うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『貧しき女』レオン・ブロワ

 レオン・ブロワ(Leon Bloy)(1846-1917)はフランスの小説家・エッセイストで、同時代のユーゴーモーパッサン、ゾラなどを敵とみなして攻撃していたことで有名である。

 敬虔なカトリック作家といわれるが、慈悲深い説教のようなイメージを期待するとその差におどろく。

 

 ごてごてと飾り付けられた濃度の高い訳文が特徴のブロワの本。すべての出来事や人物は宗教との関連において表現される。

 この本の語り手にとって、近代は腐敗した時代である。かれが理想とするのは、中世である。中世に対する極端な憧れが全編にわたって噴出している。

 

 

  ***

 平凡なあらすじ:

 1 無頼漢のシャピュイは、娘を連れたマルシャレ未亡人と同棲していた。

 2 未亡人の娘、クロチルドは、貧しくみじめな家で育ち、生活費を稼ぐために画家のモデルをすることになった。

 3 画家のガクニョルはクロチルドにまともな服装を買い与え、寄宿生に住まわせる。クロチルドはみじめな生活から救われたと感じ、ガクニョルや作家のマルシュノワール、レオポールらと親交を深める。

 4 ところが、無頼漢シャピュイは画家のガクニョルを刺殺し捕まった。クロチルドは、レオポールと結婚した。間もなく貧しさに苦しめられ、生まれた子供は悪臭の中で死んだ。残った2人は転居し、さらに貧しい生活を強いられる。

 5 クロチルドとレオポールは貧困の中で暮らす。最後、レオポールは火事の中から人びとを助け出し焼け死ぬ。

 

  ***

 キリスト教徒への迫害は、貧しさと悪臭、不潔という形をともなってやってくる。

 

 ――過酷な貧しさによって殺害されたかれは、その数か月前に死んだレオポールの子供と同じ墓地に葬られた。いともつつましい2つの墓は、さほど遠からぬところにあった。そこに憩う死者たちのきびしい眠りは、新たに眠りについた者を運ぶ人びとの足音によって、乱されはしなかった。おお、否、1匹のはえがかれらにつきまとっていた。しかしかれらは心から泣いた。

 

 ――まず、この忌まわしい家、恐怖と悪臭の小屋のことがあった。かれらは、すぐにそこから脱出することができず、お金がないために、ここで悪臭のなかの服喪という過酷な状態を強制されたのである。……その悪魔的な恐怖を想像していただきたい。葬儀人夫が子供を棺に納めようとしたとき、クロチルドは、神の涙をもってしても蘇生させえないラザル坊やに最後の口づけをしようとした。しかし、かれを死にいたらしめた厭わしい気体がかわいい顔のまわりに立ちこめていて、かの女は息が詰まりそうになった。

 

 ――キリスト教徒、貧しい真のキリスト教徒がもっとも無防備な存在であることは、疑いえぬ事実である。偶像礼拝の権利も意志ももたないとき、かれは何をなしえるであろうか?

 

 中世が終わり、卑しい近代が訪れたことについて。

 

 ――中世の数千年は、あなたの保護の聖人クロチルドから、愛徳の熱情を棺のなかまで運んだクリストファー・コロンブスに至る、偉大なキリスト教的服喪の期間でした。

 

 ――ルッターという無頼漢は、都合のいいことに、北方的乞食根性の族長たちによって期待されていたのです。……北ヨーロッパは、母なる教会を急いで忘れようとして、この猪の子の糞のなかに入りました。やがて400年にもなるこうした動きと、さきほど正しく定義したドイツ哲学が、プロテスタンティズムの落とした、もっともみごとなうんこです。それは検証の精神と呼ばれていて、梅毒のように生まれるまえに伝染するのです。だから、それはわが国民的天才の直観に完全に優る、などと書く、肥溜めの下で生まれた下劣なフランス人がいるんですよ。

 

 ――「中世とは、神の再臨の日までもう見ることができないような、巨大な教会――西洋全体と同じくらい広大な、サバオの十戒を思わせる、千年の法悦のうえに建立された祈りの場です! そこでは全世界が、賛美または恐怖のうちにひざまずいていました。神を冒涜する者すら、また残虐な人びともひざまずいていました」。

 

 中世を理想とする、そもそも全く共感できない狂信に基づいた強烈な非難が続く。

 信仰が、このような罵詈雑言と不潔きわまる文体を生み出すという落差がおもしろい。著者の中世信仰が正しいかどうかは関係ない。問題は、貧しい人びとの話をこのように装飾する表現がすぐれているかどうかである。

 

  ***

 ――かの女は病気になり、死に瀕した。近所の人びとの喜びはたいへんなもので、それは古代の勝利のプログラムのように展開された。野蛮な喧噪、人喰い鬼の声が夜じゅう聞かれた。奇怪な言葉、悪魔的な笑い声は壁を貫き、不幸な女を……。

 

貧しき女―現代の挿話

貧しき女―現代の挿話

 

 

 ◆その他の翻訳

 

モンテスキューと奴隷制に関して

 モンテスキューは黒人を人間扱いしていなかった、という引用がネット上でよくみられるが、『法の精神』の抄訳(中央公論社)を読んでいて、それは誤りではないかと疑いを抱いた。
 「ヨーロッパの偉人がこんなひどいことを言っている」というおもしろさだけで孫引きされているのだろうかと思ったが、調べたところ、英語圏でもよく論争を招く一節とのことである。

 

 モンテスキュー奴隷制の項で以下のように述べている。

 

 奴隷制は人間の本性に反しており、君主制、共和制では絶対に持つべきではない。

 各市民の自由は、公共の自由の一部であり、民主国家においては主権の一部である。

 奴隷制は、多民族への偏見にも由来している。

 

 ――知識は人間をおだやかにする。理性は人類愛に導く。それを捨てさせるのは偏見のみである。

 

 一部の国は、キリスト教に改宗しない者を奴隷とする法律を制定した。このことを批判し、次のように書く。

 

 ――なぜなら、絶対に強盗であって、同時にキリスト教徒でありたいと思っていたこの強盗どもは、きわめて信心深かったからである。

 

 ネットで孫引きされる黒人奴隷に関する文言は、全体が反語として表現されている。

 モンテスキューは、「もし黒人奴隷制の権利を支持しなければならないとすれば、こう言うだろう」と書く。

 以下の文言は、すべて奴隷制擁護のばかげた例として挙げられているものである。

 

 ――The Europeans, having extirpated the Americans, were obliged to make slaves of the Africans, for clearing such vast tracts of land. (ヨーロッパ人は先住民を絶滅させてしまったので、あれだけの広い土地を整理するためにアフリカ人奴隷を使うしかなかったのだ)

 ――Sugar would be too dear if the plants which produce it were cultivated by any other than slaves. (砂糖は奴隷以外に栽培させればあまりに高価になってしまうだろう)

 ――These creatures are all over black, and with such a flat nose that they can scarcely be pitied. (この生き物たちは全身が真っ黒で、のっぺりした鼻をもっているものだから、ほとんど同情には値しない)

 ――かれらに同情することなど、ほとんど不可能なほどである。

 ――きわめて賢明な存在である神が、魂を、とくに善良な魂を、まっくろな肉体に宿らしめたもうたなどということは考えられない。

 ――これらの連中が人間であると想像することは不可能である。なぜなら、もしわれわれが彼らを人間と考えるならば、人びとはわれわれのことをキリスト教徒ではないと考えだすであろうから。

 

 人間は平等に生まれるため、奴隷制は、自然に反していると主張する。

 

 ところが別の章では、一部の地域では、また気候条件によっては、統治のために奴隷制がやむを得ないとも言っている。

 「モンテスキューは黒人を人間扱いしていなかった」という説は疑わしいものの、モンテスキューの思想は単純な奴隷制反対ではない。

 フランス語の原典を実際に読まないと、正確な考えを知るのは難しそうだ。

 

法の精神 (中公クラシックス)

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『ペリリュー・沖縄戦記』ユージン・スレッジ その2

 もっとも精神を痛めつける武器は砲弾で、特に無防備な状態で砲撃にさらされることは、ベテラン兵士であっても耐えがたいものだったという。

 海兵隊は仲間の絆を重視し、実際、信頼関係があったからこそ力を発揮できたと著者は回想する。

 

 ――珊瑚礁岩の染みを見ていると、政治家や新聞記者が好んで使う表現がいくつか頭に浮かんだ。「祖国のために血を流し」たり「命の血を犠牲としてささげる」のはなんと「雄々しい」ことだろう、等々。そうした言葉が空疎に思えた。血が流れて喜ぶのはハエだけだ。

 

 ――私のなかの何かがペリリューで死んだ。失われたのは、人間は根っこのところでみな善人だ、という説を信念として受け入れるような、子供っぽい無邪気さかもしれない。しかし、自分は戦争の野蛮さに耐えなくても済むくせに失敗を繰り返し、他者を戦場に送り続ける政治家という存在を、信じる気持ちを失ったのかもしれなかった。

 

  ***

 アイヴィーリーグ出身の、若い新任士官の風景。

 

 ――私は戸惑いを隠せなかった。どう見ても、戦争をフットボールボーイスカウトのキャンプと取り違えていたからだ。

 

 沖縄戦の時期に補充された新兵は教育程度が低く、基礎訓練の後そのまま戦地に送り込まれたようだった。かれらは手りゅう弾を箱詰めのまま投げ、何をすればいいかもわからずほとんどが殺害された。

 

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 ――あんなに帰国を望んでいた戦友が、海外戦線にふたたび志願することを考えているなどと書いてよこす気が知れなかった。戦争にはうんざりしていても、ふつうの社会生活や安楽な国内の軍務に順応することのほうがむずかしかったのだ。

 戦場を経験した者にとっては、ささいなことで不満を言う市民がうっとうしかったという。

 

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 沖縄戦は泥とぬかるみ、「人間肉挽機械(ヒューマン・グラインダー)」と呼ばれる砲弾と機関銃の嵐をかいくぐらなければならない場所だった。

 著者は戦場の風景を細部まで記憶している。

 沖縄戦は砲火が激しく、屍体の回収にも時間がかかった。このため、日本兵、米兵の屍体があちこちに散乱し、着ている服の裾やポケットから大粒のうじ虫があふれだすようになった。

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 海兵隊員として戦った著者は、自分の体験に対して相反する2つの評価を下している。

 この両面のどちらもが戦争の構成要素であり、自分の見たい方だけを取り上げて論じることはできない。

 

 ――戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である。戦闘は、それに耐えることを余儀なくされた人間に、ぬぐいがたい傷跡を残す。そんな苦難を少しでも埋め合わせてくれるものがあったとすれば、戦友たちの信じがたい勇敢さとお互いに対する献身的な姿勢、それだけだ。海兵隊の訓練は私たちに、効果的に敵を殺し自分は生き延びよと教えた。だが同時に、互いに忠誠を尽くすこと、友愛をはぐくむことも教えてくれた。そんな団結心がわれわれの支えだったのだ。

 

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 ◆メモ

 地上戦闘がどのような様子なのか、戦争に参加することがどういうことなのかを示す本。

 戦争には国際政治の一要素という側面がある。わたしたちは、抑止や外交戦略という観点から、もしくは鬱憤晴らしや現状打開のために、気軽に戦争という選択肢を考慮しがちである。

 しかし、ほとんどの人間が直面する戦争とは、おそらくこの本に書かれているような現実である。

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)