うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『中世の秋』ホイジンガ

 文化史家の有名な本とのこと。中世の様子を列挙していく。

 十四、五世紀の生活の諸形態、中世の終焉を、フランスとネーデルラントを中心に書き出していく。

 

 栄華はいまよりも鮮烈で、貧困と寒さ、闇もまた果てしなかった。中世人の人生において幸と不幸ははっきりしていた。王が出征のときには国民は毎日祭列をつくる。
落冠の王、王妃が頻繁にあらわれたので、かつては王族だったと偽って金をせしめる乞食やジプシーもいた。

 官僚化・文書化されていない王国は、君主の情熱に振り回される。

 中世の精神を彩るのはヴェンデッタである。これはイタリア語で復讐・宿怨の慣習をあらわす。封建社会における闘争のほとんどはこの復讐と党派意識で説明することができる。民衆にとって王のイメージとは復讐者であり、王に誠実と仲間意識を感じて加担した。ここにはまだ国家という概念はなかった。

 不具と貧者はむごたらしい扱いを受ける一方、慈悲をめぐんでもらえることもある。処刑見物に象徴される中世人の心性とは、無邪気さで彩られた残酷さ、遅鈍さであるといえよう。

 芸術と記録をみれば暗黒時代だが、中世とは極端な喜びと悲惨の時代なのである。ルシフェルを破滅に導いた傲慢の罪は、十三世紀には貪欲・財欲に大罪の地位を奪われてしまった。

 ――貪欲は、傲慢の属性である象徴性、対神性を欠いている。それは自然の物質に根ざす罪、真に地上の情熱なのだ。貨幣流通が権力増大のための諸条件を書きかえ、権力を解き放った時代の罪なのだ。

 書かれるのはいつも不幸の歴史なので、時代によって幸福の総量に変わりはない、とホイジンガは言う。それでも、中世末葉、フランス―ブルゴーニュ世界の基底音はきびしいメランコリーだった。

 時代の流行はいつでも憂鬱症である。メランコリーの語義は「悲しみ、まじめな省察、空想」の三つを含んでおり、「なにか、こう、精神のまじめな活動は、ことごとく、陰欝さにすべりこんでいかざるをえなかったようなのだ」。

 浮世への姿勢には三つある。隠者と、社会改良家と、貴族精神。社会改良家は十八世紀にもっとも勢力を拡大させる。

 貴族精神は宮廷の歴史を貫いていた。これは生活そのものを芸術化、理想化することである。楽しみは聖なる主題がなければ罪とされた。

「徳という衣裳を身にまとって、はじめて、美は文化となりえたのである」。

 読書、音楽、美術も、それが神を讃えるかぎりにおいて許された。こうした息苦しい高級・低級の枠をとりはらったのがルネサンスである。

 袋小路に入った生活の美化は、儀式と典礼による厚塗りとなる。

 ――合目的性がみごとな作法に席をゆずった、もっと完璧な例は、一四一八年にパリの夜警隊長であったゴーチェ・ララール卿の場合である。この警察の親分は、楽しげにらっぱを吹き鳴らす三、四人の楽士を先に立ててでなければ、巡回に出ようとしなかったのだ。パリの一市民によれば、街の人たちは、こう、うわさしたという、まるで悪漢どもに知らせているようなものではないか、逃げろ、おれが来たぞ、と。

 礼儀争いもいまは小市民のものだがかつては宮廷において展開されていた。ミニョン/ミニョンヌという師弟関係。喪は宗教と結びついて高い文化価値をもった。

 中世における身分とは単に三身分にかぎらない。身分とはすなわち状態(order)であり、職業、職掌ごとに細かくグループ分けがされていた。これは天国の天軍九隊と照応する。身分は「神による配置を表現している」とされた。

 十四世紀末、ワット・タイラーの乱のときに活動した司祭ジョン・ボール曰く「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、どこに領主(gentleman)がいたか」。

 騎士道が重んじたのは死後の平等である。騎士道・学問・信仰の三柱。

 ――およそ終末の時代には、上流階層の文化生活は、ほとんどまんべんなく遊びと化してしまう。

 騎士たちの馬上槍試合(トーナメント)では頻繁に姦通がおこった。剣の授与は成人の儀である。騎士団は若者の組に相当する。教会は騎士に、とくにトーナメントにたいして否定的だったが、彼らは騎士道に異教の源をみたのだった。

 騎士団は星の数ほどあり――仏王ジャン二世は「星の騎士団」をもっていた――騎士団が修道会と同様、レリジョンと呼ばれていた。

 ――騎士誓約、これはまさしく「遺風」なのであって、これに類するものは、すでに古代インドの「ヴラタム」、イスラエルの「ナジルびと」、さらに、より近い時代に直接の脈絡をさぐれば、伝説(サガ)の時代のノルマンの慣習にみられたのである。

 中世においては、騎士道が普通考えられている以上に大きな影響力をもっていた。国家主義なしに近代社会を研究することができないのと同様である。

 騎士道の観念はやがて戦争の利害に道をゆずることになる。十五世紀末葉、東方から伝来した大太鼓は、「戦争の機械化をうながした要因のひとつなのである」。騎士の時代から近代式軍隊の時代へ。

 遊びと虚飾の騎士道は否定されていく。貴族の形式はジェントルマンに変化する。

 『ばら物語』と愛の様式化について。野蛮で衝動的な中世人は騎士道や愛を徹底的に様式化し、感情を抑制する必要があった。色の象徴、比喩のあそび。

 むなしい貴族生活・騎士道理想の反動として、羊飼いの生活・田園詩(パストラル)がもてはやされた。これは自然な営み、純朴、素朴な生を夢見ることだった。

 ――ひとたび、宮廷人の理想としてうけいれられるや、この、いわば羊飼い道は、騎士道と並び、宮廷人の仮装遊びのもうひとつの仮面となった。

 羊飼いと羊との関係は君侯と民との関係につながっている。イスラエルの君主は羊飼いだった。

 死をおそれ、俗世を蔑視する思想、美の衰えを嘆くことば、これらはいずれも唯物主義に基づいている。死の舞踏、死神、腐敗する人体はたびたび詩の題材となった。

 中世は思想すべてを画像にしようと試みた。強い宗教は生活全体を支配するが、同時に生活によって形を変えられてしまう。十五世紀には、キリスト教は土着の信仰と迷信の混じった、典礼、儀式、祝詞の一大倉庫になっていた。彼らのかかげる崇高は、ホイジンガによれば、いまでは滑稽と紙一重のところがある。

 ――生活の全体が、宗教に浸されていたのである。だから、うっかりすると、聖と俗との境界のみうしなわれる危険があったのだ。

 「一二三一年に死んだハンガリーの聖エリザベートの遺骸が、埋葬のため安置されていたときのこと、一群の信者がやってきて、かの女の顔をつつんでいた布の切れ端を、切りとったり、ひきちぎったりしたばかりか、髪の毛は切る、爪は切りとる、はては、耳たぶのはしや乳首までもむしりとっていったという」。

 無知な民衆にとって、聖人は神への媒介だった。聖人は続々と増え、巡礼団のなかには聖ヨハネさんや聖ロッホさんが同行していた。地に降りすぎてやがて崇高さを失い、守護天使信仰にとってかわられる。

 宗教改革は聖人を否定したが、魔女と悪魔の迷信にはまだとらわれていた。聖者と神秘主義は時代を超えて残った。はで好みの敬虔。大著を残した聖人ドニ・ル・シャルトルー、「ドニを読むものはすべてを読む」。

 信仰は多様化した。ネーデルラントからは抑制をよしとする「新しき信仰」派がおこった。あらゆるものは象徴とされた。

 ――かくして、ここに、偉大にして高貴なる世界像が生まれた。世界はひとつの大きなシンボルの脈絡である。数知れぬ理念を素材に組みたてた大聖堂である。世界は、リズムゆたかに、メロディーを重ねて、永遠のハーモニーをかなでる。

 象徴主義ホイジンガによれば原始的な思考である。

 「なにかしら似ているなという連想が、ただちに、本質的、神秘的な関連という観念に転化」してしまう。中世神学も、プラトン哲学も、この原始が根底にある。名づけられるものはすべて存在し、存在するということはすなわち、天につながっている、天のしるし(意味)のひとつである。

 実念論象徴主義、擬人観、これが中世の思考法である。心理学で簡単に片付けるのはもったいない、敬意をもてとホイジンガは言う。因果論が自然科学思考である。あまりに象徴主義は盛んになり、あらゆる道徳が擬人化され、劇を演じるようになった。

 なぜ中世人が残虐にたいして鈍感なのか。普段から恐怖をあおる地獄の説教をきかされていたからである。その分徳行も滑稽なほど完璧でなければならなかった。

 「人間の言葉は、恐怖のヴィジョンほどに鋭いヴィジョンを、幸福については作りだすことができないのである。醜いもの、悲惨なものを、これでもかこれでもかとみせつけようには、ただ、人間存在の洞穴の深みへとおりていけば、それで足りた」。

 無限の観念を有限のことばであらわすことに反対してきたのが、脈々とつづく神秘主義である。キリスト教ではエックハルトやシレジウスがこれにあたる。

 ――神は純粋の無であって、時空をこえている、神をとらえようとすればするほど、神は離れてゆく。

 神秘主義はドイツで花開きやがてネーデルラントにいたると道徳主義(モラリズム)、敬虔主義(ピエティズム)、実利主義を生んだ。

 諺、標語(スローガン)、標章、紋章。「かれらは、このまちがった判断というものを欠いては、一瞬たりとも生きることができなかったのだ」。いい加減、無批判、大げさ。

 魔女狩りの流行がその典型的な例である。「アラスのヴォードリー」事件、ヴォードリーとは異端という意味で、ワルド派が語源である。

 文学と歴史から見た中世は薄暗いが、造形芸術、絵画芸術からみると輝いている。

 「歴史を受容する感覚器官が、ますます視覚性を強める傾向をみせているのだ……過去をみるといえば、まず、その対象は造形美術であり、造形美術は、けっして嘆かないからである」。

 職人と芸術家のあいだに線はなかった。後期フランボワイアン・ゴシックと、オルガン演奏は似ている。空間=空白を恐れて、線と面が際限なく書きこまれていく。美と華飾が同一視される。過剰装飾。生活は世俗と、信仰とに分かれていたが、両者は互いに交流していた。

 芸術の美、美学はまだ認識されていなかった。教会芸術や音楽に接したときの感動は、ただちに生のよろこびや、神の恩寵におきかえられていた。もともと、絵画芸術や音楽をことばであらわすとあいまいになってしまうものだ。

 人目をひく色が好まれた。青と黄、赤と白、「白地は、七歳までの子供にふさわしい。これは、白痴にも向いている」。カラフルな時代だったようだ。

 中世とルネサンスの境界について。ファン・アイクはじめとする中世美術が、いまなお人をひきつけているのにたいし、なぜ同時代の文学は色あせてしまったのか。これは美術と文学という形態の違いによる。

 ――凡庸な画家でも、後代の人を楽しませることはできる。だが、凡庸な詩人は、忘却のかなたに消えてしまう。

 中世絵画とつながるのはむしろ散文である。どちらにも細密描写への執着がかいま見られる。アレゴリー、擬人化、諧謔

 「先生、「法律」のぐあいは? さよう、かなり悪い…… 「理性」はいかがで? 分別を失ってますな、話す言葉もよわよわしい、「正義」もすっかり狂っておる……」。

 中世のあいだ、ルネサンスの萌芽は着実に成長していた。

 ――新しい形式と新しい精神とは、たがいにしっくりと重なりあってはいない。きたるべき時代の思想が、中世ふうの衣裳をまとわされているかと思えば、中世の思想がサッフォーの韻律に託され、神話の世界のめんめんをひきつれていたりする。古典主義と近代の精神とは、それぞれ、まったくちがうものなのだ。

 ルネサンス当初の散文はむしろ俗語を無理やりラテン語化した、こっけいでけばけばしいしろものだった。明晰な文はその後に出現する。

中世の秋 (上巻) (中公文庫)

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中世の秋 (下巻) (中公文庫)

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