が女性を要求し、村の代表が娘を差し出す事例が見られた。

 

 4

 慰安婦たちは軍の規則により厳重に管理された。運営は業者と部隊が行い、多くは劣悪な環境で監視されつつ性欲処理をさせられた。

 日本国内では規制されている未成年の使役禁止や、外出・通信・面接・廃業の自由も、占領地では認められなかった。

 

 5

 国際法上での従軍慰安婦問題の位置付けと、オランダ人慰安婦裁判について。

 慰安婦の大多数は、植民地人、占領地のアジア系女性である。これは、国際法による追及を逃れるための政府の方針に基づく。

 

・日本人を連行した場合、兵士の士気が下がり、問題化する。

・占領地から慰安婦を強制徴集した場合、国際法違反となる。特にヨーロッパ系は、追及されるリスクが大きい。

・植民地においては、未成年使役の規制は適用されていなかった。

 

 ――裁判であきらかになった重要な事実のひとつは、日本軍司令部が、売春のための強制徴集は戦争犯罪であるという国際法をよく承知していたということである。それは設置する際の注意、また事件が発覚すると軍慰安所を閉鎖したことから、よくうかがわれよう。

 

 日本は51年サンフランシスコ平和条約で、東京裁判とBC級戦犯裁判を受諾している。よって、インドネシアスマラン慰安所事件(スマラン慰安所事件 - Wikipedia)の裁判も認めており、強姦、強制売春のための婦女子連行、売春強要をしたという認識も受け入れている。

 

 6

 終戦後、占領軍の性犯罪対策のため、内務省は慰安施設の設置通達を出した。「特殊慰安施設協会Recreation and Amusement Association」が東京で設置された。慰安所設置には、笹川良一ら右翼、売春業者も関与した。

 米英軍による性犯罪も発生しており、また軍中央からの統制からは外れているが、慰安所も設置されていた。

 ソ連軍、ドイツ軍も同様の記録がある。

 

  ***

 日本軍と慰安所問題の背景には、女性蔑視がある。これは伝統的な価値観であり、今でも克服されていない。

 著者によれば、従軍慰安婦問題の本質は次のとおり。

 

・軍隊・政府による性暴力・人権侵害の組織化

・人種差別・民族差別

・経済的に困窮していた階層に対する差別

国際法違反(未成年者使用、甘言・強圧による連行、強制使役)

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従軍慰安婦 (岩波新書)

従軍慰安婦 (岩波新書)

 

  ※ 参考

 

『The Looming Tower』Lawrence Wright その3

 11 暗黒の王子

 本書は元FBI職員のジョン・オニールを、合衆国側の主要人物(狂言回し)として設定している。

 FBI本部に着任したジョン・オニールは、ラムジ・ユセフ目撃の報を受けて、パキスタンにおいてただちに「rendition(国外での逮捕連行)」を実行した。

 かれは仕事中毒で、他人にもそれを強要した。部下は皆自分の人生を犠牲にした。

 FBIは、ニュージャージーフィラデルフィア出身の、イタリア系、アイルランドカトリックが多く、これまでは同じ出自のマフィアたちを相手にすることが多かった。

 オニールは、当時ほとんど注目されていなかったイスラム過激派に目をつけ、ビンラディンの行方を追った。

 アルカイダは、核兵器を入手できないかどうか、ソ連等と交渉していた。

 

 12 少年スパイ

 エジプト情報機関は、ザワヒリのジハード団を追い詰めるためにおぞましい作戦を実行した。容疑者の子供を誘拐し、性的暴行を加え、その様子を撮影し、スパイに仕立て上げた。

 しかし作戦は失敗し、ザワヒリは子供を処刑した。

 ザワヒリらはエジプトを逃れ、各国のエジプト関連施設を爆破した。

 ビンラディンスーダンを出国せざるを得なくなった。かれの事業は失敗し、資金源は絶たれ、スーダンの庇護も受けられなくなっていた。証言では、かれは事態を打開する知力に欠けていた。

 

 13 聖遷

 ビンラディンアルカイダアフガニスタンに逃亡した。

 アフガン内戦では、タリバンが台頭しつつあった。ムジャヒディン出身のオマル師が指揮するタリバンは、サウジアラビア及びパキスタンの支援、神学校の経営、アヘン栽培の3つの柱により、急速に勢力を拡大した。

 タリバンは原始的なイスラーム主義を強制したが、アフガン人は安定のために仕方なく従った。

 ビンラディンはトラボラ山脈の洞窟に住んだ。タリバンとは異なり、アルカイダは重機やビデオメッセージ等、現代的な技術を利用した。

 このとき、後にボジンカ計画を立案するハリド・シェイク・モハメドビンラディンを訪問した。モハメドは、飛行機をハイジャックしアメリカの重要施設に突撃する計画を語り、ビンラディンに影響を与えた。

 

 14 運用状態

 FBIとCIAの合同部署と、それぞれの方針の違いについて。

 

FBIは、ビンラディンの犯行の証拠を追求する。

・CIAは、ビンラディンの殺害を第1に考える。

 

 15 パンと水

 タリバンのオマル師は、ビンラディンとは主義を異にしていたが、パシュトゥン人の掟に従い、来客をかくまった。

 やがて、タリバンアルカイダは協力し、9.11の2日前に行われたマスード暗殺等でアルカイダも貢献した。

 ビンラディンが洞窟で生活している間、エジプトではイスラム集団がテロを起こした。

 97年のルクソール観光客襲撃事件では60人あまりの外国人が殺害された。テロリストは観光産業に打撃を与えようとしていた。これを機会に、ムバラクは取締りを強化し、大規模テロは起こらなくなった。

 

 16 「Now it begins」

 ザワヒリは組織が分裂するのを承知でアルカイダと連合し、合衆国を主敵に定めた。合衆国から圧力を受けたサウジアラビアは、タルキ王子を派遣し、タリバンに対しビンラディンの身柄引き渡しを求めた。しかし拒否された。

 98年、ケニア米国大使館とタンザニア大使館の同時爆破テロが起こった。ジョン・オニールらFBIは現地に赴いて捜査し、容疑者を捕まえた。しかし、CIAとFBIは情報を共有せず(CIAは他部署に情報を与えなかった)、アルカイダの次なるテロにつながる情報は途絶えてしまった。

 米軍は、報復としてアフガンのアルカイダキャンプを爆撃した。数人の聖戦士が死亡したが、ビンラディンらは助かった。

 

 17 新しい千年紀

 ジョン・オニールらは、ビンラディンアルカイダのテロを阻止するために尽力した。

 

 18 ブーム

 アフガン戦争時代のムジャヒディンは、多くの専門職や犯罪者を含んでいた。

 90年代以後、アルカイダのキャンプにやってくるのは富裕層・高学歴の若者が多数だった。かれらは故国を離れて、欧米で孤独な生活をするうちにイスラーム主義に傾倒していった。かれらは殉教することを熱望した。

 当時の軍事訓練資料から、アルカイダの目的が明らかにされている。

 

・地上に神の国をつくる。

・神のもとでの殉教を達成する。

ムスリムを悪行から純化する。

 

 アルカイダの敵は次のとおり。

・異端(世界のムバラクたち)

シーア派

アメリ

イスラエル

 

 2000年に入り、ビンラディンアメリカ国内での同時テロを企画していた。ハンブルクで教育を受けたモハメド・アタらは、欧米での生活経験があり、英語ができるという点で、テロ実行者の条件に適合していた。

 2名の構成員がアメリカに入国したとき、CIAは情報をつかんでいたが、国内担当のFBIに通知しなかった。

 911につながる手がかりはこうして失われた。

 

 ビンラディンは次のテロを指示した。2000年10月、イエメンのアデン湾にて給油中の駆逐艦コールに自爆ボートが突撃し、17名の米水兵が死亡した。

 オニールらは200名ほどでイエメンに乗りこんだがアルカイダにつながる証拠を発見できなかった。

 

 19 盛大な結婚式

 アルカイダ関連人物が続々とアメリカに入国し、飛行訓練を受けているという情報をCIAはつかんでいた。また、偶然逮捕されたムサウィ容疑者への尋問から、同時多発テロ計画が明らかになった。

 しかし、CIAはFBIに一切の情報を与えなかった。

 このため、9.11の阻止は失敗した。サウジアラビアの内相タルキ王子も、ビンラディンを拘束できなかったために更迭された。

 オニールはFBIを退官し、WTCの保安業務についていたが、救助活動を支援している最中に倒壊に巻き込まれ死亡した。

 

 20 解放

 FBIの捜査官が、イエメンで勾留されていた容疑者を尋問したことで、9.11とアルカイダの関連が証明された。

 捜査官はアラブ系アメリカ人であり、容疑者に対し信仰の面から問い詰めることで自白を引き出した。

 アルカイダタリバン多国籍軍の攻撃により四散した。ビンラディンザワヒリパキスタンへと逃亡した。
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The Looming Tower: Al Qaeda and the Road to 9/11

The Looming Tower: Al Qaeda and the Road to 9/11