うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

楽しい粘土、ピエロ

 ◆戦争論

 他国の無職戦闘員との話し合いのために、まじめにクラウゼヴィッツを読んでおくことが必要と思い、アメリカでほぼ定訳となっているらしいピーター・パレ版を買った。

 情けないことに『戦争論』は解説本や軍事学の教科書でしか読んだことがない。これを機会に集中して取り組むのもいいのではないか。

On War

On War

 

 

 ◆ロシア語

 これまでスペイン語、中国語に手を出して、旅行会話レベルで投げ出してきたが、改めて真剣に検討すべきであると考えた結果、ロシア語の勉強を始めた。

 ロシアに関する本――グレート・ゲームKGB、FSBなど――を読んできたが、基本的にわたしが読めるのは英語圏、つまり西側の文献である。日本語であれば日本語、英語であれば英語と、それ自体強い価値観や傾向を持っているので、ロシア語を学ぶことはまた別の世界観について勉強することになると思料する。

 例えばシベリア出兵における日本軍の活動や、ソ連から見た日本軍がどういうものだったか、ロシア語文献によるロシア南下政策の記述に興味がある。

 

 理由:

1 旧ソ連諸国(グルジアウズベキスタン)やスラブ語諸国(バルカン半島等)について調べたり旅行したりするときに役に立つ

2 シベリア出兵やロシア革命、アフガン戦争、また沿海州シベリアの歴史について細かいことを調べたい

3 原文で読みたい作者……ソルジェニーツィン、アレクサンドル・ブローク、プラトーノフ、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ、アンナ・ポリトコフスカヤカスパロフ、ヴォルコゴーノフ

4 ロシア旅行のため(ヨーロッパ・ロシア、ウラル地方、極東とシベリア

 

 やる気を出すために明治大学近くのナウカ(ロシア語書店)に行って、『戦争は女の顔をしていない』のロシア語復刊版と、ザミャーチン『われら』を買ってきた。 

 明治大学の敷地内にリバティ・タワーという建物があったので、某宗教の施設かと勘違いした。

ニューエクスプレス ロシア語

ニューエクスプレス ロシア語

 
The New Penguin Russian Course: A Complete Course for Beginners

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Langenscheidt Pocket Dictionary Russian (Langenscheidt Pocket Dictionaries)

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 ◆粘土

 クエイ兄弟ヤン・シュヴァンクマイエル、人形劇「三国志」、「プリンプリン物語」を参考に、人形を使って物語を上映するにはどうすればいいか考えた結果、粘土人形を作り始めた。

 Youtubeを探しても、自前の人形劇を作っている方はあまりいないようだ。

 最終目標は、一人で撮影、編集、作曲を行って人形劇を制作することである。おそらく5カ年計画になるだろうが、その第一歩は白軍のウンゲルン=シュテルンベルク、そして馬仲英の成形である。

 道具はAmazonで注文し、作り方はYouTubeの動画や制作者のブログを参考にしている。

 

 計画

1 人形制作(最終的には可動式)

2 シナリオ作成

3 撮影と編集(デジカメと編集ソフトに向けて貯金)

4 音楽・効果音準備(ファミコン音楽で可)

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 ◆飛ぶ無職

 惰性で無職戦闘員を続けてきたが近々海外に異動して生活することになった。この環境を生かして現地語の勉強と知識の習得につとめたい。

 少し前に八原博通『沖縄決戦』を読んだとき、合衆国留学時代の思い出についての記載があった。八原氏は沖縄戦当時、高級参謀として持久戦の指揮をとった人物である。

 この当時は一部の成績優秀者しか国外に派遣されなかったというが、今や私のようなニートでも飛行機で飛んでいける時代になった。このような機会を活用しなければならない。

沖縄決戦 - 高級参謀の手記 (中公文庫プレミアム)

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『サウジアラビア』保坂修司

 矛盾を多く抱えた国家について解説する。

 アメリカの同盟国であると同時に、9.11実行者の大多数を輩出し、また冷戦期にビンラディンやアフガン・アラブを支援した国でもある。

 日本人の視点からは非常に不思議な社会であり、抱える問題もわたしたちとは異なる。

 

 0 パラドクス

 サウジアラビアワッハーブ派といわれるが、これは蔑称である。18世紀にアブドゥル・ワッハーブが提唱した宗派は柔軟で革命的なものだったが、現在サウジアラビアで施行されているものは全く異質の教義である。

 サウジアラビアは、世俗化することなしに近代化を行った。近代的な産業が発達する一方で、宗教警察である勧善懲悪委員会が市民のふるまいを監視している。

 都市は富裕層が多く居住する一方で、スラムが存在する。また、テロリストの問題は9.11(同時多発テロ事件)をきっかけに噴き上がったが、サウジアラビアでは、それ以前から国を悩ませる問題だった。

 1933年の国家成立後、当初メジャーによる経営だった石油生産は、徐々にサウジアラビアの手にわたっていった。

 1960年にはサウジアラビアの生産決定権が増し、1980年には、石油会社アラムコが国営化した。

 

 1 王族

・フェイサル国王(1975年暗殺)

・ハーリド国王(1982年死亡)

・ファハド国王(2005年死亡)

・アブダッラー国王(病気がちの王に代わり実務を担当していた、2015年死亡)

・サルマーン(2016年現在国王、認知症

ムハンマド・ビン・サルマーン(皇太子、実務担当)

 

 サウジアラビアとは「サウード家のアラビア王国」を意味する。イランやイラク、エジプト、リビアの王制は打倒されたが、サウジの王族は存続した。

 王族は歴史が古く、また数は2万人以上存在する。

 王族は、閣僚ポストのみならず外交・治安・軍事、また地方行政の隅々まで配置され、反乱やクーデタを未然に防止している。

 王族のほとんどはビジネスに関わっており、例えばワリード・ビン・タラール王子のキングダム・ホールディングはアラムコを除けば国内最大の企業である。また、ファイサル元国王の一族によるファイサリーヤ・グループも巨大である。

 王族の企業は新聞やテレビ放送を牛耳っている。

 王族は、コネと口利き、賄賂を使い、サウジアラビア経済を支配する。

 国王は政治的・宗教的な最高権力を持つが、王族会議や部族代表による合議制に基づいており、独裁的な力を振るうことはできない。

 

 2 石油の力

 サウジアラビア経済は石油に依存しているが、現在、石油価格は市場と海外の動向に左右される。

 また、1人当たりGDPは、同じ産油国であるカタールやドバイよりもはるかに低い。理由は、サウジの人口が急激に増加したためである。

 サウジアラビアの人口統計はあてにならないが、現在も高い出生率(7人)を記録しており、このまま人口爆発を続けた場合、石油経済では国民を賄うことができなくなるだろう。

 石油に依存しない経済の多角化が行われているが、前途多難である。

 また、特に若年サウジ人の失業は深刻である。にもかかわらず、数百万人の外国人労働者がいるのには理由がある。

 

 ――おそらくアンケートに答えた管理職側の人間もサウジ人だろう。サウジ人みずからが、サウジ人労働者は勤務態度が悪く、定着せず、規則を遵守せず、経験がなく、外国語ができず、配置換えも賃金カットするのも難しく、生産性が低いと認めていることがわかる。

 

 若者の失業率の高さを改善するために、各業界・分野において外国人労働者の比率を減らす「サウジ人化」政策がとられたが、うまくいかなかった。経営者側は、使えないサウジ人の若者を高い給料で雇いたくないし、サウジ人側には、グレーカラー、ブルーカラーの仕事・職人仕事に対する忌避が強かったからである。

 

 ――サウジでは、働いているのか、休憩しているのか、あるいは邪魔しているのかよくわからない人たちをよく見かける。

 

 こうした社内失業者を雇うことが、家族社会と同様にセーフティーネットとなっている。

 サウジ人が労働市場で価値が低い原因は、教育と経験の不足にある。教育は宗教家たちが管理してきたが、近年は職業に役立つ訓練を取り入れるよう変化しているという。

 

 3 変わりゆく社会

 教育問題……

識字率が7割程度

・小学校中退が多く、高卒も13パーセント程度

・宗教に傾いた、しかも偏向した教育内容

 

 ――イスラエルの存在が影を落としているのだろう。ユダヤ人に関しては、欧米ではまともに相手にされない陰謀論がまかりとおる。たとえば、高校1年生の教科書にはフランス革命共産主義ユダヤ人の陰謀だといった説が記されている。

 

 異教徒の根絶、ジハードの義務等、教科書の内容はアルカイダの主張とほぼ同一のようだ。

 教育が過激化した原因は、1979年のマッカ占拠事件にある。教育に過激な要素を取り入れることで宗教界をなだめ、王制への不安定要素をつぶそうとした。

 また、エジプトやシリアの世俗政権に追い出されたムスリム同胞団員を難民として受け入れ、教育職につかせた。

 あわせてソ連のアフガン侵攻に聖戦士たちを送り出すことで、国内不満の沈下を図った。かれらはアフガンから帰ってくると、国の厄介者になり、居場所を失った。

 湾岸戦争をきっかけに政治改革運動、デモが生じ、政府はこれを抑え込んだ。さらに、聖地における米軍駐留に宗教界が反対し、また一部の過激派であるアルカイダの発生するきっかけになった。

 

 4 リヤドの春

 9.11をきっかけに、政府は教育改革、テロ対策に手を付けた。

 政府は宗教界をコントロールしきれなくなり、改革を提言し政府を批判する宗教家たちを弾圧した。ほぼ同時期に、サウジ国内でのテロが再開し、やがて9.11につながる結果となった。

 9.11以後、政府は欧米からの自由化圧力と、国内の宗教強硬派の双方に配慮しなければならなくなった。

 イラク戦争前後には国内で自爆テロや銃乱射、誘拐斬首が頻発し、当局は対応に追われた。政府は過激なウラマーを逮捕し、また慈善団体への資金監査を厳格化した。

 

 2005年には、地方評議会選挙が全国で行われた。その結果は次のようなものだった。

 

・国民の大半は無関心だった。かれらの関心は、地方評議会ではなく諮問評議会(国政)にある。

・新聞やインターネットで比較的自由な言論が生まれた。

・大都市では部族ネットワークが機能しなかった。

イスラーム主義者は危機感を抱いた。

 

 5 未来への道

 サウジアラビアは過激派と西欧文化にあこがれる若者、テロ・宗教警察と豊かな生活、ワッハーブ派エスタブリッシュメントとリベラルが併存する国である。

 ある研究によればサウジ人の6割はノンポリであり、思想的な分布は次のように示される。

 

・テロリスト

・ジハード主義者

・タクフィール主義者(背教徒宣言をし殺害する勢力)

・扇動のウラマー

・保守強硬派

エスタブリッシュメント

・穏健派(改革派)

・無関心

・リベラル

 

 2005年現在、政府は、宗教勢力を刺激しないように、漸進的に改革を進めているようだ。

 

サウジアラビア―変わりゆく石油王国 (岩波新書 新赤版 (964))

サウジアラビア―変わりゆく石油王国 (岩波新書 新赤版 (964))

 

 

『Hitler』Joachim C. Fest その3

 6 準備期間

 大統領の死に伴いヒトラーは総統及び首相の兼任となった。

 国民投票では、社会民主党支持者とカトリック(中央党)がまだヒトラーを拒絶していた。

 

・恫喝外交と宥和政策……1935年の英独海軍協定、ヴェルサイユ条約破棄と徴兵制復活、ベルリン・ローマ枢軸、ラインラント進駐等。

 ヒトラーは、戦勝国同士の連携を崩すことで、大戦後の安全保障システムを破壊した。

 スペイン内戦は、継続させることがドイツの利益となると判断し、不十分な支援のみを実施した。

ヒトラー人間性……人の話を聴かず、イエスマンだけを配置する。相手に反論させず、延々としゃべり続ける。

・1937年のホスバッハ覚書について、本書は、ヒトラーの侵攻計画の証拠であるとする立場に立つ。

・1938年、チェコスロヴァキア併合のとき、国防軍のハンス・オスター、ルートヴィヒ・ベックを中心にクーデタが計画された。しかしチェンバレンミュンヘン会談に応じた結果、計画は中止となり、作戦は失敗した。

・1939年、ポーランドに対するダンツィヒ割譲要求を境に、英国は敵国となる。ヒトラーは生存圏確立のために、まずは西側を亡ぼした後、ソ連を亡ぼすことを決意したという。

 

ポーランドの強硬姿勢、ソ連の英仏への不信が、ドイツの侵攻と英仏の宣戦布告の直接原因となった。

 英国の最後通牒の報を受けて、ヒトラーは放心状態となった。側近の証言では、以後、ヒトラーは「ドイツは終わった」、「私の歴史は無に帰すだろう」と自暴自棄の独り言をつぶやいたという。

 ドイツが英仏との戦争に勝てる能力を有していないことを、軍だけでなくヒトラーも認識していた。

 

・恫喝・脅迫による瀬戸際外交政策は、ポーランドで失敗し、それがヒトラーの致命傷となった。

 

 7 勝者と敗者

 ポーランド侵攻の後、1940年5月、ドイツのフランス侵攻が始まり、6月にフランスは降伏した。国防軍は消極的だったがヒトラーに押し切られた。

 イギリスに勝てないことがわかり、ヒトラーは自暴自棄になった。

 1941年6月22日、ドイツ軍がソ連に侵攻し、独ソ戦が始まった。

 東部戦線では、アインザッツグルッペンの活動に加え、国防軍に対しても、スラブ人やユダヤ人を絶滅させるよう指示が出された。

 

 ヒトラーの政治家としてのキャリアは終わり、無能な戦争指導者としての破滅が始まった。

 対英戦争、独ソ戦、合衆国への宣戦布告は、全て失敗が明らかだった。

 ヒトラー独ソ戦において高級軍人を次々更迭し、自らが指揮し、大隊、連隊レベルまで介入した。

 戦況の悪化につれて官邸地下壕に籠り、現実から目を背けるようになった。

 ナチ政権崩壊の原因……非効率な官僚組織を乱立させ、軍の指揮系統が混乱していた。末期の崩壊を加速させたのは、ボルマンのような利己的な側近である。

 

 8 破局

 ヒトラー暗殺計画は、士官のみによって行われた不完全な作戦だった。

 連合国がベルリンに近づくにつれてヒトラーはますます現実から遊離していった。かれはイタリアを罵倒し、同盟を結んだことを後悔した。

 かれは、「自分は生ぬるかった」、「過激さが足りなかった」、「英国を買いかぶっていた」と後悔した。

 ルーズベルトが死ぬと、戦況が変わるのではないかと躁状態になるが、ベルリンは陥落しようとしていた。

 1945年4月30日にヒトラーは自殺した。

 海軍士官は名誉の観念を残しているとの思い込みから、デーニッツを後継者に指名し、徹底抗戦するよう伝えた。しかしデーニッツは従わなかった。

 

 9 結論

ヒトラーは古いヨーロッパを破壊しようとしたが、彼の人格や性格のほとんどは古いヨーロッパから生まれたものだった。

・19世紀とブルジョワの文化の産物だった。

ドイツ国民は応援し、手を振り、行進するだけでよかった。ナチスは人びとを政治から解放し、また私的領域を消滅させた。

・ナチ体制崩壊後、ドイツは自分たちの傾向を封じるようになった……極端な人物、深遠さ、非社会的な大理論、現実への蔑視等。

ヒトラーは力と恐怖を集め行使した。ナチズムの思想はあくまで手段でしかなかった。ナチスが残したものは恐怖を除いてほとんどない。

 

 

Hitler (Harvest Book)

Hitler (Harvest Book)