プログラミング言語やハッカー(優れた開発者)に関する話題だけでなく、現代の子供社会、芸術一般に関する話もおもしろい。
経済システムに関する著者の考えは、いわゆる「リバタリアン」に分類されるものである。
◆子供の学校
日本よりも過酷とされる、アメリカの学校いじめや階級制度について。
問題は、子供が自分たちで作る世界は最初はとても残酷な世界だということだ。11歳の子供たちを好きにさせておいたら、そこにできるのは『蠅の王』の世界だろう。他の多くの米国人の子供と同じように、私もこの本を学校で読まされた。もしかするとこれは偶然じゃなかったんじゃないか。私たちは野蛮人で、自ら残酷で愚かな世界を作り出したんだと誰かが知らせたかったんじゃないか。
この本は私には難しすぎた。確かにありそうな話だとは思ったが、それ以上のメッセージを得ることはできなかった。僕らは野蛮人で、僕らの作った世界は馬鹿げている、そう誰かがはっきりと教えてくれたらよかったのに。
問題はアメリカの子供たちが何もすることがなく、自分たちで閉じた蠅の王の世界を作れる環境にある。
近代以前の子供は、何かの仕事の見習いであり、子供たちの世界を勝手に作ることは許されなかった。
現代アメリカの学校は、労働能力のない未熟な人間を閉じ込めて管理しておく刑務所となっている。
学校生活の2つの恐怖、残酷さと退屈さは同じ根源から生まれていた。
◆アメリカ人とハッカー
ハッカーは大抵、不服従で天邪鬼である。かれらが知的財産保護に反対するのは、それが知的自由に対する脅威になりえるからである。
コンピュータの発展は、ほとんど部外者が担ってきた。
正当なルール破りやジョーク、自由の擁護という点で、ハッカーは誰よりもアメリカ的である。一方、愛国心ある政治家の言葉は、トマス・ジェファソンやワシントンよりはリシュリューやマザランを想起させる。
ジェファーソンは次のように書いた。
政府への反抗の精神は、ある種の状況では非常に価値のあるものだ。だから私は、そのような精神が常に保たれることを望む。
◆格差について
富は分配されるものでなく、創らなければならないものである。
原則として、富の格差は技能の格差に基づくというのが資本主義・民主主義である。
誰かの仕事がどのくらい価値があるのかは、政府の方針の問題ではない。それはすでに市場が決めていることだ。
アップル社は、スティーブ・ジョブズのかわりに、適当に選んだ100人をCEOとして迎えようとおもうだろうか。
近代以前、富を増やす方法は、征服、強奪、支配、奴隷、結婚などだった。
工業化以前や第三世界では、汚職や収奪、支配が富を得る手段だった。
現代社会では(理想的な環境に限っての話だが)そうではない。
ジョブズやウォズニアック(Appleの創業者)が裕福になったことで、だれかが貧しくなったわけではない。むしろかれらの開発したコンピュータは人びとの生活を向上させた。
技術の進歩に伴う格差の拡大は、一方で人びとの生活を平等化していく。だから、差別化のためにブランドがもてはやされる。
収入格差がまったく開かない社会は、おそらく不健全な社会である。
ジョブズがソフトを開発しても、レストランのアルバイトと同じ給料しか受け取らない社会である。
◆創作活動とは
特定のユーザーを想定すること。常にユーザーを考えること。
ジェーン・オースティンの小説がよい理由の1つは、彼女が作品をまず家族に読んで聞かせたからだ。だから彼女は自己満足的な芸術ぶった風景の描写や、もったいぶった哲学的考察に堕ちることが決してなかった。
そこらにある「文学」小説を開いて、自分の書いたものにふりをして友人に読み聞かせるところを想像してみたまえ。きっとそれがどれだけ読み手の負担になることか感じられるだろう。
芸術もソフトウェアも、とにかく荒いプロトタイプのスピード生産改良によってつくられていく。
もし何かを描いてきて飽きてきたら、画も退屈なものになるだろうと。