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the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『スラヴ民族と東欧ロシア』森安達也

 スラヴ民族の定義、歴史、宗教から衣食住までの文化、社会主義との関係、周辺民族とのかかわりなどを概観した本。

 

 スラヴ民族とは、印欧語のひとつであるスラヴ語派に属するスラヴ諸語を母語とする民族である。この分類はラテン語民族、ゲルマン民族等に対応する。共通基語からの分化が遅かったため、「スラヴ諸語の言語的共通性はゲルマン系諸語やロマンス系諸語よりもはるかに古い」。

 文化面では、カトリック東方正教会に分かれる。また、社会主義化したため、全域がその影響を受けている。

 スラヴ人の故地は明らかでなく、おそらく、カルパチア山脈北部、プリピャチ川南に位置したと推定されている。

 ロシアを意味する「ルーシ」の語源はわかっていない。

 コサックは「元来は15,16世紀にポーランドやロシアの領内から過酷な農奴制や宗教的圧迫に耐えかねて逃亡してきたロシア人やウクライナ人の農民である」。かれらは歴史上、遊牧民に対する防衛隊の役割を果たした。

 スラヴ人の故地を構成するのは、森林、ステップ、その中間である。かれらは狩猟、養蜂、焼畑によって生活した。

 ――森林とは、スラヴ人にとっては野獣の出没する危険な別世界であった。この別世界は、それゆえに世俗的空間に対する宗教的空間としても機能したのであり、ロシア正教の静寂主義(ヘシュカスモス)を育む空間となったのであった。

 中央、北方ユーラシアは地理的障害を持たないため、ロシアは一様性を持つ、無限定に広がる空間を形成した。

 ――(スラヴ圏は)ヨーロッパとアジアの双方を志向する文化的・地理的空間なのである。

 スラヴ人ははじめ採集や漁労、やがて麦作、牧畜によって生活した。農耕が普及してからは、狩猟は毛皮獲得のためにおこなわれた。

 ――19世紀までは、地主の大土地所有による小作農がスラヴ語圏の伝統的農業の形態だったが、第二次世界大戦以後は、ソ連以外のスラヴ諸国もすべて社会主義化された結果、農業の集団化が進み、伝統的な農具も次第に姿を消した。

 東スラヴのミールについて……ミールとは農村共同体であり、「農民の間では一種の神聖な倫理的観念と結びつけて」いた。

 

 ◆スラヴ諸語

 言語数は約13、ロシア語は使用人口で2億人超、ソルヴ語は10万人ほど、ゲルマン、ロマンスとならぶ有数の言語群である。キリル文字を使うものとラテン文字を使うものがある。

 キリル文字の起源……名称はコンスタンティヌスの修道士キュリロスに由来する。しかしつくったのはかれの弟子たちで、「9世紀のギリシア語の楷書体大文字のもとになったウンキリアス体を模倣したもの」である。

 古代教会スラヴ語……「非常に優れた中世文章語であり、東方正教文化圏にあるスラヴ世界において、西ヨーロッパにおけるラテン語とほぼ同等の役割を果たした」。古代教会スラヴ語はロシア標準文章語となった。

 

 ◆歴史

 ――スラヴ民族が世界史の動向を左右するようになったのは、20世紀になってからのことにすぎないのである。

 スラヴ世界は9、10世紀にかけてキリスト教を受容し、「当時の文明社会」に参加した。スラヴ民族は農耕民だが、統一国家をつくらなかった。かれらに統一をうながしたのは遊牧民、遊牧国家、またビザンツ、フランク、アヴァール・ハン国等である。

 

 ◆各国の成り立ち

 モラヴィアは9世紀に成立し、現在チェコスロヴァキアにふくまれる(ソ連の時代)。ブルガリア……トルコ系遊牧民ブルガール族による。

 ――〈蛮族〉の国からキリスト教国家になることは、国際的な地位の確保につながり、また支配者の側からすると、キリスト教という新しいイデオロギーによって自己の支配の正当性を主張しえたのである。

 ボヘミアは現在のチェコ西部にあたる。ポーランドもまたスラヴ民族の国である。

 ビザンツとスラヴ……「ビザンツ帝国にとってスラヴ民族は、最初はまとまりを欠く〈蛮族〉であったが、やがて国家を形成し、キリスト教を受け入れた周辺民族となり、さらには帝国の存亡を脅かす敵国ともなった」。

 スラヴ族はビザンツ文化を吸収し、それえを現在でも維持している。

 18世紀から、ロマノフ家がドイツの王家と関係を深めていく。ドイツ人エカテリーナ2世はロシア近代化に大きな役割を果たした。19世紀において、文化的にはフランス志向が大きかった。

 16世紀以後、ロシアは植民地を拡大していき、その過程で、少数民族を圧迫した。

 ――南カフカスをめぐって、18世紀から19世紀にかけて、ロシア、トルコ、ペルシアの3国が支配を争ったが、結局、19世紀初頭からグルジアアゼルバイジャンアルメニアなどがロシア帝国領となった。

 

 ◆パン・スラヴィズムについて

 (略) 

 

 ◆スラヴとオスマン帝国

 オスマン帝国の征服により、バルカンのトルコ化が進んだ。オスマン帝国は「完成されたイスラム国家」といわれる。異民族であってもすぐれたものを官僚として登用した。また、様々な宗教共同体ごとに自治を認めた。やがて帝国が衰退すると、圧迫の度合いも高まり、独立運動のきざしがみえる。

 

 ◆文化

 スラヴ民族の異教時代の史料は乏しいが、多くの祭日は、キリスト教以前の行事にしたがって決められている。

 異端とヤン・フスについて。

 衣食住ともに東方の影響が強い。寒いところは木造、南方は石造りの家が多い。

 

 ◆近現代

 スラヴ民族の大半は東方正教と結びつくことで、ラテン・ゲルマン世界とは別の道を進んだ。

 社会主義とのかかわりについての説明……レーニンは民族の平等を説いたが、スターリン以後は、少数民族に対する抑圧、ロシア人による優遇措置が続いた。

スラヴ民族と東欧ロシア (民族の世界史)

スラヴ民族と東欧ロシア (民族の世界史)