うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『「民族浄化」を裁く』多谷千香子 その3

 ミロシェヴィッチはガス会社の社長を務めた後、共産党の政治家として出世したが、80年代のコソヴォ民族主義コソヴォに住むセルビア人は、アルバニア人の中で少数派だった)に同調して穏健派を追い出し、指導者となった。かれは恩師を失脚させ1990年にセルビア大統領となった。

 ボスニア紛争後に支持を失ってからは、コソヴォ紛争を煽り2000年の大統領選に乗り出した。しかし国民はかれを見放していた。

 その後、ミロシェヴィッチ汚職と、かつての恩師スタンボヴィッチ暗殺の疑いにより、妻ミラとともに起訴された。

 ミロシェヴィッチの暗殺を請け負ったのは、レギァと呼ばれる、フランス外人部隊出身のマフィアの長だった。レギァはミロシェヴィッチをICTYに引き渡したディンデッチ暗殺の主犯でもあった。

 2003年、ミロシェヴィッチや、「民族浄化」実行者のシェシェイ(シェシェリ)らが選挙に勝利し、国会議員となった。セルビアは自由化以降経済的に困窮しており、またコソヴォ空爆に関して西側諸国を恨んでいた。

 かれらは強い指導者にひかれたのだろうと著者はコメントする。

 

 5 国際刑事裁判のこれから

 ICTYの中立性について、著者は次のとおり反論する。

・自身の権力拡大と蓄財のために「民族浄化」を実行した戦犯を裁くものである。

・訴追された者の数はセルビア人が圧倒的に多いが、これはセルビアが軍事力の上で他を圧倒していたためである。

 しかし、当初ミロシェヴィッチを訴追せず、停戦の交渉相手として政治的に利用したことが、その後の虐殺を招いたという批判は認めている。

 ――……本来の裁判機関を政治的に利用することは、長期的な視野でみると、有害無益と思われ、ICTYに政治的な視点が持ち込まれたとの批判は、当たっているところがある。

 ICTYを契機として、恒久的な国際裁判所であるICCが設置された。

 ICCと、国際化された国内裁判所は相互補完の関係にあり、究極の目標は、国際社会における「法の支配」を確立することである。それは、第1次世界大戦、アルメニア虐殺、ニュルンベルク裁判、東京裁判と続いてきた長年の課題である。

 

 終章

 現在、ボスニア内の三勢力は均衡を保っており、いずれも攻勢には出られない状況にある。

 しかし、経済状況や汚職はひどく、人びとは民族主義に傾きつつある。

 

 ――世界のイスラム諸国やカトリック教会によって集められた金の多くは、従前より大きなモスクやカトリック教会の建設に回される一方、デイトン合意からそろそろ10年が経とうとするのに、ボスニアの多くの地域では、いまだに破壊された民家がそのままに放置されているのが現状である。

 

 ――「民族浄化」を戦った民兵の行為が、残虐さの程度に差こそあれ、ナチスのそれと細部に至るまで酷似しているということは、それらが特殊な出来事ではなく、人間性に本来的に根差したものであり、これからも起こる可能性がないとは言えないということであろう。暗い一面であっても、変わらないものなら、それを直視する以外、正当な対処方法はない。将来の紛争の予防策は、同じような残虐行為を繰り返しかねないこの人間性を直視することから始められなければならない。

 

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

 

 

『「民族浄化」を裁く』多谷千香子 その2

 3 虐殺はなぜ起こったか

 セルビア勢力……

ミロシェヴィッチセルビア首相)

・カラジッチ(スルプスカ共和国大統領)とムラジッチ(ボスニアの軍人)

・タリッチ(ボスニアのユーゴ人民軍中将)とブルダニン(ボスニアの政治家)

 

 ――タリッチは、自発的に出ていこうとしないモスリム人やクロアチア人を一掃するため、軍隊の末端の荒くれ者の兵士を泳がせたり、無法者の民兵集団を軍隊の末端に組み込んで、その後ろ盾になった。そして、集団殺害、虐殺、拷問を彼らのなすがままにまかせ、「大セルビア」の夢を実現するために力を尽くした。

 

 ボスニアではセルビア勢力プロパガンダ(虐殺のデマ等)を利用し民族憎悪を煽った。また、クロアチア戦争から帰還したセルビア民兵が殺される事件、逆にモスリム人、クロアチア人が殺される事件が頻発し、治安が悪化した。

 選挙ではモスリム人政党が勝ち、イゼトベコヴィッチが大統領となった。

 ボスニアでは、モスリム人がもっとも教育程度が高く、都市を基盤にしていた。一方、軍隊と警察はセルビア人が占めていた。

 イゼトベコヴィッチ大統領が、就任後、モスリム人の優位を唱えたためさらに対立は深まった。

・SDA(民主行動党、モスリム人政党)

・HDZ(クロアチア民主同盟)

・SDS(セルビア民主党

 カラジッチ率いるSDSは議会をボイコットし、独自共和国建設のために活動を開始した。

・無法者の民兵に、敵対民族の家屋を荒らすよう指示

・ユーゴ人民軍(実質、セルビア軍)からの徴兵を拒否した敵対民族を失業に追い込む

クロアチア戦線から武器弾薬を横流しし、セルビア人に配布

 一方、モスリム人も民兵を組織し、SDA、愛国政治同盟の指揮下でセルビア市民の虐殺、拷問を行った。モスリム民兵にはアフガンやイランからやってきたムジャヒディンも含まれていた。

 1992年3月の国民投票ボスニア独立が決定したため、SDSと民兵は非常事態政権をつくり、モスリム人追放とセルビア人共和国(1992.9にスルプスカ共和国樹立)の設立を目標に掲げた。

 ユーゴ軍はモスリム人、クロアチア人に対してのみ刀狩りを行った。また、かれらの財産はSDSに近い有力者に奪われ、税金なども横領された。

 民兵による強制移住、焼き討ち、処刑や拷問が公然と行われるようになった。

 オマルス強制収容所やマニアチャ強制収容所では、日々拷問と殺戮が行われ、後に看守や民族主義者がICTYに移送された。

 

 1995年12月のデイトン合意によってボスニア戦争は終結した。ボスニアは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の連邦となった。

 スレブレニツァの虐殺は同年7月に発生し、7000人のモスリム人が虐殺された。この事件の首謀者に対しては、ジェノサイド罪が成立した。

 9月からNATOによる爆撃が強化され、セルビア勢力も和平案に応じざるを得ない状況に追い込まれていた。モスリム・クロアチア勢力は優位に立ちつつあったが、トゥジマンが戦争継続に消極的だったため、イゼトベコヴィッチは和平に応じた。

 

 4 ミロシェヴィッチの役割

 コソヴォ紛争中の1999年5月に、ミロシェヴィッチはハーグに移送された。かれは汚職や一連の敗戦、経済的困窮により、セルビア人から見放されていた。

 ミロシェヴィッチの問われた犯罪は次のとおりである。

コソヴォ紛争中の、セルビア勢力によるアルバニア人の殺害・拷問

ボスニアクロアチア紛争での民族浄化の指示と黙認

 

[つづく]

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

 

 

『「民族浄化」を裁く』多谷千香子 その1

 ユーゴスラヴィア内戦における「民族浄化」の実像を突き止める本。また、当時の国際社会の対応についても反省する。

 著者は旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)の判事を務めた。

 

 ――「民族浄化」の実像は、よく言われるように、血で血を洗うバルカンの歴史が生んだ民族の怨念の再来、一種の歴史の必然などとして片づけられるものではない。……ごく単純に言えば、当時の指導者が仕掛けた権力闘争が引き起こしたものである。

 

 ◆メモ

 著者は、国際社会に「法の支配」を確立させる上でICTYが果たした役割を有意義だと考えている。

 国際社会に法の秩序をもたらすことは難しいが、地道な活動が結果を生み出すのではないか。

 本書の刊行後に、セルビアの戦犯カラジッチ、ムラジッチが逮捕され、懲役が確定している。

 本書に書かれているとおり、虐殺・民族浄化、政治家や軍人による権力追求は人間の本質に基づく。しかし、それを直視し、対策を考えるところから平和は始まる。

 陰惨な事件を目の当たりにして解決をあきらめたり、努力をあざ笑ったりするだけでは事態は変わらないと思料する。

  ***

 

 1 旧ユーゴ戦犯法廷とは何か

 ICTYはオランダのハーグに設置された。裁判所は検察局、裁判部、書記局等からなり、各国から検察官、捜査官が派遣されていた。

 追及された戦争犯罪は次の4つである。

ジュネーヴ条約違反

・戦争法規および慣習に違反する罪

・人道に反する罪(ニュルンベルク条例で規定)

・ジェノサイドの罪(1928年条約成立)

 ボスニア紛争(1992.4~1995.11)を未然に止める努力はなされていたが、各国の足並みが揃わなかった。

 ボスニアの独立がリスボン合意によっていったん保留された後、合衆国の後押しを受けたモスリム人勢力が翻意することで、内戦が始まった。

 また、ドイツはクロアチアを、イギリス・フランスはセルビアを後押ししており、かといって直接軍事介入しようとはしなかった。

 

 ――そもそも旧ユーゴ連邦の軍隊であるユーゴ人民軍は、地下空港をはじめ、地下兵舎、地下補給路、おとりの使用、軍隊の分散、大砲や戦車を隠す技術など、仮想敵国ソ連に対抗するための装備をそろえ、訓練を重ねてきた、ヨーロッパでも屈指の軍隊であった。

 

 95年のデイトン合意後、本格的な訴追が開始された。セルビア人、クロアチア人、モスリム人勢力の戦犯が裁かれた。

 この中にはセルビアミロシェヴィッチ大統領、ボスニアセルビア勢力指揮官カラジッチ、ムラジッチ(両者とも逃亡した)も含まれていた。

 クロアチア大統領トゥジマン、モスリム人のボスニア大統領イゼトベゴヴィッチは捜査終結前に死んだ。

 

 2 ボスニア紛争への道

 第1次世界大戦前、セルビアオーストリアハンガリーボスニア領有をめぐって対立していた。オーストリアハンガリーが消滅すると、セルビアクロアチアスロヴェニアボスニアを併合し、ユーゴ王国を誕生させた。

 ヒトラーベオグラードを占領しユーゴ王国を解体、ボスニアクロアチア民族主義団体ウスタシャを傀儡として「独立国家クロアチア」を建設した。

 ウスタシャと、チトーらを含む共産党パルチザンセルビア民族主義団体「チェトニック」の三つ巴の闘いが行われた。

 チトーによる統一……

 チトーは1948年、ソ連と決別し、企業の管理・運営を労働者に任せる分権型社会主義を進め、国を復興させた。

 しかし、工業国スロヴェニア、観光の盛んなクロアチアと、貧しいセルビアボスニアコソヴォマケドニアとの格差が広がり、分離主義運動のきっかけとなった。

 チトーは大セルビア主義を抑え込み、また民族・宗教の違いを認め、民族融和を図った。

 

 1990年、民族主義者トゥジマンがクロアチア大統領に就くと、民族主義的政策を取り始めた。これがセルビア人を刺激し、ベオグラードからユーゴ人民軍が派遣された。

 クロアチア紛争に対しUNPROFOR(国連保護軍)が派遣されたが、解決には至らなかった。

 ドイツが1991年にクロアチア独立を承認したことが、ボスニアの独立を呼び起こした。そして、ボスニア独立は、確実に内戦を招くと考えられていた。

 

 「つづく」

 

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

 

 

『永遠平和のために』カント

 カントは、永遠平和の達成のためにどのような具体的な策が必要かを考えた。

 

 1章 国家間の永遠平和のための予備条項

 1「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない」

 2「独立しているいかなる国家も、継承、交換、買収または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない」

 国家は人格であり、財産として扱われない。

 3「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」

 常備軍と同じく、財貨の蓄積も、先制攻撃の原因となる。一方で、防衛のための限定的な軍隊編成は認めている。よって、実効性があるかどうかは別として、自衛のための軍事力を否定しているわけではない。

 兵隊という職業の根本的な問題についての見解は次のとおり。

 

 ――……そのうえ、人を殺したり殺されたりするために雇われることは、人間がたんなる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいると思われるが、こうした使用は、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう。

 

 4「国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない」

 5「いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない」

 

 ――……一国家に生じた騒乱は、一民族がみずからの無法によって招いた大きな災厄の実例として、むしろ多民族にとって戒めとなるはずである。

 

 ただし、カントの定義では、国家が無政府状態となり、分裂した場合は、一勢力に援助することは認められる。それも内戦中の場合は許されない。

 

 6「いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切りをそそのかしたりすることが、これに当たる」

 交戦法規、フェアプレイの精神について。

 

 2章 国家間の永遠平和のための確定条項

 人間社会の自然状態は戦争状態である。

 よって、「平和状態は、創設されなければならない」。

 通常の市民社会のおいて、人びとは法的体制の下にある。

 1「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない」

 社会の成員が皆自由であり、法の下に従属しており、国民として平等であることが条件である。こうした体制が「あらゆる種類の市民的組織の根源的な地盤となる体制」である。

 共和的な体制においては、戦争には国民の賛同が必要となり、決定者全員が苦難を背負うため、慎重な判断になる。

 なお、統治者が多数であっても統治方式が憲法に基づかない専制的なものである場合は、それは共和的体制ではなく、民衆的体制である。

 2「国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである」

 国家間において法的体制を作り出すのは困難だが、カントは永遠平和を目指すための平和連合を提唱する。

 

 ――この連合が求めるのは、……もっぱらある国家そのもののための自由と、それと連合したほかの諸国家の自由とを維持し、保障することであって、しかも諸国家はそれだからといって、……公法や公法の下での強制に服従する必要はないのである。

 

 カントの考えでは戦争への権利を正当化する国際法は無意味である。

 3「世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない」

 他国民の尊重の必要性について。

 

  ***

 ◆メモ

 補論に、諸国家は哲学者の提言に忠実でなければならない、という秘密条項がうたわれている。

 確かに、全員がカントの話を聞き入れれば戦争はなくなるだろう。

 平和連合の観念は現在の国際政治にも影響を与えていると思われる。

 少量の規定だけで全人類の行動を規制するのは困難である。戦争は膨大な数の人間が関わってくる複雑な現象である。大原則は必要だが、それだけではきれいごとで終わってしまう。

 カントは、ホッブズと同じように、人間は生来戦争と無秩序に向かう傾向を持っており、人為的、意図的に平和を創設しなければ安定は維持できないと考えている。

 平和への取り組みはおそらく無限の道だが私たちは進み続けるしかないだろう。

 

永遠平和のために (岩波文庫)

永遠平和のために (岩波文庫)