うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 新聞で連載されていた文章を集めたもの。
 作者は徴兵後、予備士官学校を卒業、中国語等の語学力を買われ中野学校二俣分校に入校しゲリコマ戦術を学ぶ。終戦間近にフィリピンのルバング島においてゲリラ戦の指導を命じられた。このときの命令が、絶対に玉砕せず、潜伏を続けよというものだったため、終戦後もジャングルにおいて「残置諜者」としての活動を続けることになった。

 なぜ終戦が信じられなかったかについては、次のとおり理由を述べている。
・投降をうながすビラや放送に疑わしい点があり、敵の工作ではないかと判断した。

・日本は満州に亡命政府をつくり、反撃の機会をうかがっていると予測していた。この見立てに沿うように、朝鮮戦争ベトナム戦争時に大量の米軍機が朝鮮、東南アジア方面に向かうのを確認した。
・投降を呼びかける一方で、フィリピンの警察隊との戦闘が続いていた。

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 ジャングルでの生活が細かく書かれている。
・主食は牛で、乾燥させて保存食にした。植物を食べた。
・アリ、蚊、ムカデ、毒蛇、サソリ、ミツバチとの戦い。
・集落の畑から泥棒して食料を調達した。
・武器弾薬は蛇の住む断崖に隠し、30年間保管した。一定の期間で居住地を変え、敵に発見されないよう努めた。
・ジャングル生活の過程で感覚が研ぎ澄まされ、風上のにおいの変化で牛の頭数がわかるようになった。銃弾が見えるようになった、等。


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 鈴木氏とかつての上官谷口少佐によってフィリピン軍に投降し、日本に帰国するが、1年たたずにブラジルに移住した。

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 本書のなかで作者が表明する意見の中には、賛成できるものがある。
広島平和記念公園の慰霊碑「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」を見て、これはアメリカが書いたものか、それとも負けた戦争をしたことを過ちといっているのか、と質問した。
 ――……「軍事目標主義の原則」から逸脱した市民に対する無差別大量殺人は、私の浅薄な知識からいっても戦時国際法違反である。
・戦争と自然に共通するものがあるとすれば、それは危機に対する緊張感である。どれほど科学文明が発達しても、人間はいまだに雨さえコントロールできないのである。
・帰国後の検査入院中にタクシーに乗ったとき、運転手は最近の若者を批判するが、作者は反論する。
 ――私は「運転手さん、それは違うよ」と反論した。「戦前の人間が立派なら、負ける戦争なんかしなかったんじゃないですか」
   運転手さんがおこっていった。
   「あんたもダメおやじの1人だね。少しは小野田さんを見習ったらどうだ」

 

 小野田氏の著作活動を補佐した人物による回顧録もある(『幻想の英雄』)というので、そちらもあわせて読みたい


たった一人の30年戦争

たった一人の30年戦争

 

 

「トラフィック」

 制作:2000年

 監督:スティーブン・ソダーバーグ


 麻薬戦争に関わる3つの風景をまとめた映画。

・メキシコの麻薬組織と警察

・合衆国の麻薬対策本部長とその家族

・麻薬マフィアの家族と、マフィアを追う刑事たち

 刑事や判事の力が弱く、麻薬の蔓延や、巨大な組織には勝てない。しかし、映画では、個人のレベルにおいて希望が見られる。

 登場人物ごとに画面の色合いが使い分けられており、特にメキシコ部の黄色い彩色はよく合っている。

 

トラフィック [DVD]

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『茶道の美学』田中仙翁


 茶道における美とは何かという原理を考える本。
 冒頭から床の間や内装の細かい美的感覚についての薀蓄が始まる。大まかな歴史に沿って説明されてはいるが、茶道知識のまったくない人間には大変読みにくい。

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 1

 床の間、土壁、茶器を手に取ったときの感触、インテリアの美意識について。こうした美的な基準は、同朋衆と呼ばれる茶道の担い手たちが定め、時代とともに変遷していった。

 2

 茶器には中国伝来、高麗伝来、国産といくつか種類があり、それぞれが、その時代の美的感覚に基づいている。

 3

 中国からやってきた喫茶の伝統を国内で普及させたのは禅僧だった。平安時代には貴族たちが社交として喫茶を楽しんだ。やがて、茶道の担い手は武士や商人となった。室町時代には、乱世のなか貴族や新興武士たちが茶を行った。

 信長は外交手段として茶を用いた。茶道では、身分の上下に関係なく交流が行われる。かれは商人たちに茶器を与え、また商人や諸国の大名も茶道具を献上した。茶を通して交流を行い、領国経営を円滑にした。

 明治維新のとき、一時茶道は顧みられなくなったが、新政府の首脳や実業家たちが再び茶道や茶道具を取り上げるようになった。

 4

 お点前、その他の細かいしきたりについて。
 5

 茶の美は時代によって移り変わる。

 

茶道の美学 (講談社学術文庫)

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『ヒンドゥー教』森本達雄 その2

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 インドの浄・不浄観には、日本をはじめとする他の文化と共通する点もある。

 ヒンドゥー教は死、血、屍を特に忌み嫌う。女性に対する蔑視は、生理、月経、出産等の血を伴う現象にも由来するという。

 インドにおいて清浄とされるのは水、火、クシャ草、牛等である。水に対する価値観の例としてガンジス河と沐浴の慣習をあげている。牛の信仰は牛だけでなく牛糞や牛の尿にも及ぶ。

 牛の信仰を司るクリシュナは、ヴィシュヌの化身とされる。しかし、クリシュナは元々バラモン教と対立する存在である。この神は牛飼いの身分で生まれ、シュードラ、原住民に支持されていた。やがてヒンドゥー教の大衆化に併せて吸収され、庶民に親しまれる存在となった。

 なお、神聖視される牛はコブウシのことを言い、街中をうろついている水牛は不浄な動物、死神ヤマの乗り物として逆に忌み嫌われるという。

 牛の殺害はバラモン殺害に等しいが、水牛は外国人やムスリム向けの食糧として屠殺されている。

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 ヒンドゥー教は人生における通過儀礼を定めており、厳格な家は今でも実践する。

 女性は、ヴェーダの供犠や学習から除外されるため、宗教的にはシュードラである。男尊女卑の伝統はこの規定から生まれた。

 女性から離婚することはできず、また離婚した女性、寡婦となった女性は穢れとして生殺しにされるため、殉死の慣習が生まれた。

 夫の火葬に飛び込んで焼死するサティの風習はインド近代化の過程で禁止された。

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 ヒンドゥー教では人生を4つの時期に分割し、家長として活動した後に森の賢者になり、解脱すべきであると説く。この教えが実践できるものはまれだが、それでも社会的地位を得た人間がやがて乞食となって聖地に向かう例があるという。

 家長として自分に与えられた職務を果たす上で、3つの人生目的……法(ダルマ)、実益(アルタ)、愛欲(カーマ)の追求が行われる。

 タゴールは林住・遊行期における境地を次のように表現する。

 ――こうしてついに、肉体の衰弱と、欲望の凋落が来る。魂はいま、豊かな経験をつんで、狭い生命から普遍的な生命へと旅立ち、普遍的な生命に自分の蓄積した叡智をささげ、自らは永遠の生命との関係に入る。それゆえに、最期に衰弱した肉体に死の時が訪れようとも、魂は無限なるものへの期待にふるえつつ、別離をいとも自然なことと観じ、悲嘆にくれることはない。

  ***

 サードゥ(出家苦行者)は各地を放浪し、または聖地の宿舎に寝泊りして生活する人物のことである。

 かれらの多くはインチキ霊能師や詐欺師だが、中には信念を持っているものもいる。巷で見かけるサードゥは俗物ばかりというが、それでもヒンドゥー教徒たちは、かれらに対し一定の敬意を払ってきた。

 ヒンドゥーは多様な信仰形式を許容する。

 アゴール派は様々な破戒行為で名をはせた。

 

 ――N・チョウドリーによると、「大反乱中、この派の行者たちが軍隊の後に付き従い、戦死した兵士たちの死肉を食っていたという記録も残っている」そうである。

 

 以後、本章では悟りにいたるためのヨガの教義について説明される。ヨガとは本来解脱するための方法を意味する。

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 再生族と一生族……再生族にはバラモンクシャトリヤ、ヴァイシャが該当する。かれらは輪廻転生を定められている。

 シュードラや不可触民は一生族であり、かれらの命は一回きりである。

  ***

 ヒンドゥー教を検討するにあたり、ガンジータゴールが多く引用されている。ヒンドゥー教は寛容性や柔軟性を持つとともに、身分制度や女性蔑視等の深刻な悪習も存続させてきた。

 現代のヒンドゥー教を取り扱う上で、2人の思想家は避けて通れないようだ。

 

 本書は宗教に焦点をあてたものだが、インドの政治、インドとパキスタンとの対立についても関心がわいた。

 

ヒンドゥー教―インドの聖と俗 (中公新書)

ヒンドゥー教―インドの聖と俗 (中公新書)