1965年~1966年にかけてのインドネシア共産党員虐殺を指揮したのが、当時政権を掌握したスハルトだった。この事件は映画「アクト・オブ・キリング」の題材にもなった。
本書はスハルトの統治と経済政策を概説し、また97年アジア経済危機によるスハルトの失脚とその後を検討するものである。
1 観察
昭和風の現地報告文章片が続く。
首都ジャカルタは、小汚いスラムと、エリートたちのオフィス、高級住宅街が完全に分離している。しかし、ふとしたきっかけで、2つの世界は交差するとのこと。
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スハルトは「安定と開発」の政治を実行し、これまでインドネシアの経済発展を遂行してきた。その過程で軍を掌握し、共産党勢力やその他の反対勢力を抑圧した。また、給料だけでは人びとが生活できないことから、組織ごとに「家族主義」といわれるコネ、賄賂、汚職の体系をつくりあげた。その家族主義の頂点に立つのがスハルトだった。
スカルノは指導民主主義を唱えたが、国民のために便宜をはかることをしなかった。一方、スハルトは国民の面倒を見てきた。
1997年のアジア通貨危機によって、インドネシアは経済危機のみならず政治危機にもみまわれ、スハルト政権が崩壊した。
経済危機によりこれまでの「家族主義」が機能しなくなり、困窮する人間が多く生まれた。また、スハルトが老化するにつれて、スハルト一族のファミリー・ビジネスが台頭した。これまで「家族主義」は互助会的な役割を担っていたが、スハルト一族が利権を独占するようになり、多くの人間が排除された。
政治体制は軍事政権からスハルト独裁へと変貌した。
最後に、スハルトが共産党員を虐殺した事件を知らない世代が増えるにつれ、権力への恐怖心が薄れ、政治に対する不満が表出するようになった。
「政治の安定→経済の成長」をサイクルとするスハルトの統治が行き詰まり、かれは辞任した。
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インドネシアは大統領制を敷くが、議会が強い力を持つため、大統領は政党の後ろ盾がなければ何もできない。このため、大統領が投票により選ばれたとしても与党勢力に阻まれ、政権が安定しなかった。
スハルトはゴルカル(機能政党)を掌握していた。しかし、続くワヒド大統領は少数政党の出身であるためすぐに力を失い辞職した。
スカルノの娘メガワティが大統領選に勝ったことは、国民が脱スハルトを望んでいる証拠である。メガワティは与党出身であるため、政権はワヒドよりも安定するだろう、と著者は分析する。
2 比較
3 歴史
インドネシアのナショナリズムは1910年代に起こり、イスラームの思想を基盤とし、社会運動が展開された。
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インドネシアは国内に様々な要素を抱えた国家である。ジャワ島とそれ以外、ムスリムとキリスト教徒、東ティモール、アチェ人等、統合を阻むものが多数存在する。
インドネシアから考える―政治の分析 (シリーズ「現代の地殻変動」を読む)
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