うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『種の起原』ダーウィン その2

 第五章 変異の法則

 変異は遺伝によるものだろう。機構や食物が作用する割合はわずかである。たとえば、海の近くにいる昆虫は体色に傾向をもつ、など。

 ――あらゆる種類の種は特徴の著明になった永続的な変種にすぎない。

 要するものは大きくなり、不要のものは小さくなる。用不用の法則。モグラの目が退化しているのは目が地中に潜るのに必要ないからだ。ダチョウは蹴りで身を守っているうちに飛べなくなった。アテウクス、エジプト神聖甲虫などの食糞類には前足の関節がないことがおおい。

 先祖がえりの性質。「イギリスから東中国にいたる、また北はノルウェーから南はマレー群島にいたるさまざまの国で、はなはだしくちがったウマの諸品種について足と肩のしまの例を私があつめてもっていることを記しておいてもよい」。

 ロバとウマを交雑するとラバになる。おそらくシマウマ、ウマ、ロバの共通の祖先はシマをもっていたものだろう。

 

 第六章 学説の難点

 ダーウィンの学説には次のような難点があるが、彼がこれに答える。

 ……ある種から漸進的にほかの種へ変化しているなら、移行型が見られないのはなぜか。「なぜ種はわれわれがみるように十分明確に区別できるものになっていて、全自然が混乱におちいるようなことがないのであろうか」。これは自然選択と絶滅とが手を取り合って進むことからおこる。原種も、移行的変種も、「新しい種類の形成および完成の過程によって絶滅させられてしまったのだということになる」。

 

 地質学的記録は不完全なので、なかなか絶滅した移行型が発掘されないということもある。二つの種のあいだの中間的な変種は、分布地域も狭く、個体数も少なく、すぐに滅んでしまう。

 ……「特殊な習性および構造をもつ生物の起原と移行について」。

 ――たとえば、陸生の肉食動物がいったいどうして水生の習性に転化できたのか、その移行状態にある動物がどうして生きていられたのか……

 かつては飛ぶ爬虫類もいたが、そう考えるとトビウオが「完全に翼をそなえた動物に変化することがあったかもしれない、ということが考えられうる」。翼は飛行特化の完全構造だから、その過程が残っている例がほとんど見られない。

 習性が(体の)構造を変化させるのか、構造の微妙な変化で習性が変わるのか、判別するのは困難である。おそらくほとんど同時だろうとダーウィンは言う。キツツキのなかにはまったく木にのぼらないものもある。ほかの種を追い出して新しい場所に住む場合こうしたことがおこる。

 目のような完璧で細密な器官も、自然選択によってつくられたのだろう。「発電装置に酷似してはいるがマッテウッチによってたしかめられたように放電はしない器官がエイにあることが、最近に証明された」。「自然は飛躍しない」、「自然は多様性を浪費するが改革は節約する」。

 刺すと持ち主を死に至らしめるハチの毒針も、完全でないとはいえない。「針でさす能力が全体として集団に有用であるならば、たとえそれがある少数の成員の死をまねくとしても、それは自然選択の要件をことごとくみたすものとなるからである」。

 

 第七章 本能

 習性はながい期間をかけて本能になり、本能は種が変化しても残ることがある。自然的本能は、飼育下ではうしなわれている。文明化されたイヌが人を襲う例は、習性によってめったにない。また、ヒヨコは犬猫をおそれる本能を失っている。

 ――家畜的本能は獲得され、自然的本能はうしなわれたのである。

 習性と、選択された本能によってこの状態になった。

 ほかの鳥の巣に産卵させるカッコウ、奴隷をつくるアリ、巣をつくるミツバチ、これらはすべて驚くべき本能の力を示している。ほかの巣に卵を産みつけるハチの場合には、本能どころか構造まで変化をきたしている。

 フォルミカ・ルフェセンス(Formica rufexcens)は雄アリ、生殖可能雌アリは働かず、生殖不能雌アリと奴隷アリだけがはたらく。この種は実験により奴隷アリがいなければたちまち亡ぶことが判明した。一方アカヤマアリは期間工として奴隷アリを雇い、巣の引越しの際には自ら奴隷を運搬する。

 ミツバチの巣房は緻密な幾何学に基づいている。「熟練工が適当な道具と計器を使ってやっても、こういう形に蝋の房室をつくるのはむずかしいであろうと、いわれている」。この巣作り本能も漸近的に築かれてきたという。ミツバチの採取できる蜜の量には限りがある。そのため合理的な形状で蝋を使用しなければならなかったのだ。

 働きアリは、両親とまったく違っていて生殖不能である。本能の変化もまた自然選択によって集積される。

 

 第八章 雑種

 雑種の不稔性というとき、二つの区別が必要になる。

 「二つの種の交雑がまずおこったときにみられる不稔性と、二つの種から生じた雑種の不稔性とである」。

 変種と変種のあいだには稔性がうまれることは、種と変種とのあいだに明確な線をひくてがかりとなる。

 先人の実験をみてみると、「人為的に受精された雑種では世代ごとに稔性がましていく」が、これは近縁の同系交配がさけられたことによる。種の交雑が、自家受精にくらべて稔性を増すことも低めることもある。

 不稔の法則は、種がぐちゃぐちゃに混じりあうのを防ぐためにあるのだろうか? ところがゲルトナーによれば法則は多岐にわたる。

 「明確に独立の種とみなすべき種類どうしがまじわったとき、その稔性は零から完全な稔性までの段階的差異を示し、ある条件のもとでは過剰の稔性に到達することさえある」。

 種の交雑の容易さは、分類学的近さ(分類学的類縁)によっては計られない。どちらの種が父か母かによっても稔性は変動する。

 接木についても交雑と同じく、まったく違う木を接木することはできない。自然環境の激変は不稔性をうむ。雑種の不稔性は、種の交雑とは異なる。この雑種はすでに生殖系統が不完全だからだ。

 これまで変種どうしだとおもわれていたものも、稔性をうまないとわかると別種にされてしまうことがあった(赤と青のルリハコベ)。

 変種間雑種の第一代は種間雑種よりも変異しやすい。ところが例外があり、長く栽培された種間の雑種、近縁種間雑種は変種間雑種よりも変異する傾向がある。雄ロバと雌ウマの子はラバ、雄ウマと雌ラバの子はケッテイ。

 稔性は個体間の差も大きく、条件に左右されやすいので法則を見出すのがむずかしい。雑種の不稔性は、二つの体制が混合してみだされたことによるのだろう。その一方……

 ――軽微な差異だけをもつ種類の交雑は子の強壮さと稔性にとって有利であること、また生活条件の軽微な変化はあらゆる生物の強壮さと稔性にとって有利であるらしいこと……

 ダーウィン曰く、以上の複雑な法則を考慮するかぎり「種と変種とのあいだには根本的な区別はない」。

 

 第九章 地質学的記録の不完全について

 ライエル『地質学原理』など大量の地質学書が引用される。地球の歴史はあまりに広大なのでそこから発掘する化石は不完全とならざるを得ない。またAという種がBの祖先だとしてもその中間が発見されなければ別の種として記録されることになるだろう。マレー群島がもし堆積すればヨーロッパ全土にわたる岩層になるが、ここでも残る生物はまれである。化石をつくるのは沈下のときだけ。

 ――……私には、世界をつうじて生物の遷移に独断をくだすのは、たれか博物学者がオーストラリアの不毛の地点に五分ばかり上陸しただけでその国の生物の数や分布について論じるのとおなじようなことで、はやまったこととおもわれるのである。

 第三紀に哺乳類が誕生したのではなく、それ以前にいた少数が発掘されることがなかったにすぎない。

 「われわれは、世界の小部分しかくわしく知られてはいないことを、忘れるべきではない」。

 ダーウィンの他著によれば「大きな海洋はいまなお主として沈下の地域であり、大きな群島はいまなお水準変動の地域であり、そして大陸は隆起の地域であるという結論」に至る。ライエルによれば自然の地質学的記録は「不完全に保持され変化しつつある方言でかかれた世界の歴史」である。

 ――われわれはこの歴史について最後の巻だけを所有しており、その巻は二、三の国だけに関係するものであるにすぎない。この巻ではあちこちに短い章が散らばって保存されているだけであり、どのページにもわずかの行が保存されているにすぎないのである。

 そこで使われる言葉も徐々に変化していく。

 

 第一〇章 生物の地質学的遷移について

 変化の速度は種によってさまざまだが、変化しないものは必然的に消滅していく。すでに多様な種に分化してしまったものもいれば、古代から性質を保っている現今種もいる。スペイン人入植以前には南アメリカにウマはいないとおもわれていたが、マストドンやメガテリウムといった巨獣と同じ地層からウマの化石が発見された。

 新しい種の出現はそれと同数の絶滅を呼ぶと考えていい。一般に絶滅は増加よりもゆっくりと進行する。ある種が増えて領域を広げたときたいてい押しのけられるのは劣った近縁の種である。

 ――古生代末におけるサンヨウチュウ類、第二紀末におけるアンモナイト類のように、科または目の全体が突然に消滅したように見える場合にかんしては、重なりあう地層間に広大な時の間隔があったにちがいない……

 「世界中での生物の種類の並行的遷移」は自然選択の成せる業である。種はビッグバンのように拡散するらしいので、発見された化石はどれも現今種と現今種の中間にあることになる。

 

 第十一章 地理的分布

 アメリカの東海岸と西海岸では動物相がまったく異なる。旧大陸と新大陸の気候はほとんど同じところがあるにもかかわらず、生息する動物相・植物相はおどろくべき相違をみせている。これは地形が分布を制限し、そのなかで自然選択をおこなわせたためとおもわれる。

 ――障壁は移住を阻止するということにより、時間が自然選択をつうじての変化の緩徐な過程にたいしてもつと同様な、高度の重要性をもつことになるのである。

 それでも、自然選択の基本は生物対生物である。

 同種が北極と南極どちらにもいること、淡水生の生物がひろく分布していること、おなじ陸生種が異なる大陸と島々に住んでいること、これは「おのおのの種が単一の誕生地から移住した」ことを示すのではないか。輸送移住手段はまだ全解明されていない。たとえば植物は海を流れついても発芽することがある。鳥の足や胃のなかに土と種子が入っていることがある。

 合衆国とヨーロッパの高山にまったく同一の相が見られるのは、かつて氷河時代にそれらが北極から南下し広がったからである。気候が温暖になると平地のものは絶滅し、高山にいたものだけが生き延び現在に至った。

 この項は未確定の分野が多く、また大陸の移動説も考慮されていないようである。ダーウィンはかつて全大陸が密集していたことを否定している。ウエゲナーの説はここでは否定される。ダーウィンによればヨーロッパの種はどの大陸をも席巻することができた。

 

 第十二章 地理的分布(続)

 湖水や河川に住む淡性種が、陸と海とに隔てられているにもかかわらず似ていることがよくある。同じ大陸で淡水魚類はしばしば共通している。この原因は「主として、最近の時代に陸地の準位に軽微な変化がおこり、河川を相互に流入させた」ことにある。貝類は類縁種が世界中に生息している。鳥の足は輸送手段。

 淡性種は闘争にさらされる機会が少ないので、「このような下等の生物は変化する、あるいは変えられるのが高等のものよりも急速でない」。島の生物について……ニュージーランドの顕花植物はケンブリッジ州にも満たない。セントヘレナ島では帰化植物が原産をほぼすべて亡ぼしてしまっている。過去の航海記を調べてみると隔絶した島に陸生哺乳類が住んでいる例はまれである。英仏は浅い海峡の両側で哺乳類が共通しているが、一〇〇〇尋の海峡で区切られた西インド諸島は本土とまったく生物が異なる。

 環境がまったく異なりながら、ガラパゴス諸島の種がアメリカと酷似しているのはなぜか。これは鳥足輸送の中継地だからだという。または以前は陸続きだったから。

 この本が出た当時はまだ創造説が力をもっていたらしく、この章を通じてダーウィンは単一種から分化したという自説の正しさを強調している。

 「二つの種の血縁が深ければ深いほど、両者は普通には、時間的にも空間的にもそれだけ近いところにあるのである」。

 

 第十三章 生物の相互類縁。形態学。発生学。痕跡器官

 「群が群に従属するという博物学での偉大な事実」、「単一の祖先に由来する多数の種は属にまとめられ、属は亜科、科、目に包含させられ、あるいはそれらに従属させられ、そしてことごとくは一つの網にまとめられる」。

 こうした自然体系の分類は人為的なものだが、はたして創造者の計画を顕示しているのだろうか。「ネズミとトガリネズミの、ジュゴンとクジラの、そしてクジラと魚の外見的な類似に、いささかの重要性でもみとめる者はいない」。分類に重要となるのは生殖系統である。「おなじ生物群のなかで同一の重要器官が分類のうえで重要性の差異を示す」こともある。

 リネウス曰く「属が形質をきめる」。甲殻類の端と端には共通点がほとんど見られなくて、形質の類似は隣続きになっている。

 ――絶滅は、それぞれの網に属するあまたの群のあいだの間隙をはっきりさせひろくするうえで、重要な役割を演じた。

 こうして鳥類とほかの脊椎動物が分けられるようになり、太古の祖先はいなくなった。甲殻類はまだ祖先からの多様性を保っている。痕跡器官は分類のうえで大きな指標となる。

 

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 ダーウィンがこの本を書いたときには、まだ遺伝子の概念は生まれていなかった。それでも生物学の基礎として今でも通用するのは驚きである。

種の起原〈下〉 (岩波文庫)

種の起原〈下〉 (岩波文庫)