うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『中華民国』横田宏章

 辛亥革命から共和国成立までの四〇年にわたる中華民国の歴史を、伝統的な中国の政治形態、「賢人支配の善政主義」という観点から描く。この政治形態とは、「選ばれた有能なエリートが統治能力のない無能な大衆にかわって高度な統治技術を必要とする政治を独占する」ことをさす。

 従来、中国は革命によって変わったのだとする革命史観、共和国的歴史観が主流だったが、本書においては、二〇世紀の中国史もまた伝統的支配の継続、延長と解釈される。

 政治の担い手は科挙官僚から留学組エリートへ、イデオロギー儒教から三民主義マルクス主義とうつりかわってはいるが、善政主義の伝統は脈々とつづいている。

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 辛亥革命前夜のグループは大別して洋務派、変法派、革命派にわけられる。洋務派は李鴻章清朝の改革・開放運動、変法派は康有為梁啓超ら立憲運動、革命派は孫中山らである。立憲主義的な変法派にせよ、共和制をめざす革命派にせよ、議会や民衆に政治をまかせてはならないという愚民観、つまり「賢人支配の善政主義」という共通点をもっていた。

 アヘン戦争日清戦争を経て改革の必要にせまられた清朝は光緒帝を主導として康有為らによる維新運動をはじめるが西太后ら保守派につぶされる。一九〇〇年の義和団事件によってふたたび改革がはじまる一方、孫中山らは各地の秘密結社を糾合して清朝打倒をめざす。しかし反体制派はさまざまな思想家や派閥のキメラとなり、さらに清朝打倒後の臨時政府大統領のポストには、軍閥袁世凱が就く。これは孫中山が意図したのとは程遠い結果だった。

 革命の段階として軍政を重視する孫中山にかわって、主権在民の思想を基盤にした議会制民主主義の推進者、宋教仁が国民党のリーダーとなる。彼は理想主義に燃えて選挙を開催する。しかし、軍事力や反対派の武力にたいして警戒をおこたった結果、袁世凱の刺客に暗殺される。ふたたび孫中山が革命に乗り出し袁世凱討伐を開始する。

 議会制民主主義の失敗と、武力・軍事力優先の傾向は長くつづく。

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 北京政府(清朝)と南京政府(革命政権)の統一のために、近代的軍事集団である北洋軍閥を擁し、清朝内閣総理でもある袁世凱に臨時大総統のポストが用意された。
この時期から一九二四年ころまで、袁世凱の北洋軍閥、段祺瑞の安徽派、英米支援の直隷派や中小の軍閥が入り乱れる大混戦がつづく。最終的に二四年からはじまった蒋介石の国民革命軍による北伐により天下統一が達成される。

 軍閥闘争のあいだ、共産主義者になる前の毛沢東を含む知識人たちは、地方分権、連邦制を唱える聯省自治運動をおこなったが、これは軍閥の割拠に利用されただけだった。

 一九一五年、日本の二十一か条要求にたいしておこった五四運動は、大衆運動のはじまりとも、反日民族運動のはじまりともいわれる。一九二一年に中国共産党が成立したのち、一九二五年から五・三〇運動とよばれる労働者の大規模な運動がおこなわれる。沿岸部の都市労働者たちは英国や日本の資本にたいし反抗するまでの自覚を得るようになった。

 陳独秀、李大剣、毛沢東周恩来ら各地の知識人がマルクス主義者に転向する。

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 国共合作には二〇年代の第一次と、抗日戦争時の第二次がある。第一次国共合作において孫中山共産党員を国民党に加入させ、軍閥帝国主義列強に対抗した。旧世代の国民党の傘下におさまるという合作に、中国共産党から反対もあったが、ソ連およびコミンテルン代表マーリンは、帝国主義にたいする防波堤建設のためにはやむなしとして納得させた。

 孫中山死後の闘争を経て、浙江省軍人の蒋介石が頂点に立つ。蒋介石トロツキー赤軍を見学し、新しい軍隊、国民革命軍の設立をめざし、士官学校をつくる。また、勢力を拡大する共産党の弾圧をおこなう。

 北伐によって達成された南京政府の統一は不完全なもので、張学良は東北を実質的に支配し山西省も閻錫山の独立王国であり、フウ玉祥や李宋仁も独自の軍隊をもっていた。

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 以後、日本の侵略がはじまり、張学良のおこした西安事件によって第二次国共合作がおこなわれる。重慶の国民党政府が腐敗する一方、共産党八路軍が活躍し、その首府延安は活気に満ちた。

 ――日本軍の中国侵略は中国共産党にとってみずからを鍛える機会となった……この時、共産党社会主義政党というよりは、むしろ中国の独立をめざす民族主義政党として、大衆的支持を得ていたのである。

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 「日中戦争を太平洋戦争へ拡大させ、欧米列強を抗日戦争に巻き込むという蒋介石の長期戦論、日本軍を中国人民の大海に沈めるという毛沢東の持久戦論は、ともに効果を現してきたのである」。

 共産党、国民党はともにイデオロギーを掲げる革命政党である。著者は国民党が敗北した理由として、憲政の失敗、経済の失敗、官僚の腐敗、テロの横行をあげる。一方、共産党は、毛沢東の農村革命路線が成功をおさめてから、一挙に農民の支持を得た。また、民主派知識人も柔軟(にみえる)な方針の共産党に共感を示した。

 著者いわく、現在の共産党支配も「賢人支配の善政主義」の継続であり、無能な大衆にかわって賢人が統治するという態度は、国民党と変わらない。

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 中華民国の通史ではあるが、ほとんど内戦の歴史である。

 米中関係……近代中国の敵はまず英国であり次に日本であって、米国はむしろ後発帝国主義として英国ら欧州をけん制するものとして歓迎された。日中戦争中も米国は国民党の支援をつづけたため、おおむね良好関係にあった。

 

中華民国―賢人支配の善政主義 (中公新書)

中華民国―賢人支配の善政主義 (中公新書)