うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『心でっかちな日本人』山岸俊男 ――なんでも「心」や「文化」のせいにしない

 ◆所見

 社会心理学の観点から、日本文化を分析する本。

 わたしたちは行為の原因をただ「心」に見出すことで、その背後にある因果関係を見落としがちである。一見、行為が心や人格から生じているようにみえて、そこには社会的な環境や他人の行動が深く影響を及ぼしているということを示している。

 「日本人の文化」、「日本人の心」という恣意的なくくりの奥には、隠された変数や原因が存在している。

 

  ***

 本書の目的は「文化」という神話を除去しその姿を明らかにするものである。

 

 本書のタイトルである「心でっかち」とは、あらゆる事象――日本経済の崩壊や犯罪、伝統の崩壊――を心の問題としてとらえる傾向を指す。

 「心でっかち」が、わたしたちの正確な現状認識を妨げている。

 

 

 1 日本人は集団主義ではなかった

 従来、日本人の集団主義は「個人の利益より集団の利益を優先するもの」と定義され、そうした「仲良し集団主義」が高度成長を達成させたと考えられてきたが、そうした傾向はまったく実証されていない。

 アメリカ人と日本人の心性を比較する複数の実験では、日米差がほとんど存在しないか、むしろアメリカ人のほうが集団主義的傾向が強いという結果が出ている。

 

 多くの人びとは「集団主義的な日本人」という常識を抱きながら、自分はそれほど集団主義的ではないと思っているのです。

 

 「帰属の基本的エラー」とは、強制されてやったとわかっている場合でも、そうした他人の行動を見ると、それが本人の考えに基づいて行われたととらえてしまう傾向をいう。

 多くの人は小学校から始まる集団強制にいやいや従っているが、これが他人を「集団主義的である」ととらえてしまう結果になっている。

 

 日本人の集団主義文化は心の中ではなく社会構造に存在するといえる。

 

 つまり、日本人が集団のために自己利益を犠牲にする行動をとるのは、……かれらが集団の利益に反するように行動するのを妨げる社会のしくみ、特に相互監視と相互規制のしくみが存在しているからだという観点です。

 

 こうした仕組みのない場所では、日本人は見知らぬ人や他人に対しては非協力的だった。つまり集団主義は日本人の「心」ではなく社会的な仕組みに由来していた。

 われわれが集団主義的なのはそうしないと大変なことになるからである。

 

 

 2 心でっかちの落とし穴

 我々は他人の行動に対して、それが強制や命令、役割に基づくものであっても、もっとも目立ちやすい「心」や性格などを原因にしがちである。

 「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、かれらが信号無視主義者であることを示すわけではない。

 

 頻度依存行動とは、その行動の結果得られる利益が、他人がその行動をとるかに依存するものをいう。

 いじめやソンミ村虐殺、赤信号は、他の人が同じ行動をとればとるほど自分のコストは小さくなる。

 いじめをやめさせる行動は、まわりに同調者がいればいるほどそのコストは小さくなる。

 いじめのあるクラス、ないクラスとでは、生徒の心の質が違っている(冷血な生徒が集まったクラス等)わけではない。教師の態度や、勇気ある生徒の有無といった少しの変数(初期値)の違いが、多数の行動に大きな影響をあたえて、結果の大きな違いを生み出すのである。

 

 わたしたちの行動の多くは頻度依存行動であり、他人の振る舞いによって大きく規制されている。

 

 

 3 心でっかちな文化理解を取り除く

 バスジャック少年は、乗ったバスが空手部の団体だったら犯行を起こさなかっただろう。凶悪犯罪が増えたとすれば、それはこうした犯罪に対する人びとの行動が変化したからかもしれない。

 いじめ阻止行動は、それが生徒相互の振る舞いに依存しているという点で「相互依存行動」でもある。

 経済学では戦略的補完性といい、ある要素の割合が増えれば増えるほどそれが有利になることを示す(OSシェアやVHSの普及等)。

 

 『経済システムの比較制度分析』では、終身雇用制と年功序列制が、経営者・労働者双方が利益を求めて依存することで成り立っていることを提示している。そしてこうしたシステムは多くの企業が採用していなければ通用しにくい(転職市場・中途採用の活発な社会)。

 

 相互依存行動によって生まれる文化を、メンバーの心の性質によってのみ理解しようとするのは、「心でっかち」の誤りである。例えば「雌クジャクが派手な羽を好むのは、雌クジャクが派手な羽に価値を置いているからである」といった具合である。

 

 ある文化が相補均衡だということは、皆がやっているからそうなっているという状況を示す。この背後にある原因を知るには相互依存関係を突き止めなければならない。

 

 著者の立場は、心を実践活動から独立した理念として理解することはできないというものである。集団主義文化の背後にある相互均衡は、「内集団びいき」である。

 

 

そして「内集団びいきの相補均衡」というのは、人々が内集団ひいき的に行動しているために、「それ以外の行動をとることが、だれにとっても不利な結果を生み出してしまう」状態を意味します。

 

 

 極端に内集団ひいき的すなわち集団主義的な社会では、個人主義的に行動することは不利な結果しか呼ばない。よって人は集団主義的な行動をとるようになる。こうした社会は歴史上普遍的に存在してきた。

 日本人が集団主義的といわれるのは、日本人が集団主義に価値を置く心を持っているから、ではなく、集団主義的行動を皆がとっており、それが個人にとって有利だからである。

 ではなぜ集団主義=「内集団ひいき」が生まれたのか?

 

 

 4 内集団びいきはどのようにして生まれるのか

 著者は日本の集団主義を以下のように定義する。すなわち、集団の重要性を認識し、集団を離れることが不利益になることを理解している人たちによる集団主義である。

 これに対し、欧米人が考える集団主義とは、「個人と集団とが心理的に一体化している」といった全体主義的なものである。

 代表的な考えが社会的アイデンティティ理論である。この理論は、人間が自分自身のアイデンティティの一部を所属集団のカテゴリーにゆだねているという考えである。理論によれば、人間はより優れた集団に属したい、また自分の所属集団を有利にしたいという性質を持つ。

 

 著者はこれを否定し、「自分が身びいきをすれば相手もしてくれるだろう」というコントロール幻想が内集団ひいきを生むと分析する。これは、自分の集団を好意的に評価することとは別個に発生する。つまり、所属集団を好意的に感じる心ではなく、コントロール幻想という相互依存関係が集団主義を生んでいるのである。

 

 

 5 だれもが皆、心の道具箱を持っている

 意識を心の中心とするデカルト的人間観から脱却することについて。

 コンピュータのフレーム問題……ダニエル・デネットが実験で示したもので、人工知能にとっては、無数の情報のなかから意味のある情報を選択することが非常に困難である。

 人間にはこうした問題が起こらないが、その理由は完全解明されていない。著者が提示するのは、「人間の心は……「領域特定的」な問題の解決に特化した無数のマイクロチップの集積のようなもの」という説である。

 

 我々は進化の過程で同じ問題に直面し、これを解決するために特定の情報処理ルーチンを発達させてきた……三次元視覚など。認知心理学ではこれを領域特定的モジュールという。このモジュールは、想定外の状況に直面すると「目の錯覚」のように混乱をきたす。

 

 人間の心は、スイスアーミーナイフのように、様々な機能をもつ「心の道具」からなる。この道具の整理のされ方の違い、使われ方の違いが文化の違いにあらわれると著者は考える。

 

 ガードナーの多重知能説……人間には独立した知能が備わっている→言語的知能、論理数学的知能、音楽的知能、空間的知能、身体運動的知能、自省的知能、対人的知能

 ヒューリスティックとは、単純な手掛かりをつかって直感的に答えを出すこと。アルゴリズムの反対。直感的に答えることで私たちは情報処理を簡略化することができ、また過去の知恵を活用することができる。

 

 内集団ひいきを生む「交換促進装置」は、この場面でお互いに協力するのが有利なのだ、と考えさせる機能である。

 

 

 6 集団主義個人主義

 交換促進装置と対で存在する「裏切り検知装置」の働きは、内集団ひいきの機能に影響を受ける。

 集団主義社会では、集団のなかでは信頼度が高く、裏切り検知装置は働かない。一方、個人(普遍)主義社会では、集団はあまり重視されず、すべての人間に対して信頼度が高いが、同時に裏切り検知装置も機能している。

 

 個人主義アメリカと、思いやりをもつ集団主義の日本、という既成概念に反して、アメリカ人のほうが他者一般に対する信頼性が高いことが実験で証明されている(ただしお人よしではなく、用心はしている)。

 2つの社会ではそれぞれ、適応の仕方が異なる。

 

 個人(普遍)主義社会の人たちは、内輪のつきあいの枠をこえて多くの人たちとのあいだで関係をつくっていかなくてはいけません。そのような状況では、不特定多数の相手に自分を売り込むという、「自分会社」としての課題が重要となってくるはずです。これに対して集団主義社会では、すでに濃密な関係にあるまわりの人たちから嫌われないということが重要な適応課題になります。

 

 現代日本は、内集団ひいきの構造が現実とかみ合わなくなり、通用しなくなっている状態にある。ではどうすればいいのかという答えははっきり出ていない。

 

 自ら進んで情報を発信する人、自発的にボランティア活動をする人は、そのことによって自分の立場を脆弱(他人から付け込まれたり、利用されたり、非難されたりしやすい状態)にする。しかし脆弱な立場に自分の身をさらすことで、そういった人たちは情報を創り出し価値を生み出すことができる。

 

 自分の身をリスクにさらすことで他人と信頼関係を築くという方法があり、実験ではアメリカ人に顕著だった。

 

 

 さいごに

 かつて進歩的文化人は、権威や集団に負けない個人、臣民ではなく市民としての心を持つ個人、民主的な精神を持つ個人の必要性を訴えた。

 しかし、いま進歩的文化人は嘲笑の言葉になっている。高度成長期にはこうした集団性、日本人の働き者精神が称揚された。

 バブル崩壊を経て、再び集団主義の不利な側面が露出し、「進歩的な」個人主義の重要性が増しているのではないか。

 

 文化は自ら作り出すものではり、一人一人の行動が結果に大きく影響する。

 

 

2021年から2022年 おもしろかった本と、今年の目標

 ◆おもしろかった本

・『The History of the Peloponnesian War』Thucydides

 トゥキュディデス『ペロポネソス戦争』、この時代の戦争や社会がどのような様子だったかがわかりおもしろい。

 21世紀に書かれた歴史の本でも、退屈で読むに堪えないものが多数ある一方、この古典は非常に面白かった。

 

・『国際指名手配 私はプーチンに追われている』ビル・ブラウダー

 ロシアの腐敗官僚と、その元締めプーチンに狙われることになった投資家の話。

 著者が米政府や欧州議会に訴えたことで、国内で人権侵害や汚職を行った人物の経済活動を制限する「マグニツキー法」が生まれた。

 マグニツキーは、著者を弁護したためにロシアで投獄され拷問・殺害された弁護士の名前である。

 

 

 

・『The Balkans: A Short History』Mazower, Mark

 バルカン半島の歴史に関する本。ヨーロッパの中で認知されていく過程や、トルコ、ヨーロッパの境界として紛争地となる経緯について理解できる。

 日本語訳も出ている。

 

 

 

・『The Sleepwalkers』Christopher Clark

 第1次世界大戦がはじまる経緯について書かれた本。

 当時の国家運営は非常に不安定で、国内でも権力者や方針が頻繁に変わった。こうした予測不可能性が、相互不信を招いた。

 サラエボ事件以後、雪崩式に動員が始まると、オーストリアを除く一部の国では、「相手が引くだろう」という思い込みの下行動した。

 あるいは、どの国も戦争の結果どのような被害が生まれるかを認識していなかった。

 

 

・『軍法会議』花園一郎

 こうなってはいけないという自己啓発

 このような徴兵のがれの工作は意外と多く、特に大阪師団ははなはだしかったようである。国民皆兵は平等のごとくであって、実は裕福な子弟はその気になれば適当に免れていたのが実態である

 

 フィリピン方面軍司令官黒田重徳中将は山下泰文中将と後退帰国の際荷物が多すぎて飛行機に積み切れず、お供の副官を別の飛行機に乗せる騒ぎとなった、とフィリピン大使の村田省三の日記にある。黒田中将は、戦犯裁判で、「私はフィリピン方面軍司令官としてフィリピンの防衛準備をしなかったので、米軍の侵攻に役だったと思う」という趣旨を述べたそうで、児玉誉士夫の獄中日記にある。

 

 ……あきれたことに陸士出の職業軍人が濠州の将校や兵隊にまで卑屈な態度を見せるのだ。私は英語ができますと日本の兵に見せびらかすためか濠州の「何とかブルチン」新聞を手に持って、神田八雄参謀が豪州兵にペコペコ卑屈な笑いを見せながら話しかける。昨日まで英米語は敵国語と排撃していた当の本人が。

 

 

・『昔話の語法』小澤俊夫

 今年は、昔話に非常に興味がわき、マックス・リュティや、昔話集成など様々な本を読んだが、きっかけはこの本である。

 昔話の持つ魅力は、近代の小説や映画とはまた異なるものである。

 

 

 

 ◆2021年の最大ニュース

 テレビを捨てたおかげで、見たくないニュースを浴びなくて済んだ。また、NHKに引き続き金を払わないという目標を達成できた。

 (特大モニターを買って、NetflixとDisney+、Youtubeを見ています)

 ニュースは主要新聞&海外主要新聞のフィードをRSSリーダーで読んで目を通している。

 仕事の関係上、サイバーセキュリティやIT関連のニュースに多く触れているが、日本の報道は全般的にこの分野をあまりカバーしていないようである。

www.inoreader.com

 

 

 ◆今年の目標

・格闘技ー週5以上練習、毎月試合

 いまはブラジリアン柔術を練習しているが、だんだん、試合で勝てるようになってきた。

・サイバーブログ記事追加

 検索にヒットさせるにはまとまった数の記事が必要

 

tartarenetwar.com

・スカイダイビングのライセンス取得

 墜落しないように気を付けて、空挺忍者を目指す

 自分のスーツやヘルメットなどもそろえたい。

 

www.youtube.com

・海外旅行

 状況次第だが、次にいきたいのはロシア、イスラエルアルバニアセルビアポーランド、韓国、台湾、ギリシア

・スパルタン

 来月、茨城大会に出るので、ほかにあれば参加したい。

www.spartanrace.jp

 

スカイダイビングとガガーリン、ロシア

 ◆スカイダイビング

 先日、体験スカイダイビングに参加して、非常に面白かったので、ライセンスを取ることにしました。

 入校までの間は、参考動画を見ています。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

 

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非常に寒い

 スカイダイビングに関する本で、評価が高かったもの

 

 

 

 

 ◆ロシア関係の本 プーチンガガーリン

 いま読んでいるのはプーチンに目をつけられた投資家ビル・ブラウダーの著作です。

 

 

 

 スカイダイビングと少し関連して、宇宙飛行士ガガーリンに関する研究本を買いました。ソ連崩壊時の情報公開に基づいた分析がなされており、KGBから迫害された実態などを知ることができるそうです。

 

 

 

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里 ――子供時代に過ごした東欧の思い出

 ◆チェコのソヴィエト学校に通っていた著者が、東欧の様子や、社会主義諸国の子弟たちの人物について思い出をまとめた本。

 

 概要

 父親の仕事の関係で著者はプラハに住んでいた。

 著者の通っていたソヴィエト学校の同級生についての回想が語られる。ソヴィエト学校はチェコにつくられた外国人向けの学校で、友人の一人リッツァは、亡命ギリシア人(共産党幹部)の娘だった。プラハの人びとはソヴィエト学校をお金持ちの子弟が通う場所とみなしていた。

 

 著者は子供のころの友人に会うためにプラハを訪問し、消息を尋ねて回る。

 

 ソヴィエト時代のチェコギリシア中欧諸国の様子を知ることができる。また、東側からみた世界観が興味深い。

 

 東欧諸国

ルーマニア共産党幹部の娘は共産主義の理想を信じていたが、自宅は豪邸であり、小間使いは屋根裏に住んでいた。両親も労働をしておらず、ブルジョワの服装をしていた。

チェコには文化があったが、ドイツでは文化は高価・贅沢である。町並みは清潔だが無機質で、ドイツでは金がすべてである。

ギリシア……祖国に戻ったリッツァは、ギリシアの男尊女卑に嫌気がさしてドイツに移住した。

 

レーニンは非常に裕福な家の出身であり、生涯肉体労働や賃金労働に従事したことがなく、小作人から徴収した利益で生活していた。

 

 異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。

 

 むしろ、自国と自民族を誇りに思わないようなものは、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。

 

 弱小国や、混乱中の国から来た子供は、国を背負っているという悲壮感のためか、強烈な愛国心を持っていた。

 

ルーマニア人アーニャの親はチャウシェスク政権の幹部で、体制崩壊時にチャウシェスクを処刑した後も特権階級として居座っていた。父親はもともとユダヤ人で、非合法活動で逮捕され、拷問の結果片足を失ったが、いまでは人民から搾取して建てた豪邸に住んでいた。同時にこの父親は、政権に見切りをつけ子供たちを海外に脱出させようとしていた。

 

 アーニャの兄の言葉。

 

 だいたい富の偏在がどれほど人々を不幸にするかってことをさんざん見てきたからね。皮肉にも、社会主義を名乗っていたこの国で。

 

ルーマニアには、学問や芸術など一部の業界を除いて、ユダヤ人に対する差別が存在し、かれらは出世や社会生活など様々な面で冷遇されていた。

 

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 ユーゴスラビア

 ユーゴスラビア出身の同級生は、祖国がソ連共産党と対立していることを認識していた。この時期、日本共産党中国共産党に肩入れし、ソ連共産党と紙上での非難合戦を繰り広げていた。

 著者の帰国後、このユーゴスラビア人同級生は、スターリン主義者の校長から嫌がらせ(母国の政策を発表させ、それを批判する)をうけ、ソヴィエト学校を退校した。

 

 ユーゴスラビア紛争の末期、著者は直接ベオグラードに行き、かつての同級生を探した。

 

 中欧・東欧諸国(ユーゴ、ポーランドチェコハンガリールーマニア)では、東洋人に対する人種差別がより露骨である。当地の人びとは、西欧に対する後進の象徴である「東欧」と呼ばれるのをひどく嫌う。

 セルビアは、スロベニアクロアチアと比べて、西洋に対するコンプレックスが少ないと感じた。旧ソ連諸国と異なり、セルビアの街並みは温かみがあり、また商店や団地なども洗練されていた。

 

 著者の同級生はボスニアムスリムの両親のもとに生まれ、父はユーゴ時代における最後のボスニア大統領だった。

 内戦が始まると、セルビア人の友人が口を利かなくなってしまった。

 

 セルビアにはボスニア人も住んでおり難民もいるが、表立った差別やいじめは浮けていないという。

 内戦時に隣国ボスニアの惨状を見た人びとは、余計民族対立には神経質になっていたという。