うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『イスラム社会』アーネスト・ゲルナー

 この著者の『ナショナリズム』の本はたいへんおもしろかった。

 イスラム社会、というくくりは、仏教社会、ということばと同じくらい茫漠とした印象しか与えないが、本書は、いくつもの国家、民族を含む「イスラム社会」の共通項や型を見つけようとする。

 とてつもなく難しい。

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 世界的に世俗化が進み、宗教の影響力が弱まるなか、イスラームだけはこの傾向を免れているようにおもえる。イスラームはいまもなお現実政治にたいして力を行使している。新しい宗教となるはずだったマルクス主義が、1世紀経たずに信仰を失ったことを考えると、イスラームの特異さが明らかになる。

 マルクス主義がすたれ、イスラームが生き延びている要因には、まず、現実的で節度ある規律があげられる。経済活動をも社会化しようとするマルクス主義と異なり、イスラームは「日常化された経済生活と共存してゆこうという熱意を許容している」。

 また、政治にかかわる大伝統と、民衆一般のなかに普及した小伝統との分離も、イスラームの世俗化への抵抗力、弾力性に貢献している。

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 政治的成功が迅速であったこと、また最後の預言者であると自ら定めたことによって、イスラームは社会秩序の青写真になり得た。また、近代化、ナショナリズムの勃興、産業化にたいしても、イスラームは自らを世俗化させて薄めることなく、むしろそれら社会の変化を取り込むことに成功した。

 近代化との共存については、ヴェーバーの議論を踏襲している。イスラームの教義の内容が、近代社会の生活様式や方針と合致したというのだ。プロテスタンティズムと同様、イスラームがヨーロッパを支配した場合も、イスラームのなかの新教的宗派が資本主義を可能にしていただろう、と著者は述べる。

 ――……普遍主義、聖典主義、宗教的平等主義、聖なる共同体への完全なる参加の、一人とか、何人とかではなく、全員への拡張、そして社会生活の合理的体系化――において、イスラムは西洋の三大一神教のなかで最も近代に近いところにあるのである。

 

 中東は、都市部と牧畜・遊牧地域に分離していたが、書き言葉が特権を得る都市部のほうで、イスラームは支配的となった。ムハンマドも、定住傾向のある農耕民のほうが、移動性の高い遊牧民より御しやすいと言っている。

 牧畜民は部族制に基づいてつくられており、個人はリネージュ(係族)に忠誠を誓う。この部族主義が強固であるために、国家機構は弱いままでありつづける。イスラーム王朝の支配者は常に部族的首長か、もしくは宗教人だった。

 部族・遊牧民はまた都市部の専門職に経済的に依存している。イスラームにおいては、政治は部族・遊牧民が担った。都市民はこれにつねに従属した。遊牧民による統治の興亡は、イスラーム社会では不可欠だった。遊牧民族が偶発的要素でしかなかった東アジアと比べると、ちがいは明らかである。以上の説はイブン=ハルドゥーンが著したものである。

 イスラーム国家において、宗教は支配者に従属し、学者は書記的な立場につくが、同時に、神に仕えるものとして「正すべき、または防ぐべき悪行がある時には、宗教へのみ」訴える。

 公的には、イスラームには教会が存在しない。実際には、部族主義的な集団や、都市部の貧民による神秘主義的集団など、多様な小教会が存在する。ワッハーブ派は、近代におこった清教徒的な派閥である。

 イスラーム社会においては、国家は弱く、文化が強かった。

 近代化とは中央集権化と部族主義の終焉である。近代国家は暴力を独占することができるため、部族の軍事的基盤は崩れる。近代化の場合、イスラーム国家は世俗化か、もしくは宗教的な「改革」か選択をせまられる。前者の代表はトルコである。
部族主義から解放された政治をおこなうために、統治者は白人や奴隷を行政エリートとして利用した。やがて、近代社会になると脱部族化が進められた。

 以上のイスラム社会論はイブン=ハルドゥーンのモデルを基本としており、このモデルからの逸脱がオスマン帝国だとされている。イブン=ハルドゥーンの理論を知らなければ、本書を正しく理解することはできない。自分には断片的な事実しか読み取れなかった。

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 イブン=ハルドゥーンはなにより社会的な結合とアイデンティティに高い関心を抱いた学者だった、と著者は書く。

 近代化の特性は産業化とナショナリズムである。産業化、つまり高度の専門分化は、流動性の高い未熟練労働者を大量に必要とした。このため、読み書き計算という基本的な知識を教育によって普及させることが不可欠となった。教育と産業化の過程で分節的・部族的な結合は失われ、かわってナショナリズム国民国家という新たな結合形態が生まれた。ナショナリズムは、部族主義に劣らず、人間の命を犠牲にすることのできる結合力を保持している。

 近代化によって部族主義が衰退したいっぽう、産業国家同士はいまだに部族主義的な対立のなかにいる。前近代の中東における部族主義は、敵対するものどうし「血讐」という報復制度を確立させていた。この血讐は、殺された数だけ相手の部族の構成員に復讐するシステムで、大人数の殺し合いに発展することはなかった。しかし、国民国家が部族主義的な血讐をおこなう場合、それはアイルランドカトリックプロテスタント、トルコとギリシア、また中東紛争のように、甚大な被害をもたらすことになる。

 ――二つの近代的で文字を持った産業社会が、部族社会の方法で互いに敵対する状況は、言うまでもなく、悲劇的であることに変わりがない。

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 イスラームコーランの解釈において多様である。また、宗教が組織化と指導性を要求する特性上、スーフィーや部族的聖者による民衆の結合・統率がかならず生じる。ウラマー(学者)はその時代、その場所のイスラーム大伝統を強化するための補助的な役割を果たした。

 ウラマーの力の及ばぬ部族社会構造においては、聖者リネージが宗教的支柱となった。聖者の一族は、地元の部族の要請にこたえつつ、また普遍的イスラムへの一体化に奉仕した。

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 北アフリカイスラームでは聖者に独身生活を課さないため、聖者が子孫を増やしリネージや王朝を形成していく。

 イスラムでは、信者を平等とし、また神と信者のあいだに仲介者がなく、読み書きを重視する、というピューリタン的傾向が、中心を占める。いっぽう、儀礼や土俗の迷信を重視する、カトリック的要素は、地方の逸脱と考えられる。信仰の傾向の位置づけが、キリストとイスラムでは逆転している。

 トルコのケマル主義、自由な立憲主義こそ国家を発展させるものだという信条にしたがって、徹底的な世俗化をおこなったのにたいし、アルジェリアは独立時、厳格なイスラームをとりいれることで近代化、脱フランス化をおこなおうと試みた。アルジェリアは、宗主国の影響、また地方の部族的イスラームの影響の双方を排除するために、正統イスラムを擁した改革をおこなった。正統イスラムが人びとに教える規律は、ピューリタニスムと同じく、産業社会に適合するものである。

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 都市と地方の共存、正統派イスラムと部族的イスラムの相違、ヴェーバーとイブン=ハルドゥーンに多くを負った議論、などをおさえるべきである。

 理解できない点、基礎知識の足らない箇所も多々あった。

 

イスラム社会 (文化人類学叢書)

イスラム社会 (文化人類学叢書)