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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン

 「敵を殺すこと」について心理学の視点から検討する本。

 戦争は人間の活動の中心であり、歴史以前から続いてきた。時代や技術レベルが変わろうとも、敵を殺すこと、つまり殺人が戦争の中核であることは否定しようがない。

 

 著者は軍人だが、殺人の経験はないという。同じ時代にあっても、前線でたたかう軍人とそうでない軍人がいる。

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 人間は、同種のものを殺すことに本能的に抵抗する。危機におちいると、人間は闘争、威嚇、逃避、降伏の4つのパターンに基づいて行動する。人間同士の争いではとくに威嚇がよく見られる。不良たちは威嚇によって力を示威しあい、実際の暴力行使はわずかである。古代ギリシアやローマの兵は羽飾りでからだを大きく見せ、ナポレオン戦争の軍隊も長い帽子で背を高く見せた。

 過去の調査から、生身の人間を前にすると兵隊は1割から2割しか実際に敵を撃たないということが判明している。ほとんどの人間は銃身を上にむけて発砲したり、わずかにそらして撃ったり、もしくはまったく引き金をひかない。

 戦争における銃の命中率はおどろくほど低かった。第二次世界大戦でも、1人を殺すのに100発以上必要とした例もある。

 ――これが、記録にくりかえし現れる戦闘の姿なのだ。マーシャルの第二次世界大戦の研究でも、この南北戦争の描写でも、実際に敵に発砲しているのはごく一部の兵士だということがわかる。ほかの兵士たちは弾薬をそろえたり、弾丸を装填したり、仲間に銃を手渡したり、あるいはどこへともなく消えうせたりしていたのである。

 ――第二次大戦中、撃墜された敵機の三〇~四〇パーセントは、全戦闘機パイロットの一パーセント未満が撃墜したものだとわかったのである。……いざという瞬間になると、敵機のコクピットに人間の顔が見える。パイロット、飛行機乗り、<空の兄弟>のひとり、恐ろしいほど自分とよく似た男の顔。そんな顔を目にしては、ほとんどの兵士が相手を殺せなくなるのも無理はない。

 人を殺すことにたいする強烈な抵抗は、歴史上のいかなる教練も克服することができなかった。実際の発砲率の上昇は、第二次大戦以降の米軍の教育によってはじめて観察された。

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 殺人への抵抗とともに、戦場での精神的損害も必ずつきまとう。その原因の第一は、ふつう予想できるような死と負傷への恐怖ではなく、「殺人を期待されているという両刃の剣の責任」ならびに「自分を殺そうとしている者の顔を見る」ことである。。

 ――ある程度の期間それに参加すると、九八パーセントもの人間が精神に変調をきたす環境、それが戦闘なのだ。そして狂気に追い込まれない二パーセントの人間は、戦場に来る前にすでにして正常でない、すなわち生まれついての攻撃的社会病質者らしいというのである。

 戦争による精神障害の要因はさまざまだが、著者はこれまで見過ごされてきた「憎悪の風」と「殺人の重圧」に目を向けるべきだと主張する。憎悪の風とは、敵から感じる憎悪である。人間は敵意をむけられるとかなりの疲労と衝撃にみまわれる。

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 物理的に遠くにいるほうが、容易に殺人をおかすことができる。

 民族の相違、文化的相違(白人と東洋人)、社会的相違、機械的距離は、殺人を容易にする。古代において剣や鈍器で殺戮をおこなったのは、平民から隔たった高貴な人間だった。暗視スコープや狙撃銃を通しての銃撃は精神的損害を軽減させる。ヘルメットのない人間の頭を撃つほうが難しい。

 

 現代における射撃訓練は「条件付け」を基礎におこなわれる。それは「実際の戦闘状況のシミュレーションに近い」。

 生まれついての兵士という人間がいる。彼らは必ずしも精神病質者や犯罪者ではない。人殺しに良心の呵責を感じない人間はつねにおり、彼らは戦時には常人以上の貢献をはたしてきた。

 撃墜王たちの共通項は、子供のころ喧嘩ばかりしていたことだという。ある軍人はこの差を、大多数の羊と一部の牧羊犬にたとえている。

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 人間は状況が整えばどんな残虐行為にも手を染めることができる。これは、決して古代人の専売特許ではない。

 ――世界を注意深く見まわせば、この私たちが信じている大義を守るために、どこかでだれかが闇の力をふるっているのが見つかるだろう。自分の好きな人、よく知っている人が、同胞たる人間にたいしてそんな行為ができると信じ、受け入れるのはむずかしい。それは、人間の本性というものをだれもが無邪気に信頼しているからだ。

 

 現代の訓練は、脱感作、条件付け、拒否防衛機制の三段階からなる。まず、殺せ、殺せとつねに唱えさせたりすることで殺人を神聖化する。つぎに、早撃ちゲームのように、なるべく実際の状況に模して射撃訓練をおこなう。的は人型で、破壊すれば中身がとびだすようなものがよい。パブロフの犬のように、命令され、対象があらわれたらすぐに撃つようにする。最後の拒否防衛機制とは、人殺しへの罪悪感を軽減させる方法である。繰り返しシミュレーションすることで、実際に敵を撃ったときも訓練とかわらないように錯覚させる。

 この方法で鍛えられた現代の軍隊……ベトナム戦争における米軍や、ローデシア戦争のローデシア軍、フォークランド紛争のイギリス軍などは、伝統的な射撃訓練しかほどこしてこなかった敵にたいして、圧倒的な殺傷率を記録した。

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 ベトナム戦争の負の側面……第二次大戦と運用が異なり、兵隊のほとんどはティーンエイジャーだった。模範となるべき古参兵が不在だった。彼らはばらばらに任地にやってきて、去るときもばらばらだった。故国に帰ればつばをはきかけられ、罵倒され、これが彼らの心的外傷を増大させた。

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 暴力的なメディアすなわち映画、ヴィデオゲーム、テレビが米国の子供たちに「脱感作」をほどこし、合衆国の犯罪率上昇を助長してきた、という主張には疑問が残る。

 ゲームの普及している日本において、犯罪発生件数は戦後一貫して減少を続けている。

 合衆国は逆に戦後から件数を増大させているというが、これは暴力的メディアとは別の要因があるのではないか。

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)