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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『The Ghost of Freedom』Charles King その1

 ◆紹介

 政治権力、民族、宗教、言語が複雑に入り乱れるコーカサス地方について、歴史をたどりながら概説する。

 歴史上のエピソードや、各民族ごとの違いなどが書かれており、コーカサス世界の多様性を知ることができる。

 以前ジョージア共和国を旅行したときは、この本で身に着けた事前知識が参考になった。スヴァン人――あまりに僻地に住んでいたために、チェチェン人やダゲスタン人よりも後代、最後にロシアに降伏した――の居住地域にも行くことができた。

 いずれ北コーカサスにも行ってみたいという気持ちが強くなった。

 

 著者のチャールズ・キングはアーカンソー出身の国際関係学者で、オックスフォード大で博士号を取得した。現在はジョージタウン大学の教授である。コーカサスや東欧情勢に関連してニュース番組やヒストリー・チャンネルに出演することがあるという。

 

 ◆コーカサスの民族分布

File:Caucasus-ethnic ja.svg - Wikimedia Commons

 

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 概観

 

・北西部、クバーニ川流域(Kuban)にはアディガ(Adyga)またはチェルケス(Circassian)と呼ばれる農耕牧畜民が、トルコ人とともに住んでいた。かれらは概ねイスラム化された。

コーカサスの中央に南北オセチア(Ossetia)がある。オセット人は、ロシア帝国によって、イスラム教徒との緩衝にされたキリスト教徒である。

・その東方に、チェチェン人(Chechenya)、イングーシ人(Ingushi)が住んでいた。かれらはイスラムと折衷主義、またスーフィズム(Sufi)を信仰した。

・スヴァン人(the Svans)やカハル人(the Khevsureti)は、チェチェン人よりも強硬な抵抗を続けた。

・19世紀の反乱の中心は、チェチェン東方のダゲスタン(Dagestan)である。

・ダゲスタンの南にアゼルバイジャン(Azerbaijan)があり、ペルシア隷下のハーン(the Khanates)たちによって統治されていた。

アゼルバイジャンの西は、カルトヴェリ語(Kartveli)を話す人々……グルジア人(Georgian)、ミングレル(Mingrelian)人、スヴァン人、ラズ人(Raz)の土地である。

・中世グルジアの王国……東部のカヘティ(Kakheti)、中部のカルトリ(Kartuli)、西部のイメレティ(Imereti)

グルジアの南にアルメニア(Armenia)がある。

コーカサスの人びとは、ロシア帝国のコサック(Cossack)たちとも混交した。

 

 文化、生活様式、言語、宗教など、あらゆるアイデンティティは流動的である。

・地理的には、南北よりも東西の分断の方が大きい。ロシア帝国の進入以前は、西部はトルコの、東部はアラブとペルシアの影響下にあった。

ナショナリズム国民意識の変動……アルメニア人はオスマン帝国内でも最も特権的なキリスト教徒だったが、19世紀末以降の虐殺を経て、共和国として独立した。

グルジアという領域は中世以後消滅していたが、やがて統一した国家として復活した。

アゼルバイジャンという名は20世紀までアイデンティティとして認識されていなかった。

・チェルケス人はいまはロシアに忠実だが、チェチェン人は今日、もっとも血塗られた闘争を展開している。

・ロシアに帰属し、スターリンら多くの政治家を輩出したグルジアは、いまは反露国家である。

アゼルバイジャンシーア派(Shia)だがトルコとは友好的である。正教国家アルメニアもまたイランと友好関係にある。

・アジアの3つの帝国……ロシア、トルコ、ペルシアがコーカサスの政治を支配した。

・多くのロシア人、ヨーロッパ人芸術家・学者たちが、コーカサスに関心を持った。

 

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 1 帝国と境界

 帝国の夢

・前近代において、国境は地図のような明確な線を持っていなかった。

 領土とは、橋や川、峠などの要衝であり、支配者は外国人の侵入ではなく、領民の流出を警戒した。

・18世紀には、ペルシアの影響力が弱まった。それまではトルコが力を持っていたが、16世紀以降、ロシアが強大化しつつあった。

・18世紀……ペルシアはサファヴィー朝(Safavd)からカージャール朝(Qajar)へ

・1801年、ロシアのアレクサンドル1世(Alexander 1)がグルジアを併合すると、各地で反乱がおきた。しかし併合は進み、1810年代にはグルジアアルメニアがロシア領となった。ロシアはウラジカフカス(Vladikavkaz)からティフリス(Tiflis)までをつなぐグルジア軍道を整備し、ペルシアと、その背後にいるイギリスに備えた。

・ロシア、トルコ、ペルシアの戦争

 

 王とハーン(Khan)

コーカサスには多数の王、ハーン、地方ボスが割拠していた。

北コーカサスの人びとは、生活様式、衣服、慣習では共通点を持っていた。しかし、部族社会にはそれぞれ相違点がある……ダゲスタンはイスラームであり、チェチェンアブハジア(Abkhaz)は伝統的なアニミズムの要素を保持していた。

・社会構造の違いが、ロシアの征服戦争に大きく影響した。

 カバルダ(Kabardian)やグルジアには、中央集権的な権力者が存在した。一方、ダゲスタンの支配者の力は弱く、またアヴァール(Avar)やチェルケス、チェチェンでは、権力は分散していた。

・封建構造の強い地域では、ロシアの侵略は、中枢を抑えることでうまくいった。ロシアの貴族制度は柔軟であり、占領した諸国の貴族階級をうまく吸収することができた。

 一方、分散した権力構造の地域、部族社会では、全方位にわたって制圧をしなければならなかった。

 [つづく]

 

The Ghost of Freedom: A History of the Caucasus

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