うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ファンタジーの文法―物語創作法入門』ジャンニ・ロダーリ

 作者はイタリアの詩人・童話作家であり、『2度生きたランベルト』等の作品がある。

 彼は「創造力(イマジネーション)」が大切であると言う。ノヴァーリスの言葉……「論理学があるようにファンタジー学があるならば、創作の方法が見出せるだろう」。

 この本では、お話がどうやってつくられるかについて検討する。かなり体系的に、想像力の方法が追求されている。

 

 無数の出来事は短時間のうちに継起するが、そのすべてを記録することは不可能だろう。ことばも何かを受け取ると「無限につながった一連の反応」をよびさますが、それは複雑である。単なる「石」ということばでさえいろいろな方向へ落下し、過去の世界へ入り込み、隠れていた存在を浮上させる(ことばの連関)。その頂点はプルーストで、追憶の作家たちはそこに入れ込みすぎることもあった。

 ファンタスティックな主題は、ことばの探索の中で奇妙な接近がつくり出されるときに生まれる。

 「表面的には機械的なプロセスの中に、わたしのイデオロギーがどのように投影しているかを書き留める」こと。

 「現実を新しい形で再発見し、描写する方法の問題」について。


 精神や、ことばというものは、対立や組み合わせから起こる。パウル・クレー曰く、「概念の二項式」。

 ――ふたつのことばの間には、ある距離が必要である。一方のことばが他とまるで関係のないこと、およびその接近がかなり異常であることが必要である。なぜなら、創造力というものはそれらの間に類縁関係を設置し、ふたつの要素が同居しうる(ファンタスティックな)集合を創り出すために活動を開始することを余儀なくされるからである。

 

 「もし……ならば、どうなるだろう?」というような仮定は網となり、投げかければいずれ何かがひっかかる。

「もし朝起きたら毒虫になっていたら?」。

「ごくつまらない素材であっても、望まれれば、物語に火付け役の機能をあたえる有効な素材となる」。

「現実には正面から入ることもできるし(わたしの狭まった、固定された想像力は正門しか見ることができない)、小窓からしのび込むこともできる」。

「世界中から、北極から南極まで、時々刻々、お金が消えたら、どうなるだろう?」

 より社会的関心の強い仮定を通して、現実とぶつかり合おうとすること。

 このファンタスティックな仮定とは、概念の二項式のひとつのパターンに過ぎない。

 ことばの変形は生産的な遊びだ。ことばに接頭辞を組み合わせること、これも二項式である。

 

 過失(ラプスス)から物語が生まれること。誤謬は二項式であり、ことばから自由になる途のひとつだ。間違いながら学ぶ、間違いながら創造する。

 シュールレアリスムの手法によって、ことばのコラージュをつくることは古くからある遊びである。「異化」、ファンタジーの多項式。共同作業による創造、シュールレアリスムごっこ。

 ある詩句から音の連想によってそのパロディーをつくることは想像力の鍛錬になる。「ことばをひとつの玩具として使用する」。なぞなぞの根底にあるのは対象の異化である。<異化―連想―隠喩>。

 人生においてはしばしば、正しい答えを見出すために、ごまかしの選択を避けなければならない。

 

 アンデルセンは民話を学ぶことで自らの想像力を解放させた。話を間違えること、話のパロディーをつくること。既存の物語の要素に、ひとつ場違いなものを混入させてそれをとりいれるのだ。これもファンタジーの二項式のひとつである。例に挙げられているのは、赤ずきんの話に、「ヘリコプター」という要素をまぜることだ。

 この方法とは別に、話のテーマをひっくり返すという方法もある。この遊びが生産的になるかは、物語の一要素をひっくりかえすか、全体をひっくりかえすかにかかっている。

 後日談を想像することについて……こういう慣性の力、自動的に夢想をおこすものだけでは新しい物語は生まれない。それを見て取る理性が必要なのだ。

 再話とは、ある物語を別の場所や時代におきかえて再び語ることだ。いちどその物語を抽象的な状態に還元する。このすばらしい例はジョイスの「ユリシーズ」だ。

 ――想像力のあそびをしながら社会ドラマとしての現実を発見することになるかもしれない。A・B・C・Dという抽象的再話の中にも、今日の世界が荒々しくはいりこんでくるかもしれない……そしてわたしたちは地上にいることに、地上の真っ只中にいることに、あらためて気づくかもしれない。そして再話の中にも、ある性格をもった政治的あるいはイデオロギー的内容が飛び込んでくることもあろう。わたしたちは<メッセージ>から出発してはいない。それは、意図しない到達点のようにひとりでに現れてくるものなのだ。

 

 プロップは物語の構造、構造そのものであるテーマを<機能>と呼んだ。

 プロップは民話の機能を解体した。

 ――民話は、結局、聖なる世界から世俗的世界への降格から生まれたのだ。その昔儀式と文化の対象であったものが降格によって子供の世界へ達し、遊び道具に生まれ変わったことになる。たとえば人形がそうであり、独楽がそうである。演劇の起源にも、聖から俗へという同じ過程がないであろうか。

 

 プロップの提示した昔話における機能……留守、禁止、違反、捜索、密告、謀略、黙認、加害または欠如、調停、主人公の同意、主人公の出発、魔法の授与者に試される主人公、主人公の反応、魔法の手段の提供、主人公の移動、主人公と敵対者との闘争、狙われる主人公、敵対者に対する勝利、発端の不幸または欠如の解消、主人公の帰還、追跡される主人公、主人公の救出、主人公が身分をかくして家にもどる、にせ主人公の主張、主人公に難題が課される、難題の実行、主人公が再確認される、にせ主人公あるいは敵対者の仮面がはがれる、主人公の新たな変身、敵対者の処罰、主人公の結婚。

 一連の機能は、通常、序列に従って使用される。ボンド映画や冒険小説はいまだにこの手順を踏んでいることが多いという。

 

 時と場所という鍵を使うことで、物語は寓意をもつようになる。

 登場人物の要素を分析し、別の物語をつくる、これを<ファンタジーによる分析>とよぶ。これは単純な資料から想像力を働かせて、有効に利用することになる。

 ある人物をつくり、そこから物語をつくるとき、それは<ファンタスティックな論理>と<論理的論理>に基づいてつくられる。登場人物の創造。

 ものに魂を入れること。<ファンタジーによる引き算>、世界から何かを消したらどうなるか(無の遊び)。

 間違ったことに対する<優越性の笑い>と、<意表をつかれた笑い>について。

 ――優越性の笑いが積極的な役割を果たすためには、その矢がねらわなくてはならないものは、むしろ、古くさい考え方や、変化に対する恐怖心や、規範的なものに対する盲信などである。この種の物語の中では、反順応主義タイプの<間違った登場人物>が成功をおさめなくてはならない。自然らしさや規範に対するかれらの<不従順>にこそ褒賞が与えられなくてはならない。世界、それをおしすすめていくのは、まさに不従順な人たちなのだ。

 間違った人物の形をあらわすのはおどけた名前だ。また意表をつくということは使い古された隠喩やことばに注目することだ。わたしもおもしろいと思った例を引用しておく。

「むかしあるところに、分を刻む時計がありました。その時計は木や石まで刻み、何でもこわしてしまいました」。

 ――毎日使っている表現や語彙は隠喩に満ちていて、文字化され、物語に発展されることを期待している。<規範からの脱線>。危険を伴うものは、<攻撃性の笑い>や<残忍性の笑い>だ。

 職業は洋服掛けで、いつも手を伸ばして客の服を吊り下げる……これは<モノ化の笑い>だ。ここには笑いもあるが悲しみと不安もある。

 数学の物語。計測単位による遊び、高低、大小など。ファンタジーの対称性(シンメトリカ)。変身譚。

 

 想像力はあらゆる人間にそなわっている。抑圧的社会にいない限り、誰もが創造することができる。あそんでいるときこそ真の人間である。  

ファンタジーの文法―物語創作法入門 (ちくま文庫)

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