うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『生物兵器』ケン・アリベック

 ソ連による生物兵器開発の概要と、崩壊後、一連の技術が北朝鮮、イラン、過激派等に流出していった疑惑についての本。

 著者は元ソ連生物兵器製造組織最高責任者であり、アメリカに亡命後この本を出版した。

 生物兵器の危険は間近にせまっている。病原体は安価に手に入り、容易に兵器化できるという。

 

 1

 ソ連生物兵器開発機構は、1972年、生物兵器禁止条約締結の年、秘密裏に創設された。

 著者は国家薬事局に勤務する研究員だったが、ロシア陸軍にも所属していた。かれらは民間の研究者として身分を偽り、世界中から細菌・ウイルスの株を受け取ることができた。

 生物兵器開発の起原は1920年代にまでさかのぼることができる。

 カザフ人である著者は、トムスク軍事医科大学を卒業すると、バイオプレパラートでの勤務にスカウトされる。

 陸軍将校による勧誘が、生物兵器開発であることはすぐにわかったが、功績を残したい、名を上げたいという科学者としての自尊心に従い了承した。

 軍は、倫理的な問題について、「アメリカは生物兵器を進めているに違いない、だからわれわれも開発する」という理屈だけを述べた。

 

 2

 KGBに警備された秘密施設で、著者ら研究者は細菌やウイルスの兵器化研究に取り組んだ。

 スヴェルドロフスク事故は、不注意から炭疽菌が市街地に流出し数十人の死者を出した事件である。政府によって隠ぺいされ、汚染肉の密売によるものだとされた。このため、事故の教訓はまったく生かされなかった。真実が明らかになったのはエリツィンが大統領に就いてからである。

 天然痘ウイルスやエボラウイルスマールブルクウイルスの改良が進められ、ワクチンの効かない種、複合的な症状を起こす種がつくられた。

 同僚のウスチノフは不注意事故でフィロ・ウイルスに感染し死亡した。屍体からはより抵抗力と毒性の増したウイルスが摘出され、「U株」として培養された。

 

 3

 秘密に包まれた兵器開発はその他の機関でも並行して進められていた。KGB第一総局の管轄する研究所では、暗殺に使われる生物兵器が研究された。

 遺伝子工学も発達し、DNA組み換えによるキメラウイルスの作成にも成功していた。

 ゴルバチョフの代になり、兵器開発は岐路に立たされる。

 アメリカの査察受け入れに伴い、著者らは必至で施設の隠ぺいを行う。その様子は、どこの役所でも見られる滑稽な光景である。

 問題のある設備は解体し、かぎをかけ、偽装をほどこす。査察団をアルコールとごちそうでもてなし、時間を稼ぎ、質問には嘘で答える。

 兵器開発を中止しようというトップの意向に著者も賛同したが、軍や高級官僚は路線を継続させようとしていた。

 ヤナーエフらによるクーデタ時の様子についても書かれている。皆、エリツィン・議会につくか、守旧派につくかで様子をうかがっていた。

 

 4

 アメリカの生物兵器研究施設を査察した結果、既に攻撃兵器開発が数十年前に停止していたことを発見した。

 

 ――結局われわれは、同胞にだまされたのだ。わたしはいまでは、ほとんどのソ連の上級職員はアメリカが1969年以後、これといった生物兵器研究をしていないことを知っていたのだと思っている。……それでも、われわれに危機感を植え付けるには作り話を吹き込む必要があった。ソ連生物兵器研究は、まず恐怖と不安感から生まれ、ながらくクレムリンの駆け引きにゆだねられてきた。

 

 ロシア崩壊後、差別される外国人になってしまった著者はカザフスタンに帰国する。ところが、ここでも引き続き兵器開発に携わるように脅迫されたため、アメリカに亡命した。

  ***

 著者の分析によれば、ロシアは現在でも生物兵器開発を継続している。

 しかし、国内の困窮により大量の科学者が流出し、また培養された細菌やウイルスが横流しされている。イラク、イラン等に対しては培養設備の売却が行われ、小国やテロ組織であっても容易に兵器化が可能である。

 生物兵器防衛に真剣に取り組む必要があると著者は主張する。

 ロシアから亡命し、秘密の生物兵器開発帝国を暴露したことについては、ロシアが国民に対しおこなっている欺瞞に比べれば軽いものであるという。

 

 ――ロシア国家が禁止兵器を造る人間を英雄視するかぎり、国民を殺し内戦をしかける外国の独裁者に資金等の援助をするかぎり、ロシアの医者や教師に殺人の訓練をほどこすかぎり、そしてこれらのことに抗議の声をあげ、不道徳なことを不道徳と呼び、倒錯した社会を少しでも変革しようとする人間を犯罪者とみなすかぎり――つまりはこれまでのような状態が続くかぎり、ロシアによりよい未来は訪れない。……ロシアで真に求められているのは道徳改革である。道徳が変わらないかぎり、ロシアは変わらない。

 

  ***

 大規模な兵器開発プロジェクトが、全て秘密で行われていたという点が強烈である。

 国家は、安全保障のために、あるいは政治的目的のために、国民に対しても、国外に対しても平気でうそをつくということを認識しなければならない。

 本書では、ソ連における軍、KGB、行政組織の細部だけでなく、一般市民の生活、カザフ人ら少数民族への差別や扱い等についても、その実態を知ることができる。

 

  ***

 用語

 バイオプレパラート:ソ連国家薬事局。保健省の傘下にあるが、実際は軍、KGB共産党の統制を受けた生物兵器開発組織の統制を受ける。

 局長は姑息な官僚として描かれるカリーニンである。

 第15委員会:国防省隷下の生物兵器開発部門。 

生物兵器―なぜ造ってしまったのか? (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

生物兵器―なぜ造ってしまったのか? (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

『阿片常用者の告白』ド・クインシー

 どのようにして阿片中毒者になったか、また阿片の服用についてを説明する本。

 著者のトマス・ド・クインシーは19世紀前半に活動したマンチェスター出身の評論家で、麻薬を扱う本書はボードレールベルリオーズにも影響を与えた。

 

 本書に登場する阿片チンキは当時使われていた阿片含有の咳止め、鎮痛剤である。

 大部分は著者の回想からなる。文体は古めかしく、読むのは疲れる。

 

 著者は商人の息子として生まれた。学校でギリシア語を習得したが、何か理由があり蒸発し、以後ロンドンで極貧生活を続ける。売春婦から援助を受け、仕事のツテを探す等、苦労をするうちに身体が衰弱し、肉体的苦痛から逃れるために阿片を服用する。

 その後、定期的に阿片を服用する常用者となった。

 

 苦痛と憂鬱、社会の底辺で生きる心労に満ちた生活が説明される。

 また、一般的に流布している阿片に関する誤解を解くため、阿片を次のように定義する。いわく、阿片は暗褐色であり、比較的高価であり、服用し続けると死に至る。この定義はほとんど何も言っていないと同じことだが、実際に使用したときの効果や、そのときの所見については長々と表現される。

 

 阿片は神の食べ物(アンブロジア)、万能薬である。

 ――今や幸福は一片で買え、胴着の衣嚢に入れて持ち運べる。……断っておけば、阿片と深く付き合う者で、いつまでも冗談を飛ばしている者は1人としていないのである。実のところ、阿片の喜びは真面目で荘重な性質のものであって、阿片服用者はその最高に幸せな状態にあっても、自らを「快活の人」として表現することは出来ない。最高に幸せな時でさえ、「沈思の人」にふさわしい話し方、考え方をするものなのである。

 阿片はアルコールとは異なり、知性と平静を呼び起こす。

 

 阿片服用の影響や、夢の記録が続く。しかし、『付録』では、阿片の副作用について書かれている。

 著者は服用をやめようとしたが、全身の苦痛、口の腫れ、不眠、風邪の症状に悩まされたという。

 ――阿片と私の身体の惨めさの末期段階との間に何らかの関係があるかどうか、それを疑う以上の理由からして――もっとも、阿片が身体を一層衰弱させ、一層狂わせ、それで何によらず悪影響を受けやすいものにした偶因であることだけは認めるが、――私は喜んで、この件について読者に語ることを一切、省略する。読者もそんなことは知らない方がいい。私とても、そんなことは自分の記憶から抹殺してしまえと、同じ伝で気楽にいえたら、どんなにいいかと思う。人間に可能な悲惨さの余りにも生々しい典型の姿を描いて、これから先の静穏な時間をかき乱す必要など、どこにあろうか!

 

 ということで、副作用、禁断症状に苦しむ様子については省略されてしまっている。
 阿片服用に伴う作用を書いてはいるが、その表現手段は古典的な言葉である。 

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

 

 

『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 新聞で連載されていた文章を集めたもの。
 作者は徴兵後、予備士官学校を卒業、中国語等の語学力を買われ中野学校二俣分校に入校しゲリコマ戦術を学ぶ。終戦間近にフィリピンのルバング島においてゲリラ戦の指導を命じられた。このときの命令が、絶対に玉砕せず、潜伏を続けよというものだったため、終戦後もジャングルにおいて「残置諜者」としての活動を続けることになった。

 なぜ終戦が信じられなかったかについては、次のとおり理由を述べている。
・投降をうながすビラや放送に疑わしい点があり、敵の工作ではないかと判断した。

・日本は満州に亡命政府をつくり、反撃の機会をうかがっていると予測していた。この見立てに沿うように、朝鮮戦争ベトナム戦争時に大量の米軍機が朝鮮、東南アジア方面に向かうのを確認した。
・投降を呼びかける一方で、フィリピンの警察隊との戦闘が続いていた。

  ***
 ジャングルでの生活が細かく書かれている。
・主食は牛で、乾燥させて保存食にした。植物を食べた。
・アリ、蚊、ムカデ、毒蛇、サソリ、ミツバチとの戦い。
・集落の畑から泥棒して食料を調達した。
・武器弾薬は蛇の住む断崖に隠し、30年間保管した。一定の期間で居住地を変え、敵に発見されないよう努めた。
・ジャングル生活の過程で感覚が研ぎ澄まされ、風上のにおいの変化で牛の頭数がわかるようになった。銃弾が見えるようになった、等。


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 鈴木氏とかつての上官谷口少佐によってフィリピン軍に投降し、日本に帰国するが、1年たたずにブラジルに移住した。

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 本書のなかで作者が表明する意見の中には、賛成できるものがある。
広島平和記念公園の慰霊碑「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」を見て、これはアメリカが書いたものか、それとも負けた戦争をしたことを過ちといっているのか、と質問した。
 ――……「軍事目標主義の原則」から逸脱した市民に対する無差別大量殺人は、私の浅薄な知識からいっても戦時国際法違反である。
・戦争と自然に共通するものがあるとすれば、それは危機に対する緊張感である。どれほど科学文明が発達しても、人間はいまだに雨さえコントロールできないのである。
・帰国後の検査入院中にタクシーに乗ったとき、運転手は最近の若者を批判するが、作者は反論する。
 ――私は「運転手さん、それは違うよ」と反論した。「戦前の人間が立派なら、負ける戦争なんかしなかったんじゃないですか」
   運転手さんがおこっていった。
   「あんたもダメおやじの1人だね。少しは小野田さんを見習ったらどうだ」

 

 小野田氏の著作活動を補佐した人物による回顧録もある(『幻想の英雄』)というので、そちらもあわせて読みたい


たった一人の30年戦争

たった一人の30年戦争

 

 

『茶道の美学』田中仙翁


 茶道における美とは何かという原理を考える本。
 冒頭から床の間や内装の細かい美的感覚についての薀蓄が始まる。大まかな歴史に沿って説明されてはいるが、茶道知識のまったくない人間には大変読みにくい。

  ***

 1

 床の間、土壁、茶器を手に取ったときの感触、インテリアの美意識について。こうした美的な基準は、同朋衆と呼ばれる茶道の担い手たちが定め、時代とともに変遷していった。

 2

 茶器には中国伝来、高麗伝来、国産といくつか種類があり、それぞれが、その時代の美的感覚に基づいている。

 3

 中国からやってきた喫茶の伝統を国内で普及させたのは禅僧だった。平安時代には貴族たちが社交として喫茶を楽しんだ。やがて、茶道の担い手は武士や商人となった。室町時代には、乱世のなか貴族や新興武士たちが茶を行った。

 信長は外交手段として茶を用いた。茶道では、身分の上下に関係なく交流が行われる。かれは商人たちに茶器を与え、また商人や諸国の大名も茶道具を献上した。茶を通して交流を行い、領国経営を円滑にした。

 明治維新のとき、一時茶道は顧みられなくなったが、新政府の首脳や実業家たちが再び茶道や茶道具を取り上げるようになった。

 4

 お点前、その他の細かいしきたりについて。
 5

 茶の美は時代によって移り変わる。

 

茶道の美学 (講談社学術文庫)

茶道の美学 (講談社学術文庫)