うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦う操縦士』サン=テグジュペリ

 対独戦の仏軍パイロットとして出撃をまつ場面から本書ははじまる。仏軍は物量的に不利な状態にあり、司令官アリアスの出撃命令は死刑宣告に等しかった。焼け石に水のような貧弱な航空体制のもとで、彼は国家への忠誠を失いかけ、すべてを無意味と考えるようになっていた。

 実際に戦闘に参加し、無駄死にに等しい死を課される兵隊にとっては、戦争は民主主義とナチスとのたたかいなどではない。サン=テグジュペリは言う、彼が戦っているのは劣悪な計器や酸素不足である。

 彼はフランスの敗戦の意味を考察する。顔面損壊したパイロットにとっては、フランス国民の犠牲がデモクラシーの援軍を呼ぶことに成功した、などという論理は意味をなさない。デモクラシーは観戦者としてフランスを見物し、審判者として傍観を決め込む。兵隊にとってこうした大義名分は意味をなさない。

 では死に意味を与えるのはなんだろうかと彼は何度も問う。彼は国家と内面、知性と精神を相互に比較しつつ死に意味を見出そうとしている。ここでは知性とは理性のことであり、精神とは理性、つまり合理性や論理では測れぬものをさすようだ。

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 当時のフランスは人口からしてドイツの半分だったという。日本とともにフランスもまた敗戦を味わった国民である。

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 ――わたしたちは人間の「自由」を説きつづけてきた。しかし、「人間」を忘れ去ってしまったために、わたしたちは「自由」を、他者に損害を与える場合だけ制限を受ける、漠然とした放縦として定義するようになってしまった。これではその意味が失われてしまう。なぜなら、他者を巻き添えにしないような行為など存在しないからだ。……純粋な個人というものは存在しない。

 

 彼によれば、「共同体」は「群集」とは異なり、また「人間」は「個人」とは異なる。

 キリスト教に基づいた部分はよくわからなかった。

 

戦う操縦士 (サン=テグジュペリ・コレクション)

戦う操縦士 (サン=テグジュペリ・コレクション)