うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『補給戦』マーチン・ファン・クレフェルト

 兵站の視点から戦争を分析した本は少ないが、本書はその試みに挑んだ。戦争においてもっとも重要なのは現実的な側面、つまりいかに補給するか、輸送するかというところにある。

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 十六世紀ヨーロッパは、戦争の規模が格段に大きくなった時代でもあった。この時代の軍隊は兵士の数に匹敵する荷物もちや馬車、食糧車を抱えていた。十万、二十万という軍隊ともなると、現地調達、つまり略奪では供給が間に合わないので、契約商人が戦線に同行することになった。

 この時代のもっともすぐれた輸送手段は河川だった。河川の流れと輸送船をいかに効率的に使うかが、すぐれた兵站術の要とされた。

 軍隊の目的とは、他国の犠牲のもとに生き延びることだった。つまりは現地での略奪である。当時の戦争のほとんどは包囲戦だったが、この包囲戦が厄介で、二ヶ月も停滞すれば軍は周辺の作物をすべて奪いつくしてしまう。とくにかいばはもっとも不足しやすく、持ち運びも困難なので、解決不可能な問題とされていた。よって、軍隊は補給をもとめて延々とヨーロッパをさまよわねばならなかった。

 かいばや食料に比べて、弾薬が不足したという例はほとんどない。

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 ナポレオンは、従来とは異なるまったく新しい戦争を創始したものだと一般におもわれている。ところがこれはクラウゼヴィッツによる誤解が広まった結果であり、著者によると、ナポレオンの用いた兵站戦略はかれ以前の、ヴァレンシュタイングスタフ・アドルフの用いたそれと大差はないというのである。

 ここでは勝利をあげたアウステルリッツ会戦と、モスクワ撤退との二つの例をあげている。アウステルリッツでは兵站のための輜重隊や輸送車が十分でなく、ドイツ以東からは現地調達でしのいでいたにもかかわらず勝利することができた。

 この反省から、ナポレオンは常設の補給部隊、兵站部隊を置いた。万全の準備を期して行われたモスクワ進軍は、しかし悲惨な結果におわった。ナポレオン敗退の原因は兵站にあったのではなく、緩んだ軍紀にあった、と著者は考える。

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 普墺戦争の頃には鉄道の軍事利用がはじまっていた。しかし参謀総長モルトケプロシアよりも、ロシアやフランスのほうがその有効性を認識していたといえる。ドイツの鉄道改良がはじまったのは普墺戦争の後の話である。

 普仏戦争時の、モルトケ率いるプロシア軍でさえ、「実態は武装遊牧民」と評されている。補給は荷降ろし駅で停滞した。パリを包囲したプロシア軍は「巨大な食糧生産機構」となり、戦闘ではなく収穫と調理に従事した。弾薬も兵が携帯した分だけで間に合い、補給の必要はなかった。

 モルトケの自画自賛、理論の押し付けもあいまって、普仏戦争における鉄道の役割は過大評価されてきた。

 「モルトケ麾下の軍隊は移動の間だけ食を手に入れることができたこと、一ヵ所に数日間以上留まると大きな困難が生じたこと、モルトケの掌中にあった軍事機構は結局のところ近代的ではなかったこと、以上は確かな事実である」。

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 普仏戦争がおわると「鉄と石炭の時代」がやってきた。各国は徴兵制を採用し始め、国民人口に対する兵士の割合は以前とは比較にならぬほど増大した。

 ドイツはシュリーフェン計画をもとにフランス進行作戦の準備をしていた。ところが参謀総長シュリーフェンが立案したこの計画は補給と兵站に関しての考慮が足りず、後任の小モルトケは計画に修正を加えた(このため彼は後年批判にさらされる)。

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 ヒトラーは自動車にまつわるすべてを熱烈に賛美しており、軍の自動車化のためにおろそかにできぬはずの鉄道予算を削ってしまった。

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 七章「主計兵の戦争」……作戦立案の時間には限りがある。指揮官にもとめられるのは「適応性、機略縦横、即製能力、そしてなかんずく決断力である」。英米連合軍は万全の準備をもって「オーバーロード」作戦を決行したが、その兵站部は悲観論に彩られていた。ところがパットンは兵站や数表を無視し、突進をつづけ、「実行不可能」なはずの進撃を成功させてしまった。

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 補給を完璧にするには数学の天才がコンピュータの前に陣取らなければならない。しかし、戦争を決定するのは知性だけではない。ナポレオンのいったように「戦争において精神と物質は、三対一である」。

 

 物量戦における補給の重要性を説くかとおもいきや、士気や精神といった無形の要素もまた不可欠であるとの結論に至る。

 

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)