うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

豚あるいは豚

 ◆豚の歴史

 とある本を読んでいて、戦後のある時期、文部省を主導していたのが歴史学者平泉澄の門下生、という記載があった。

 平泉澄は戦前に力を持っていた皇国史観歴史学者で、日本会議前身団体の立ち上げにも関わっている。

 

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中村が東京帝国大学時代、卒業論文の指導を受けに平泉澄助教授を訪ねた。その時のことを、後年、中村自身が「私は百姓の歴史をやるといったら、えらく怒られもしないけれど、蔑視されちゃった。百姓に歴史はありますかというわけだ。何ですかと詳しく聞こうとしたら、豚に歴史はありますかとたたみかけられて、それで次ということになった」[12]と語った。この逸話は、後に『歴史手帖[13]などでも繰返し述べられ、広く知られるようになった。(中村吉治 - Wikipedia

 

 ◆パワーワード

 『モレルの発明』で有名なアルゼンチンの作家ビオイ=カサレスの著作に『豚の戦記』というものがある。

 本のテーマも、若者が老人を殺して回るというものである。

 

『モレルの発明』は、高校生の頃に図書館で借りて読んだが、Amazonではとんでもなく価格が高騰している。

 

 

 

 

 ◆沖縄と日本軍

 

 

 『沖縄と日本軍』は40年前の本だが、1972年、沖縄返還時に話題になった久米島事件について書かれたものである。

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 事件の概要は、久米島上陸した米軍に見つからないよう山に身を潜め、集団ヒステリー状態のようになった海軍守備隊が、スパイ疑惑の下に、幼児から老人まで地元住民20名を殺害したというものである。

 殺害の一部は、戦争が終わった8月20日以後に行われた。

 

 当時は週刊誌やワイドショー、国会でも大きくとりあげられ、首謀者である海軍守備隊長の下士官 鹿島氏はテレビにも出演している。

 テレビでの被害者遺族とのインタビューでは、スパイと疑った一家を、乳幼児も含めて銃剣で刺し殺したことについて、当時は総動員・総力戦でありそのような時代だった、軍人精神に則ったもので後悔していない、正しいことをしたと回答している。

 

……ええーっと、わしの見解はね、当時スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、アメリカ軍にやられるより先に、島民にやられてしまうということだったんだ。


少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人道的に悪いとかいわれても、それは時代のながれとして仕方がない。

 

 

 ◆ゴットフリート・ベンの豚

 ナチス・ドイツから敵視されドイツ国防軍に庇護されていた詩人ベンは、ナチスによる統治を以下のように表現する。

 

の飼料とか製粉に携わっているなら文句のつけようもない人物たちがしゃしゃり出て、人間を理想的なものと説明し、歌合戦や賛歌を書き上げ、国民大衆の中に身を乗り出す

 

戦争五年目の軍隊は、二つの階級、つまり中尉と元帥によって担われていて、その他はすべてディテールにすぎない。中尉たちはヒトラー少年団の出身であって、書物や行為から思想的道徳的人生内容を組織的に焼却して、その代わりゴート族の首長とか短刀とか――そして行軍演習のときには夜営用に乾草の山がいるなどという教育を受けてきていた。

 

一つの疑問にたえずつきまとわれていないものがいただろうか、一つの疑問、つまり、ドイツが今のいわゆる政府なるものに確固として従うということ、ここ十年来同じ歓声をはり上げる聴衆を前にして、同じホールで、同じお喋りを定期的に繰り返している半ダースのわめき立てる連中、自分たちだけがそれ以前の何百年よりも、また他の世界の理性よりも、はるかにものが分かっていると、信じ込んでいるこの六人の道化師に、つねに従って行くなんてこと、こんなことがどうしてこれまで可能であったか、どうして今もなお可能なのか、という疑問である

 

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