塵のつもった、誰もいない道、雨などの風景のなかで、カートを転がす父と子供が歩いている。父と子は寒さに耐えつつ、南に向かい、雪と塵のつもった山間部を越える。唯一であった人影は、彼らの前方をよろよろと歩いていた男だけで、この男も雷に打たれたらしくしばらくして倒れてそのまま停止する。
「だれもいなかった」「塵が積もっていた」という描写は繰り返しおこなわれる。薄暗い煙、塵、雨に覆われた、気温の低い、崩壊した世界を父子は歩いている。人の気配がしない「北斗の拳」のような趣である。
文の構造は単純で、単語も限られており、反復が多い。数行ほどの断章が無数に集まっている。廃屋を物色したり、橋を渡ったり、野営して暖をとる、コーラを拾って飲む、など、細かい動作が書かれる。無人の、滅亡した合衆国を歩きながら、季節が変わっていく。マッカーシーは旅の小説家であるという印象を受ける。
寒さや食糧不足、雨と泥に耐えながら進むうちに、ほかの人間に出会う。ディーゼルトラックに乗ってやってきたのは、ガスマスクをかぶり、ライフルを抱えている集団である。父子は物陰に隠れ、カートを置いてすぐに逃げ出す。その後戻ってきて、マスクの男の一人と対決し、射殺する。外にいる人間はいい人間と悪い人間に分かれるが、悪い人間はこうして戦ったり逃げたりしなければならない。
時々、世界が滅亡する前の記憶がよみがえる。男の子は犬の声を聴けば助けようと泣きだし、子供の顔の幻覚を見れば一緒に連れて行こうと泣きだす。父は子供を守るために生きている、と宣言する。この親父が子供に注ぐ愛情は頑なであり、想像しがたい。あまりに愛情に満ちていて、二人の会話もロマン的なところがある。
――ぼくたちにはなにも悪いことはおきないよね。
そうだ。
だってぼくたちは火を運んでいるから。
そうだ、おれたちは火を運んでいるからな。
これは日本語で書かれたら感傷的すぎて本を閉じかねない。あからさまな「火」の象徴性、非現実的な父子のきずな、など、"Blood Meridian"やそれ以前の作品には見られなかった甘さが見られる。甘さといって否定しているわけではないが、注意深く読む必要があるだろう。よくよく思いだせば、ほかの作品にもちょこちょこと感傷的な場面があったかもしれない。
ある家屋に踏み込むと、食料のにおいがする。さらに奥に進むと、人間の死体と捕らえられた人間がおり、助けてくれ、といわれる。父子は無我夢中で逃げ出し、叢に隠れる。人食いたちが戻ってきて、獲物がいないかと徘徊する。家屋の中からは、犠牲者の叫び声が聴こえる。逃げ出したあと、少年は父に、自分たちは腹が減っても人を食べないよね、と念を押す。彼らは火を運ぶよき人びと(good guys)だからだ。
餓えと乾きのなかでりんごを見つけ、ブドウジュースの粉を見つけ、豊富な水を見つける場面は、真に迫っており、ブドウジュースを飲みたくなる。
***
ゴーストタウンにおいて、男はボウガンの矢を足にくらう。この傷が原因で、男は少年を残して死ぬ。子供にむかって、おまえはよき人間だ、なぜなら火を運んでいるからだ、おまえはいつも火を運んでいた、と言い残す。
子供は父親を産めたあと、パーカのフードをかぶり、ショットガンをもった若い男と遭遇する。若者は少年を説得し、自分たちの仲間に加わらせる。そこには女や、同年代の子供たちがいた。
父子はよい人間を探していた、とくに子供はよい人間がいると強く信じていたようだが、この本のような世紀末的世界では、そもそも他人を信用するのが難しい。道で遭遇し、お互いが武器をもっている状態では、油断をすれば殺されたり食用に供せられてしまう。父は少年よりもずっと疑い深いが、それでも、安住の地か、よい人びとの集まりかを求めて、南にむかう。
"Blood Meridian"にくらべて文章は単純で、風景描写も簡潔である。少し叙情的すぎるきらいもある。核戦争後のような、典型的な世界設定ではなく、父子の旅の様子がこの本の核である。廃墟と、不信のなかでも、人間たちはおどろくほど必死にやりくりして生き延びようとする。
The Road. (Vintage) (Vintage International)
- 作者: Cormac McCarthy
- 出版社/メーカー: Vintage
- 発売日: 2007/05/29
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