うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『史的システムとしての資本主義』ウォーラーステイン

 「世界システム論」等を提唱したことで知られる社会学者。

 一時期ブームになった後、例によって忘れられたとのことだが門外漢なので詳しくはわからない。わたしがこの本を読んだのはブローデル、マルク・ブロックらの歴史学とのつながりからである。

 

 本書は、歴史の産物である資本主義が、やがて国家や社会の構造を変質させ、世界を包括するシステムに変貌したという過程を検証する。

 これまでマルクスはじめ左翼の人びとにより資本主義が分析されてきたが、そこにはふたつの欠陥があった。

 

 1 資本主義に本質があると定義し、それを実際の歴史に当てはめていく分析。

 2 資本主義には転換点があったはずだと仮定し、それを中心に考察する分析。

 

 彼が提案するのは「資本主義をひとつの歴史的システムとして」その実態をみることである。この本では当該システムの「経済的側面」、「政治的側面」、「文化的・イデオロギー的側面」を順々に扱う。
 併せて、「進歩は必然だ」という信念が、歴史の選択肢に対する理解を誤らせることについて言及する。

 

 1 万物の商品化――資本の生産

 資本とは過去の労働の成果であり、また「自己増殖を第一の目的ないし意図として使用される」。このシステムにおいては資本蓄積が至上命題である。

 経済活動の過程すべてを商品化するのが史的資本主義である。これが「万物の商品化」である。

「史的システムとしての資本主義とは、こうした法則――価値法則――の貫徹する範囲がどんどん拡大してゆき、それを強制する立場の人びとがますます威丈高になってゆくような社会システムなのだ」。

 彼によればこのシステムは十五世紀末のヨーロッパに誕生し、十九世紀末に地球を覆った。

 以下、歴史事実を帰納的に検証し、そこから資本主義を定義していく。

 

 史的資本主義以前には、ほとんどの労働力は固定されたものだった。農家や、奴隷制、債務奴隷制、農奴制、永代借地農制(Permanent Tenancy)など。これら固定労働者を使えるものにも、自由な労働者に頼るしかないものにも、短所があった。

 改善により生まれたのが賃金労働者である。

 史的資本主義のもとでは、以前と同様に「当座の収入と以前から蓄積してきた資産をファンドとして共有する比較的安定した構造体、つまり世帯householdという枠組のなかで生活しているのがふつうだった」。賃金労働と、自給的労働。これは家長と夫人の役割として固定された。

 性別による分業や、世帯の構成員の上下関係はシステム以前からあったことであるが、「新たに生じたことは、こうした分業の習慣が、労働の価値評価と結び付けられたことである。もともと、男は女とは別の種類の仕事をすることが多かっただろうし、成人の仕事と老人や子供の仕事にも差があっただろう。しかし、史的システムとしての資本主義が成立すると、女性労働の評価がどんどん下ってきたのである。子供や老人の場合もまた同じである」。

 人生において子供、青年である期間が延びたのも、また老人が引退者とされるのも、史的システムとしての資本主義の影響である。資本主義は家族の労働形態を規定してきた。

 

 市場における「独占体の暗躍は例外的な現象というよりは、常態的なことである」。企業の、売り手と買い手が同一になった「垂直的統合」もふつうのことだ。

「すなわち、史的システムとしての資本主義にあっては、「市場」という商品連鎖の結節点があって、そこでは売り手と買い手がはっきり区別ができ、両者は互いに対峙するといったかたちよりは、両者が垂直に統合されているかたちのほうが、統計的にいえば常態であった」。

 商品連鎖は中心に向かう。到達点は狭い地域に集中する。

「商品連鎖の多くは、資本主義的「世界経済」の辺境部から中心、ないし中核地域へむかう傾向にあった」。

 

 中核に集まった資本は国家機構の基盤をつくる。辺境国家に圧力をかけ下位の仕事に専門特化させること。一方辺境国家は「比較的低い報酬で働く労働者を利用し、こうした労働者の生存を可能にするような世帯構造をつくりだしたり、(それを強化したり)したのである」。

 「資本家層内部での厳しい競争は、いつの場合にも、史的システムとしての資本主義に固有の特質のひとつであった」。

 システムの範囲の拡大について。まずは輸送・軍備・通信の改良によって辺境を組み込むことが容易になった。また、プロレタリア化による利潤率の低下を緩和するために、システムは地理的拡大をおこなった。

 

 彼は史的資本主義を「明らかに馬鹿げたシステム」だと批判する。資本家は(もまた)踏み車を回すマウスである。

 ――われわれは誰しも、資本主義という現下の史的システムが流行らせた自己弁護のためのイデオロギーである進歩史観にどっぷり浸かっているので、このシステムが歴史的に生み出してきた大きな負の要因については、認識することさえ困難になっているのである。

 2 資本蓄積の政治学――利益獲得競争

 資本蓄積は多くの個人による消費の激増の可能性をもたらした。資本主義における政争はすべて目前の利益をいかに独占するかが焦点であった。ここでは史的システムとしての資本主義にあって、人びとがどのようにして政治闘争を展開したのかを分析する。
資本主義は国家がその目的に沿うように操作する。

 国家による富の再分配福祉の面のみから語られてきたが、実際は格差を拡大するためにある。また徴税は国民を強制的に労働につかせる手段だが、その税は資本家に還元される。

 税金注入について……「すでに大資本をもっている人びとの方が、そこから得られる恩恵には圧倒的に浴するのに、それに要するコストの方は、それより遥かに平等な課税制度によって支払われてきたのである。したがって、社会的間接資本の形成もまた、いっそうの資本蓄積とその集中に寄与してきた、ということができる」。

 

 警察が「労働者をして、自分に割り当てられた役割と報酬を甘んじて受け入れさせることに使われた」一方、軍隊は他国の生産者にたいする牽制の役割を果たす。

「それぞれの国が行使しえた権力は、質的には似たようなものだが、その強さには大差があった」。すなわち、権力の強弱は軍事力や官僚制の強さではなく、「競争相手となる国々と比べて、この国家が長期にわたって、その国内で資本の集中を効果的に促進する能力を発揮できるかどうか、という一点にかかっているのである」。

 

 近代国家についても自立的な政治体などではなく、インターステイト・システム(国家間システム? 世界システム?)の一部なのである。

 主権が完全な自立を意味することはない。

 インターステイト・システムはしばしば世界帝国に変わる。あらゆる国家は一国または数カ国を頂点とするハイアラキーのなかに位置づけられる。ところが資本主義からすれば、一国が他を圧倒するようでは、この一国が資本家に不利なことをしかねない。
したがって「バランス・オブ・パワー(勢力均衡)」が重視される。

 一極集中の覇権国家は、史的システム上成立しない。理由は……

 

1 他国より高い効率を生み出した諸要因はつねに他国によって模倣されてしまう。

2 覇権国家は、何ものによっても妨げられることのない経済活動の自由を維持することに強い関心を抱いており、したがって、国内の再分配政策によって労働者との平和を買い取ろうとしがちであり、これは競争力の喪失につながる。

3 広範におよぶ地域の防衛警備責任によって費用がかさむ。

 

 インターステイト・システムは強硬であり、国内政治と国際政治の区別は形式的なものにすぎない。例えば、資本蓄積者層と労働者層の闘争は、世界規模でもあらわれる、と彼は言う。

 強国と弱小国のたたかいは「反帝国主義闘争」というレッテルをはられがちである。

「弱い国の資本蓄積者や強い方の国の労働者のなかには、政治的には半階級的・半国家的観点からものを見るより、純国家的観点(ナショナリスティック?)から見る方が、短期的には有利だと考えるものもあったわけだ」。

 つまり、蓄積者と労働者のたたかいは、民族抗争や人種抗争などさまざまな体裁をつくろう。

「その根底に資本主義というシステムの内部で生産される余剰の収奪をめぐる階級闘争があるのでない限り、またそれによって人びとの情感が高められ、揺り動かされるのでない限り、成功することはまずありえない」。

 また、資本勢力同士も闘争を行う。

 ――しかし、じっさいには、「デモクラシー」や「自由」を求めて「封建的なもの」や「伝統的なもの」と闘った政治闘争も、労働者の資本主義に対する闘争などでは毛頭なく、資本蓄積者たちがほかならぬ資本蓄積そのもののために行った闘争であった。フランス革命はブルジョワの内部抗争である、と彼は言う。

 果てしない闘争を続けざるをえない、というのが資本主義システム内部の矛盾であるとウォーラーステインは言う。

 

 
 市場は四つの制度からつくられる。国家、民族、職業集団、世帯である。

 反システム反動とはなにか。まず、労働者の有象無象の暴動は怒りの安全弁として機能するのみだったが、資本主義システムにおいては大きな勢力となった。と同時に、叛乱は難しくもなった。

 反システム運動の二大勢力、労働・社会主義運動とナショナリズム運動とが、継続的な官僚組織をもったのは十九世紀のことであった。どちらも便利なことば、フランス革命発の自由、平等、博愛(友愛)を御旗に掲げた。

「どちらの運動も啓蒙主義イデオロギーをまとっていた。すなわち、進歩の必然性、ないし生来の人権によって正当化される人間解放の必然性というイデオロギーで武装して立ち現れるのである」。

 労働運動は工業労働者の多い西ヨーロッパから生まれ、ナショナリズムは民族優劣の抗争にかかわっていた。こちらはハンガリー帝国のような「世界経済」の周辺地帯で生まれた。

 

 史的システムは恩恵だけでなく被害をももたらしてきた。

 

 3 真理はアヘンである――合理主義と合理化

 資本主義システムのもとでは、常に「合理主義」対「迷信」、「自由」対「知的抑圧」といった図式がとられてきた。ところが、近代的とされるものも、因習的とされるものも、どちらも一時的な捉え方にすぎないということは忘れられている。

 まずウォーラーステインは民族集団について考える。民族集団を集住させることは、職業的役割を与えるのに好都合である。このシステムのもとでもっとも重要な支柱となったのは人種差別(レイシズム)である。これは資本主義以前の排外主義(クセノフォビア)とは違う。よそ者への恐怖、ではなく、「要するに人種差別とは、労働者の階層化ときわめて不公平な分配とを正当化するためのイデオロギー装置であった」。人種差別は「不平等を正当化する万能イデオロギー」であったのだ。

 のみならず、この差別は当事者の思考をも枠にはめることに成功した。また人種差別は、反システム運動において、犠牲者同士を反目させる機能も発揮したのだった。

 知的には空疎なものだが、その残酷さが軽減されることはなかった。むき出しの人種差別は今日では歓迎されなくなってきている。

 普遍主義もまた史的システムの強化に役立てられた。

 ――普遍主義の基本は、物理的な意味での世界であれ、社会的な意味でのそれであれ、とにかく世界にかんして普遍的かつ恒久的に正しい、何か意味のある一般論ができるという信念にある。

 科学信仰は認識論であると同時に信仰である。この信仰の神殿は大学である。文化上の理想とされた真理はアヘンの役割を果たしてきた。

 普遍主義は世界中の中産者やブルジョワジーに、インターステイト・システムを円滑に作動させる方向に向かわせる役割を果たした。

 

 ウォーラーステインは資本主義に対し明らかな反感を抱いている。

「普遍主義は、強者から弱者への贈り物としてこの世界にもたらされたのだ」

 これを受け入れて、自分が知的劣等種であることを認めるか、拒絶するかの二択を迫られる。

 国家を基盤にした文化のナショナリズムは結果としてインターステイト・システムの強化に利することになった。反システムの諸運動は、弱者に対する強者の文化の仲介者として機能することが多かった。

 歴史上の社会構造は必ず危機にみまわれて滅びるが、ウォーラーステインによれば、いま史的システムとしての資本主義は構造的危機にあるという。ではどのような道があるのか、具体的には示されていない。

 

 4 結論――進歩と移行について

 「自由主義者たちが進歩を確信したのは……封建制から資本主義への移行過程全体を正当化するものであった」からだ。不思議なのは自由主義者の敵マルクシストも熱烈に進歩を信じたことだ。

 

 知識の進歩は累積的である一方で、この過程で失われた知識は「生活の知恵」程度のものだとして置き去りにされた。われわれの良心には、労働にむかわせる強迫観念が働いている。現在は小共同体ではなく企業によるプランテーション型管理が一般化した。

 

 中流階級と上流階級の差だけを見れば、過去にくらべて差は圧倒的に少なくなったといえるだろう。この歓喜の声のために残りの八割ほどの声は無視された。

 社会主義は資本主義の排泄物であり、社会主義国のなかに人種差別などが存在しているということはその国家が世界システムの辺境に収まっているに過ぎないということを示すものだ。

 最後に彼は共産主義というユートピアの過程である社会主義を否定し、具体的体制としての社会主義を肯定する。

新版 史的システムとしての資本主義

新版 史的システムとしての資本主義