うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ペインティッド・バード』コシンスキ

 東欧に疎開させられた子供が、迫害を受けながら村から村へ漂流する本。

 パルチザンとドイツ軍、赤軍との戦い、湿地のある風景から、舞台はポーランドかどこかではないかと想定される。

 野蛮で残酷な村人に、ジプシーまたはユダヤ人として追い立てられ、ドイツ軍にも追われる展開は、映画「come and see」を思い出した。

 少年がジプシーなのか、ユダヤ人なのかが直接言及されることはない。

 少年に襲い掛かるのはドイツ軍だけではない。行く先々の農村で、子供たちや村人、農夫、牧人たちが襲撃する。かれらは孤児を見つけては凌辱し殺害する。村人同士も抗争で殺しあう。

 本書の主要な出来事……カルムイク人らの襲撃、強姦や放火、殺人等。とある村での、近親相姦、獣姦を行う兄弟。村人によるリンチ。

 赤軍に引き取られた少年は、そこで社会主義についての教育を受ける。その後、両親と再会し引き取られるが、反社会的な性向はなかなか矯正されなかった。

  ***
 ペインティッド・バードの由来……ある村に鳥を育てている男がいた。かれは1匹の鳥に赤、青、緑等のペンキを塗り解放する。ペンキを塗られた鳥は、他の鳥からつつかれ、やがて墜落して死んだ。

 作中の武器……

 流れ星とは、紐で吊るした空き缶に燃料や干し草をつめるもの。照明や、火による攻撃に用いられる。

 スケート……氷と雪の地帯を歩くため、ブーツに取り付けたもの。本書の中で、村の子供たちに襲われた少年は足を振りまわしスケートの刃で子供たちの首や顔を切り裂く。

  ***

 

 ――ぼくは彼から、この世の秩序は神とはまったく関係がないこと、神はこの世とはなんの関係もないことを学んだ。理由は簡単なことだった。神は存在しないのだ。

 

 自分の境遇について、様々な独白を行っている。そうした月並みな所見よりは、野蛮な村人やドイツ兵による見世物のほうが面白い。

 この話の特徴として、次の点があげられる。

・残虐行為の実施者はドイツ軍、農民、赤軍パルチザン赤軍

・主人公の身柄を引き取った赤軍兵士たちは道徳的に描かれている。

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 残虐な風景を旅する少年という筋書きは、マッカーシー『Blood Meridien』やアゴタ・クリストフ泥棒日記』にも通じるものがある。

 

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

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『詳解 独ソ戦全史』グランツ、ハウス その2

 ◆1942.11~1943.12

・1942.10月、北アフリカ軍が壊滅したことで、ヒトラーは東部戦線から戦力を引き抜かねばならなかった。また、絶えず西からの侵攻を恐れており、このため赤軍が優位に立った。

・1943年から始まった連合国による爆撃は、ドイツの輸送機、戦闘機を損耗させた。

・合衆国からソ連に対しての武器貸与法は、主に原料、トラック、個人装備で大きな貢献を果たした。

 1943.7月クルスクの戦い……ソ連の物量と戦術が勝利した。

 

 ――……クルスク戦以降、ドイツ側は東部戦線での戦略上の主導権を保持することができなくなり、中部ロシアの広大な地域がソ連側の手に帰した――これらの地域は復興に最低でも10年は必要と思われるほど荒廃したが。

 

 過小評価されがちなのが、兵器と兵科を統合した作戦を編み出していった赤軍の士官たちである。

 ドイツ軍はヒトラーの直接指揮により失敗を繰り返していた。

 

・「スペツナズ」はソ連の各部隊に配置された牽制・偵察隊のこと。

ソ連ナショナリズムに訴え共産主義イデオロギーを抑制したのに対し、ドイツ軍は士気を保持するため、国家社会主義イデオロギー教育を強化した。

 

 ◆1944.1~1945.5

 独ソ両軍はどちらも人員不足に悩まされた。

 年末年始にかけて、ウクライナレニングラードクリミア半島ソ連によって奪取された。また、ヒトラーマンシュタインとクライストを解任した。

バグラチオン作戦……1944年夏から、ベラルーシを進撃しドイツ中央軍集団を撃破するもの。ドイツ中央軍集団は壊滅し、赤軍は東プロイセンポーランドにまで達した。

 6月、連合国軍がノルマンディーから上陸し、7月にはヒトラー暗殺未遂が起こった。

 1944年の夏から秋にかけて、ドイツはポーランドを奪われ、またルーマニアソ連に寝返り、フィンランドはカレリアを奪われた時点で休戦協定を結んだ。ドイツの同盟国はハンガリーだけになった。

 1944年11月、バルジの戦い=アルデンヌ攻勢が行われ、ドイツ軍の西側反撃は失敗した。

 

  ***

 まとめ……

ヒトラーを倒した貢献者はジューコフ、ヴァシレフスキー、ソヴィエト市民である。

 

ソ連国民の犠牲者数は第2次大戦でも突出している。

 ――これに相当する被害と努力を払ったのは、1931年以来ほとんど途切れることなく日本から攻撃されてきた中国だけである。

 

ドイツ国防軍の死者および捕虜1348万人のうち1075万人が東部戦線で発生した。

・戦争が進むに従い、ドイツ軍の練度は低下し、ヒトラーの介入によって自主性も失われていった。一方、赤軍は大粛清とスターリンの失敗命令から立ち直り、優れた指揮官たちによる電撃戦が確立していった。

 

・ドイツによる侵略は、ソ連に恐怖と国防への傾倒を刻み込んだ。

 

 ――勝利の果実を守り、将来もあらゆる攻撃を未然に排除しようとの決意こそが、逆にモスクワ政府にとっては実に厄介な重荷となった。この決意と膨大な軍事支出と拙劣な対外干渉とが1つになって、ソ連経済、ひいてはソビエト国家に悲運をもたらすことになる恒久的な障害になったのである。

 

  ***

 赤軍高級指揮官について

・シャポーシニコフ……トゥハチェフスキーの後任として参謀総長となる。粛清に協力したため生き延びた。1940年冬戦争の責任を取り辞任するが、ドイツ侵攻後再任。1942年以降は一線を離れる。

ティモシェンコ……内戦時代からの軍人、ソ連邦元帥。国防人民委員、STAVKA委員、スターリングラード戦線司令官。

・ブジョンヌイ……ソ連邦元帥。

ジューコフ……ソ連邦元帥。活躍によりスターリンにねたまれる。

・ヴァシレフスキー……ソ連邦元帥。参謀総長として作戦を統制する。スターリングラード攻防戦バグラチオン作戦で活躍。対日参戦。

・アントーノフ……上級大将、参謀総長

・コーネフ……ソ連邦元帥、ジューコフの副官として勤務。ベルリンの戦いでジューコフとともに競争する。

・ロコソフスキー……ソ連邦元帥。

・メレツコフ……ソ連邦元帥。対日参戦。

・バグラミオン……

マリノフスキー……ソ連邦元帥。対日参戦。

 

詳解 独ソ戦全史―「史上最大の地上戦」の実像 戦略・戦術分析 (学研M文庫)

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『詳解 独ソ戦全史』グランツ、ハウス その1

 ――ここに登場する内容とは、指導のひどい誤りであり、戦争の圧迫のもとでの将兵の生き方であり、大変な規模での破壊と殺戮であり、独ソ双方の一般市民の信じられないほどの忍耐の物語である。これらの物語を理解することこそ、第2次世界大戦に関するいくつもの誤った一般論を正すうえで、歴史家にとっては必要不可欠のことであろう。

 

 ◆メモ

 ソ連崩壊によって、赤軍側の史料を検証することが可能になった。

 これまでドイツ側からのみ語られてきた独ソ戦を双方の視点から再検討する本。ヒトラーの稚拙な指揮は有名だが、スターリンもそれに負けないくらい荒唐無稽な指示を発しており、その失敗のことごとくを現場の軍人たちに転嫁していることがわかる。

 赤軍の死者・行方不明者は約1000万人、ドイツ国防軍は500万人である。おそろしい大量死の時代である。

 

 ◆1918~1941

 赤軍の誕生から、独ソ戦前夜までの概略。

ソ連は日独の二正面作戦に備えなければならなかった。1938年、1939年の日本との軍事衝突で日本を押し返したことで、日本は北方進出をあきらめ南方へと矛先を向けた。しかしソ連側はこの変化を察知しなかった。

・1939年冬戦争での失敗は、赤軍粛清の方針を若干転換させた。また、ヒトラーソ連を過小評価した。

・縦深作戦思想を基に、戦車部隊の建造が西側を超えるペースで進められたが、欠陥も多かった。

・大粛清によって高級将校の大半がいなくなったため、その悪影響は冬戦争や、独ソ戦初期まで及んだ。

・ソ・フィン戦争終結後、戦車部隊建造が中止となり、再び保守的な編成に戻された。一方で、政治将校は副次的な地位に落とされ、旧帝政時代の指揮官の権限が復活した。

独ソ戦が始まるまで、スターリンは平和外交を追求し続けた。このため戦争準備は徹底されなかった。

・ドイツ軍……兵站が弱点であり、長期戦が不可能だった。

赤軍……迅速な補給と、シベリアからの部隊移転が可能だった。

・赤色空軍のエピソード……実験機が墜落すると、破壊活動の罪により設計技師が銃殺されたため、航空機の発展が停滞した。

・バルバロッサ作戦の奇襲成功の原因は、スターリンの判断ミスとともに、制度的に混乱した赤軍にもある。それも結局はスターリンの偏執狂的な行動によるものである。

ユダヤ人、スラブ人に対する戦争犯罪はSSやアインザッツグルッペンだけでなく国防軍によっても実行された。ドイツ人は、「共産党員はユダヤ人である」と考えており、たびたび即時処刑をおこなった。また、「劣等人種」スラブ人に対する奴隷労働も苛烈だった。

 

 ◆1941.6~1942.11

 6.22のドイツ軍侵攻に対し国境部隊の大半はまったく警戒がとられていなかった。指揮官も未熟な者が多く稚拙な作戦を繰り返しドイツ側に撃破されていった。

ソ連軍最高司令部(STAVKA)は、名称改編を経て7月にはスターリンが長となった。

・緒戦の敗北にともない、中央政治本部長官メフリスが高級将校の粛清を行った。メフリスは大粛清の貢献者だった。

 

 ――……赤軍が一個師団を粉砕されても、すぐに新しい別の師団を創設する能力があったことが、1941年におけるドイツ側の失敗の要因の1つだった。

 

 ソ連はモスクワ西側、ウクライナ・ドンバス地域の工業生産拠点を疎開させ、間に合わないものは破壊した。

 泥濘期の始まった10月には戦線は膠着を始めたものの、モスクワ侵攻が近いとわかり、スターリンとモスクワ市民はパニックに陥った。

 グデーリアン率いるドイツ軍はモスクワ20km手前まで近づいたが、そこで進撃は停止した。12月に厳しい寒波と降雪が始まり、ドイツ軍は機能停止した。現地指揮官らは退却を上申したが受け入れられず、ヒトラーと幹部の溝は深まった。

 この一件で陸軍総司令官ブラウヒッチュ、南方軍集団司令官ルントシュテットグデーリアンらが現場から退いた。

 一方で、年末年始にかけてスターリンはドイツ軍への反攻を命じたがことごとく失敗した。

 

 1942.4発令の、ドイツの「青」作戦は、カフカス地方とレニングラードの攻略を、同盟国軍とともに実施するというものだった。

 5月の第2次ハリコフ攻防戦、クリミア戦で赤軍は惨敗した。

 スターリングラード戦は8月から開始された。

 赤軍は開戦から半年で313万人の3分の2以上を失った。しかしドイツ軍も摩耗し、結果としては、ソ連の人口と動員能力そして緒戦の敗北による教訓が優った。

[つづく] 

 

詳解 独ソ戦全史―「史上最大の地上戦」の実像 戦略・戦術分析 (学研M文庫)

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『別荘』ホセ・ドノソ

 『夜のみだらな鳥』を書いたチリの小説家による、空想を細かく書き込んでいく物語。

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 あらすじ

 1 大人たちは、30人の子供たちをマルランダと呼ばれる別荘に残してハイキングにいく。敷地の外には人食い人種が住んでおり、また塔にはアドリアノという一族の男が監禁されている。

 2 アドリアノと、その娘たちの異様な殺人の話。

 3 子供たちは大人の陰に隠れて様々な非道徳行為に励んでいた。ハイキングで大人たちが不在になった途端、かれらはいっせいにいたずらや悪行を開始する。

 4 原住民が別荘を占拠し、一方、使用人たちは主人から武器を受け取り、別荘を奪還するため襲撃する。

  ***

 別荘に取り残された子供たちの規律が崩壊し、原住民とともに蜂起する。また執事の一団が制圧に乗り出し、殺戮を行う。

 非現実的な物語であり、最期はグラミネアという植物の綿に包まれて登場人物がほとんど殲滅させられる。

 

別荘 (ロス・クラシコス)

別荘 (ロス・クラシコス)