うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Japan's Total Empire』Louise Young

 副題:満洲と戦時帝国主義の文化
 満洲を軸として、日本帝国主義を社会と制度から分析する。制度は個人を帝国主義に参加させるための媒体であり、また社会は国家政策に影響を与えるものである。

 

 1 総動員帝国をつくる
 日本の満洲政策は軍事的征服、経済開発、植民の3項目からなる。
 帝国主義と近代化の関係を論じることも本書の中核の1つである。本書にいうTotal Empireとは全体主義ではなく総動員体制のTotalを意味する。日本帝国主義が軍と官と民、都市と農村、本土と植民地等が相互に影響を与え、全体として進められたものである点を強調する。
 日本の開化から、朝鮮、台湾、南洋諸島の併合、山東半島満洲の権益の保持、満鉄関東軍、警察による統治まで。1931年、張作霖の息子張学良が関東軍の傀儡であることを拒否し国民党に服従したことにより満洲権益が脅かされた。これが満州事変の謀略につながった。
 移民政策にはソ連に対しての緩衝、また辺境の防衛という準軍事的な目的があり、政府は移民に対し農業用物品や種とともに武器を貸与した。
 満洲は始め植民地朝鮮の緩衝地帯に過ぎなかったが、官民の資本投下が進むにつれ守るべき権益となった。軍閥と国民党による脅威を受けて満洲は日本の重要課題となり、満洲事変が引き起こされた。

 

 2 満州事変と新軍事帝国主義
 満洲事変が本土に与えた戦争熱、排外主義の拡散に焦点を当てる。帝国主義は政府、社会の双方から醸成されたことを検討する。
 欧米と同じく日本においても近代戦争とマスメディアは深いつながりを持っている。日本においては発達した情報通信と識字率の高さ、新聞をよく読む国民がマスメディアから大きな影響を受けた。
 大阪と東京の4大紙は満州事変によって大きく部数を伸ばした。またNHKによるラジオ放送、電通による写真電送サービスがこの前後に勃興した。
 著者によれば、検閲と言論統制は確かに行われたが、事変に伴う排外主義、好戦主義の熱狂には民間のマスメディアが深くかかわっている。メディアは市場開拓の機会として盛んに戦意高揚報道を行い、またマスメディア相互の自主検閲を行い反戦論、懐疑論を押し潰した。
 満洲事変によって現れた新しい風潮……臆病者の中国人と欧米列強による日本いじめ、軍功よりも犠牲を重んじる愛国美談等。
 満洲事変不拡大方針は陸軍の圧力と関東軍の独断専行により失敗し、その後のテロ事件もあり、軍を止めるものはいなくなった。軍の政治力増大の原因は軍自身と、かれらを利用した政党にあった。
 ロンドン軍縮条約による海軍の削減を目の当たりにした陸軍は、同じ轍を踏むまいとしてその直後から世論の醸成に励んだ。予備役団体、退役軍人の協会を各地に設立しまた積極的に行事やイベントを行った。
 満洲事変は公式見解では自衛のための戦争、治安維持のための国内的行動とされた。
 政府と公的機関に加えて、地元の名士たち、社会主義運動団体、労働団体、婦人団体なども次々に満州事変に協力しようと争った。また各自治体や企業はさかんに寄付を行った。寄付金は飛行機購入費や慰問に使われた。

 

 3 植民地発展における満洲の実験
 満洲事変勃発当初、経済界の反応は様々だった。上海や青島に工場を持つ企業は関東軍の動きに不快感を示した。このため反富裕層的な風潮が起こり、暗殺事件が起こった。その後、財閥を中心とした日本商工会議所満州事変を支持し、ビジネスの機会に転化しようという動きがおこった。
 満洲を、財閥を排した新しい産業と工業の地ととらえた関東軍に対し、資本家たちはそうではなく新しい市場と考えた。この対立は終戦まで続いた。
 満洲に投資したのは大半が国策会社であり、主に旧財閥の資本によった。しかし30年代後半には日満経済ブロックはうまくいかなくなった。
 日中戦争勃発後の近衛内閣においては、革新知識人の混ざった昭和研究会が力を持った。研究会は新しい東亜共同体論を唱え近衛のブレインとなった。
 昭和研究会社会主義的政策、関東軍の重工業振興策、企業の市場開拓など、対立する思惑が満洲に注がれたがすべてうまくいかなかった。植民地に産業資本主義を根付かせるという計画はこれまでの諸外国の植民地政策には見られなかった点である。
 軍や知識人たちは資本主義の行き詰まりに対するユートピアとして円ブロックと指令経済に活路を見いだした。当時の知識人や学者だけでなく革命家たちも満洲に希望を託そうと試みた。
 満鉄による沿線開発、JTB(日本交通協会Japan Travel Bureau)による観光旅行、中国学者の活動
 左翼学者たちは満州鉄道会社に就職し現地で革命活動や左翼活動を行ったが結果的には帝国主義の片棒を担いだだけだった。かれらは理想に眼がくらんで現実が見えていない人間として著者に批判されている。

 

 4 新社会帝国主義と農地植民地化
 明治維新以降の移民政策は国民の機会の開拓というよりは国家の威信をかけて行われた。
 農本主義運動や農村移民運動は昭和恐慌と満洲事変によって一大勢力となった。政府は人口過密を解消させるため満洲への植民を奨励したが、実際は長野県、山形県福島県秋田県等、貧しい農村の多い県からの移民が多かった。
 代表的人物は加藤完治、橘孝三郎ほか。
 自治体レベル、市民団体レベル(青年団体、女性運動等)による植民活動の動き。人種主義に基づく植民地拡大の言説について。日本は国防、経済発展、社会福祉を軸として強烈な社会介入国家を築いてきた。国家の介入政策と、草の根の運動が相互作用することにより植民活動が達成された。
 人間トーチカ……満洲にやってきた零細農民たちは関東軍の意向により馬賊反日分子の多い地方に住まわされた。かれらは重労働に耐えた。やがて対米戦争が始まると、移民の若者たちは招集された。
 移民は撤退の際にも甚大な被害を受けた。

 

 5 結論
 総動員帝国を作り上げた6つの要素
1 マスメディア
2 政治運動
3 経済危機に伴う産軍の連携
4 ユートピア思想
5 政府の介入主義
6 政府制度と機関
 満洲国は日本の近代化に内在する膨張主義が結実したものである。その成立に直接影響したのは、大恐慌と中国の国民運動である。

 

Japan's Total Empire: Manchuria and the Culture of Wartime Imperialism (Twentieth Century Japan: the Emergence of a World Power)

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