うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『A history of modern Israel』Colin Shindler

 イスラエルは建国から60年ほどを経て驚くべき成功を収めたが、いまだに多くの問題を抱えている。著者は具体例として軍事力への依存、汚職、貧富の差、宗教主義と世俗主義の対立、そしてパレスチナ問題等をあげる。

 本書はイスラエルのたどった歴史を説明するものである。

 

 1 シオニズムと安全保障

 シオニズムはテオドール・ヘルツルやモーゼス・ヘスによって提唱され、1880年代ロシアにおけるポグロムを経て影響が強まった。ユダヤ人国家の建設はナチ党の台頭前から盛んになっていたが、当初は正統派ユダヤ教徒マルクス主義者から反発を受けていた。

 第1次世界大戦前後から、ユダヤ人の入植が始まり、第2次大戦中は、ユダヤ人がイギリスの、アラブ人がドイツの支援を受けてそれぞれ運動を展開した。

 はじめ、ベン=グリオンやタベンキンといった運動家は、アラブ人共同体との共生を唱えていたが、入植者の対立抗争等、暗い現実に直面すると、徐々に対立は不可避であるとの見方が優勢になった。

 モシェ・ダヤンやイーガル・アロンといった人物が先鋭的な民兵組織パルマックを設立し、訓練を行った。ベギンの率いる武装組織イルグンは国外で訓練を行い、イギリスに対してテロ活動を実行した。

 やがて、ベン=グリオンも軍事力による自己防衛が不可欠であるとの潮流に傾き、イスラエルにおいて軍人が政治的影響力を持つようになった。

 2 ヘブライ共和国

 イギリスは徐々に中東から撤退しつつあった。1948年、ベン=グリオンらによって独立宣言がなされたとき、すでにアラブ連合の侵攻が始まろうとしていた。非正規軍による集落の襲撃が頻発し、多くの入植者が殺されていた。

 シリア、エジプト、ヨルダンの軍隊が攻撃を開始すると、イスラエルは当初、貧弱な装備で対処するしかなかった。その後、チェコスロバキアから大量の武器と制服を受けとったが、これはナチスドイツが当時生産したものだった。

 戦争終結とともに各地からユダヤ人が終結する。

 3 新移民と最初の選挙

 イスラエル独立はアラブ国家におけるユダヤ人に打撃を与えた。シオニズムには賛同していなかったユダヤ人も、アラブ国家内の反ユダヤ主義によってイスラエルへの移住を余儀なくされた。

 パレスチナの難民はイスラエルから出ることも、近隣の国家に移住することもできず、その処遇が問題になった。

 4 敬虔の政治

 選挙によってベン=グリオンが初代首相となった。彼はマルクス主義政党を退け、宗教政党と協力する道を探した。マルクス主義政党はソ連に忠誠を誓っており、イスラエル国益を考えると信用できないと、彼は判断した。また彼は、原理主義的な宗教政党についても警戒した。

 マルクス主義と超正統派との間でバランスをとるためにベン=グリオンは独自の立場をとった。

 ユダヤ人国家建設については、まずユダヤ人の定義が問題となった。現在のところ、イスラエルに居住を認められるユダヤ人とは、ユダヤ人の母を持ち、ユダヤ教に帰依したものをいう。

 1952年以降、アラブ圏からユダヤ人が大量に移入し、国家の組成を変えた。彼らは、それまで多数であったアシュケナジ(ヨーロッパ系ユダヤ人)とまったく異なる文化を持つセファルディム(アラブ系ユダヤ人)と呼ばれていた。彼らには、イスラエルの根幹をなす啓蒙主義社会民主主義の伝統がなかった。

 セファルディムはもともとスペイン等南欧に出自を持つユダヤ人を言い、その多くはレコンキスタの後、旧オスマン帝国領に移動した。

 5 報復と自己抑制

 ナセルによる新エジプト誕生と前後して、外相シャレットに代表される穏健主義が支持を失い、ベン=グリオン、ラボン、ダヤン、シャロンらによる報復主義と拡大政策が主流となる。彼らは頻繁にアラブ諸国と衝突し、暴力による応酬を繰り返した。

 6 右派の台頭

 6日間戦争はイスラエルの圧勝に終わり、領土はシナイ半島まで広がった。この時代を契機として、穏健派が影をひそめ、ベン=グリオンの系譜を継ぐベギンによる右派が台頭した。

 ヨム・キープル戦争ではイスラエルが甚大な被害を被った。初戦において2500人近くのイスラエル兵が殺され、国防軍、情報機関のトップが辞職し、ゴルダ・メイア首相も辞職した。続くイツハク・ラビン内閣では汚職が問題になり、ベン=グリオン以来与党だった労働党は支持を失っていく。

 社会主義シオニズムに基づく労働党に代わって、自由主義世俗主義、大イスラエル主義(拡大政策)を掲げるリクードが最大議席を獲得し、メナヘム・ベギンが首相となる。リクードの支持層は、労働党政権下で冷遇されてきた貧民やセファルディムらだった。

 7 ベイルートへの道

 レバノンは当初キリスト教住民が主流の国であり、マロン派と、ファランヘ党が実権を握っていた。ところがアラブ系住民が増え、さらにパレスチナ難民の流入によって均衡が崩れる。レバノンパレスチナ解放機構PLO)を抑え込むことができず、カトリック系マロン派とイスラム系勢力による内戦がはじまった。

 ベギンとシャロンは国内の右派支持を基盤に、PLOを掃討するためにレバノンに侵攻する(レバノン紛争またはガリラヤの自由作戦)。しかし、PLOによるテロが激化し、また、マロン派によるパレスチナ難民キャンプでの虐殺行為を黙認した件について国防軍とベギンは非難を受け、国防軍司令官が辞任に追い込まれた。

 8 国内と国外の不和

 ピースナウ(peace now)という党派の活動の歴史。

 国外のユダヤ人たちはイスラエルを支持した。しかし、傾向的には自由主義的な者が多く、イスラエル国内の主流である拡大主義、強硬なシオニズムは受け入れられなかった。アメリカのユダヤ人団体は、あくまでアメリカの国益に従って行動する、と声明を出した。

 9 握手の前の暴動

 80年代、パレスチナ側のインティファーダと呼ばれる市民の抵抗がおこり、イスラエル軍に鎮圧された。軍の対応は国民の批判を呼び起こした。

 政党同士の争い:シャミル首相はイスラエル建国以前はベギンらと同じくテロリストであり、リクードの中でも強硬派だった。湾岸戦争時、イラクは毒ガス弾頭なしのスカッドミサイルをイスラエルに撃ちこむが、反撃を抑えた。ただし、パレスチナ側との対話を拒否し、マドリッドの和平会談でもまったく譲歩しなかった。

 インティファーダによってパレスチナ側の主導者も世代交代し、またイスラエル軍の違法暴力行為は国内でも問題となった。シオニズムにかわる新しい政治潮流が求められるようになった。

 10 イデオロギーの終わり?

 ラビンは融和協調主義者であり、いまだにレーニンと毛沢東への尊敬を表すシャミルとは対極にあった。ゴルバチョフ政権になりロシアからの移民が流入した。かれらは平均的に教育があったがまともな仕事につけなかった。ラヴィンは選挙において彼らを取り込もうとした。

 ラヴィン率いる労働党はロシア移民やアラブ系、セファルディムらの支持を得て選挙に勝利した。

 93年、平和志向のクリントンの仲介のもと、ラヴィンとアラファト議長オスロ合意を締結する。

 11 首相の暗殺

 パレスチナには古くからイスラエルの抹消を主張するアブー・ニダルグループやパレスチナ解放戦線等の党派があり、アラファトは彼らを抑えることができなかった。かれらはイスラエル人を標的としたテロを度々起こし、オスロ合意の挫折を企図した。このためイスラエルではラビンに対する反感が高まり、ネタニヤフをリーダーとするリクードオスロ合意の破棄を主張し、ラビンをテロの責任者、叛乱者、売国奴と批判した。

 12 魔法使いとブルドーザー

 13 「赤信号では止まらない」

 14 思いもかけない祖父

 (略)

 シャロンは居住区からの撤退を掲げる。これは従来の「1インチも譲らない」強硬姿勢からの激変であり、オルメルトは支持したが、ネタニヤフらリクードの右派からは反対される。元々シャロンはベン=グリオンやダヤンに近いプラグマティストであり、イデオロギーを貫く人物ではなかった。グリーンラインに沿った入植地の撤退という主張は、ユダヤ教保守主義者、シオニストからは反対された。

 シャロン政権は自爆テロを阻止するために西岸地区のグリーンライン独立戦争時の停戦ライン)に沿って分離壁を建設する。この壁は右派のみならず左派からも支持され着工した。

 西岸地区はファタハが、ガザ地区ハマスが支配していたが、ファタハの無力や腐敗のため徐々に強硬派のハマスが支持を集めていった。しかしイスラエル政府はハマスを交渉相手として認めていなかった。

 ハマスイスラエルの存在を認めず、武装闘争によって土地をすべて取り戻すという原則を貫いていた。

 シャロンの後任であるオルメルト政権の時代、レバノン南部を支配するヒズボラとの戦争が始まる。ヒズボラはかつては武装組織だったが、レバノン南部の開発に貢献し政党化していた。この戦争においてイスラエル軍は準備不足を露呈し撤退した。失敗の責任をとって国防軍のトップが辞任し、オルメルトも退陣した。シャロンが結成した新党カディマは選挙において大敗し、ネタニヤフ率いるリクードが再浮上する。イスラエル軍は未熟なパレスチナ武装組織との戦闘に目が向いており、レバノン国境の警備が手薄になっていた。また、パレスチナの武装闘争と異なりヒズボラはイラン及びシリアから支援を受けた精強な集団だった。

 以後もイスラエルパレスチナの関係正常化は確立していない。

  *** 

A History of Modern Israel

A History of Modern Israel