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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『紙の中の戦争』開高健

 「塹壕の中のことは語らない」ということばにあるように、戦場は本来極度に言い表しにくいものである。

 開高はわたしと大分異質な人間なのか、読んでいると頻繁にひっかかる。つねに感心しうなづきながら読める文章があるとすればこちらはその反対である。かといっていちいち反感をもったり作者を小ばかにしながら読むという類ではないので、おそらく性格の問題だろう。

 いたるところ実体でありながら極度の抽象性をもった作品が深沢七郎の『笛吹川』である。形容詞をほとんど用いない淡白な描写がかえって存在を強固なものにしているのだと開高は言う。文章のなかでもっともほろびやすい、腐りやすいものは形容詞である。

 ――この作品はいっさいの形式の戦争が持つ、原質のようなもの、生理のようなもの、核部にあるものをみごとにえぐりだしたように思われる。

 戦国時代の貧農という細部を徹底して表現することで「全体を分泌」させる。

 使命感が事実を押しのけているか、それとも単なる交通事故の報告と化しているか、これが「見ていない」精神による戦争ルポの傾向である。

 日露戦争時代の、戦争と国家への純粋な態度と、それから十六年後の大正期の態度とには遠い隔たりがある。それは戦中と戦後の若者の違いと通じるものがある。しかし、いずれの傾向にあっても良心というものは生きていた。

 日本兵とロシア兵の様相が執念深く書き連ねられるが、モンゴロイドか白人かといった外見の差にはまったく触れられていないという。即物的な死が抽象的に描かれていると開高は述べている。

 ――人にはどこか平和にも耐えられず、戦争にも耐えられぬという心性があるように思われる。

 開高がこだわるのは知識人のイデオロギー紛争でもバリバリやらカタカタやら機関銃の効果音でもなく実際に従軍した人間たちの感じたものである。今日出海氏の『山中放浪』における敗軍下の兵隊たちは、古来からの農民を受け継いだ徹底的な無思想・無主義の実益人間であり、その性質はコンピュータに向かう労働者にも残っているという。

 藤枝静男『犬の血』、『イペリット眼』。軍隊および人間社会を形成しているのは畸形である。醜いもの、陰惨なもの、汚濁したものを鮮烈に示し、そこからなにも導き出そうとしない。

 長谷川四郎の文体は日本文学の陥りやすい中毒にまったくかかっていない。すなわち「ギリギリ」「どんづまり」「とことん」「出口なし」「極限」「虚無の極北」「解体の果て」だのとは無縁ということである。

 

紙の中の戦争 (同時代ライブラリー (278))

紙の中の戦争 (同時代ライブラリー (278))