うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『言語』サピア その2

 第四章 言語の形式――文法的過程

 

 言語の形式的パタンと、それを構成する概念はまったく別である。形式的には、unthinkablyとreformersは同種の語である。think,formに接頭辞と接尾辞がついているという点で同一なのだ。ところが機能はまったく別である。

 「範囲を英語だけに限っても、形式と機能が比較的独立していることを、明らかにすることができる」。

 機能的にはworkedとsangは似ているが、形式としてはまったく別に分類しなければならない。

 セム諸語のひとつであるヘブライ語では、動詞の概念は三個の子音によって表現される。sh-m-rは「監視する」、g-n-bは「盗む」、これらは「現実の語形から抽出したものにすぎない」。これを変化させることで、意味を変える。shamar「わたしは監視した」、shomer「監視すること」、shamur「監視されること」となる。同様にganab「かれは盗んだ」、goneb「盗むこと」、ganub「盗まれること」。だが、これにも例外がある。

 ――言語形式は、それと結びついている機能とは別に、パタン化のタイプとして研究できるし、また研究すべきである。

 「あらゆる言語は、ほかの文法的過程は犠牲にして、一つ以上の特定の文法的過程を発達させようとする奇妙な本能を示す」。

 singとsangの交替はgooseとgeeseの交替より何世紀も古いとわかっても、どうでもよいことだ。

 文法過程は、六つの主要なタイプに分類できる――語順、複合法、接辞添加、語幹要素または文法的要素の内部変容、重複、アクセントの相違。

 語順……人間は二つ以上の並べられた単語をみると、意味を見出そうとする。ところがラテン語では、hominem videt feminaの三語は内部変容により意味を決められているので、どう並べても文法的意味が変わることはない。この対極は中国語やタイ語だが、英語含めた多くの言語はこの中間にある。I met him yesterdayをYesterday I met himとしても問題はないが、He is hereをIs he hereにすると意味の変化がおこる。

 こうした語順利用の問題は、「機能上の貧困の問題ではなく、形式上の組織の問題である」。

 語幹要素の複合法……複合語は中国語や英語にはよくみられるが、漢字圏のわたしにはあまりに当然のことにおもわれた。たとえば「天子」、「水夫」、「人徳」など。英語ではtypewriter,blackbirdなど。この複合能力はフランス語にはまったくない。古典ギリシア語は、「語の配置ではわりと自由であるにもかかわらず、際だって複合語の形成を好む傾向がある」。

 セム諸語やエスキモー語には、語幹要素で複合語をつくる能力がない。ところが、逆にきわめて複雑な総合をおこなう言語もある。ヌートカ語の「彼が四日間留守であると言われていたとき」という語は、「四」が語幹要素であり、「日」と「留守」の観念は接尾辞によって表現される。この接尾辞はsingerの-erのように、語幹要素と不可分である。

 「複合法には、あきれるほど多様なタイプがある」。redcoat(独立戦争時の英国兵士)のように、redが付加的な意味しかもたないタイプの複合もあれば、お互いが主格目的格を担う複合などもある。これはイロコイ語やアステカ族のナワトル語にみられる。

 接辞添加――接頭辞と接尾辞……あらゆる言語が接辞添加をおこなっているが(中国語はまれな例外)、なかでも接尾辞はもっとも多い。カンボジア語クメール語)は接頭辞のみを使う。ロシア語、ラテン語は接尾辞が他の語との関係を示す。ラテン語は「文法的に有意味な要素が語末にむらがる」。

 「接中辞添加」は英語人にとっては珍しいものである。わかりにくいが、フィリピンのイゴロト語では、「接中辞の-in-は、成就された行為の所産という観念を伝える」。kayu(木材)からkinayu(集められた薪)へなど。なんと多様なことばがあることか。スー諸語は、ある動詞の代名詞的要素を、まさに接中辞として挿入する。例、cheti(火をおこす)、chewati(わたしは火をおこす)。

 内的母音変化とはsing,sang,sungなど。ヘブライ語、アフリカ北部のハム諸語などに見られる。

 重複……「語幹要素の全部または一部を反復する方法が広くおこなわれていることほど、自然なことはない」。a big big man, pooh-pooh(軽くあしらう)など。riff-raff,roly-poly,などもその例である。重複が動詞交替の役割をはたすギニアのエウェ語などもある。

 強勢やピッチの機能的変異……これが文法的過程に用いられることもある。

 

 第五章 言語の形式――文法的概念

 ――いかなる言語といえども、具体的な観念をいちいち独立語や語幹要素で表すことは不可能だろう。具体的な経験は無限だが、この上なく語彙の豊富な言語でさえ、その資源は厳密に限られているからだ。

 表現様式には語幹的なもの(farm,duck,kill)と派生的なもの(-er,-ling)がある。

 言語形式をぎりぎりまで切り詰めることに慣れている中国人は、「ヨーロッパの諸言語の非論理的な複雑さにはじめて出くわしたとき、ことばの主題とその形式的パタンとをかくもはなはだしく混同する態度に――もっと正確に言えば、ある基本的な概念を、かくも希薄になった関係を表すために用いるような態度に、くつろぎを感じることは、困難であるに違いない」。

 ある主語の属性が他の動詞、形容詞にまで広く影響をおよぼすのだ。形式は、それ自体の概念的内容よりも永続するものである。

 さらに、言語には、「形式を精緻にしようとする強い傾向が見られる」。英語では、すべての行動は現在過去未来に照らして考えなければならないと決め込んでいる。だから、永遠の真実を述べたいとおもうなら、「永遠をまるごと含むように、現在の瞬間を前後に延長することができる、と言い張らなければならない」。またフランス語では事物が男性か女性か分かれているが、アメリカインディアン諸語ではまず球形、環状、円筒状など事物の形状が必ず割りふられている。こういった形式は概念がうすれても、いつまでも残った。

 言語の物質的基本概念は「ジョン」とか「家」とかであり、その対極は純粋関係概念である。だが、ある言語では複数性が関係概念的でも、他の言語では物質的であることがあるので、分類そのものには意味がない。

 「アスペクト」の観念の発達の程度……瞬時的、持続的、継続的、始動的、休止的、反復的、瞬時・反復的、持続・反復的、結果的など。モダリティーとは直説法、命令法、可能法、否定法などである。ほか、人称や方向付けにもそれぞれ違いがある。

 I sleepにしろHe kills meにしろ、自分の制御できない力をわたしがうけていることは同じである。前者の主語がIであるのは形式によるものである。「だれによって眠らされるのか?」

 ――一般の読者は、言語が言語表現の両極――資料内容と関係――に向かって進もうと努めており、この両極が長い系列をなす過渡的概念によって連結される傾向があることを、感じるだけで十分である。

 語の集まりからひとつの思想、文へとなる関係付けはいかなるものか。それはは語順と構成である。ここで興味深い仮説がもちあがる。

 ――ことばの実際の内容、すなわち、母音と子音の結合は、起源においてはおしなべて具体概念に限られ、関係は、元来は外的な形式には表現されないで、語順と強勢の助けを借りてはじめて含意され、連結されるにすぎなかった。

 品詞という分類は、不完全なものである。He is redを「赤くある」という動詞ととることもできる。

 

言語―ことばの研究序説 (岩波文庫)

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