◆所感
法学者による緊急事態条項の説明。
各地のアメリカ人がよく好む対比は「民主主義VS暴政(Democracy VS Tyranny)」だった。
共産主義や社会主義を敵視しながら、同じような政治体制になっていくのは残念なことである。
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1 緊急事態条項は「ナチスの手口」
麻生発言を材料として、ナチスの政権奪取過程を説明する。
ヒトラーの首相就任前でもナチ党の議席数は4割弱だったが、いかにして独裁権力を手に入れたかには、緊急事態条項の存在が深くかかわっている。
ワイマール憲法体制を「半大統領制」という……間接民主制と直接民主制の均衡を図るもの。
大統領は首相・閣僚任免権、国会解散権、緊急措置権を持っており、1929年以降、緊急措置権に基づく大統領緊急令の乱用がおこった。
「大統領内閣」は、大統領の権限に支えられた内閣で、議会の機能停止を加速させた。
ドイツの公法学者カール・シュミットは、大統領緊急令を単なる緊急措置ではなく法律に代わるものと位置づけた。かれは多元的な議会政治を拒否し、統治者・被統治者の一体化した、真の民主主義たるファシズムと共産主義の到来を唱えた。
パーペンの新憲法は、シュミットの「主権独裁」にあたる。これは独裁官による臨時統治たる「委任独裁」と異なり、独裁者が憲法制定権力となり、政治を行っていくというものである。
ワイマール体制では、大統領を国民の意志の体現と考えることで、緊急事態条項から「主権独裁」が生じたと考えられる。
1933年、ヒンデンブルク、パーペンは、共産党阻止・財界要望・再軍備の3つを考慮し、ヒトラーを一時的に首相に担ぎ上げた。
――……ルイ・ナポレオンとヒトラーについて、二人とも知的水準が高いとは言えない扇動政治家で、だからこそ、こいつなら我々でもコントロールできると思い込んだ政治家や官僚が支えた側面があると指摘しています。でも、結局のところはコントロールできなかった。理屈の通用しない人間が相手では、エリートがコントロールしようとしても限界があります。
ヒトラー政権は、大統領緊急令(国会議事堂令)、SAとSSの利用、ゲーリンクによるプロイセン警察掌握などで反対派を排除していった。
「合法的な政権掌握」、「合法革命」は当時のナチ党の宣伝文句である。
当時のヒトラー政権が合法的だったのか、無法国家だったのかは議論がある。ただし、伝統的にドイツ人は、ナチ国家が合法なので服従せざるをえなかった、と弁解してきた。
1933年3月の授権法制定の際には、共産党員全員を拘束ししかも出席扱いにすることで、三分の二の議会の賛成を手に入れた。
授権法は行政府に憲法の制定を認める点で、憲法改正手続き、そして政府による憲法制定権力の取得に他ならない。
シュミットはナチに取り入る前、憲法改正でも変えられない一定の価値があると書いていた。この意識は現在でも受け継がれ、憲法に反する政党や結社はボン基本法で禁じられている。
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2 なぜドイツ国民は
世界恐慌の影響を受けて、ドイツには共産主義とナチズムが浸透した。議会の過半数を、反議会主義の二党が占めることになった。
政治は過激化・激情化し、路上での暴力が日常茶飯事となった。
ナチ党のドイツ民族主義、排外主義勃興の背景には、第一次大戦後流入した「東方ユダヤ人」(Ostjuden)の問題があった。
若者、中間層、「保守革命」にひかれた知識人たちなど、ナチズムを支えた人びとについて。
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3 いかに戦後ドイツは
1949年、西ドイツが再独立したが、実質は半独立状態にあった……外務省がない、西側3国が緊急事態を発令できる、西側3国による検閲が可能等。
緊急事態法の整備は、1968年、ドイツの独立達成を推進する人びとによって行われた。
特徴……
・「事態」認定は連邦議会または緊急議会が行う
・国民の基本権を恣意的に停止・制限することができない
・災害事態に対しては連邦と州が連携する(基本権停止は言及されない)
緊急事態条項に対する抑制手段として、さらに次のようなものがある。
憲法改正手続きを示す条に、変えてはいけない条が記されている(永久条項)。
抵抗権……
――すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する。
「戦う民主主義」は、憲法理念や議会政治といった普遍的価値を攻撃する者に対し基本権の制限を行う。
ドイツの基本法は規律密度が高い、つまり細かいことまで定めてあるため、そうした部分の改正は行いやすい。
一方、日本国憲法は規律密度が低く、硬性度が高い。しかし、あいまいな箇所や定められていない箇所は法律で対応する余地がある。
自民党改正案は、憲法の根本価値から変えようとするものである。
容易に緊急事態を定めて権力に対処させることは、公権力が法令をこえて好きなように振舞う危険性につながる(フランスの例)。
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4 日本の緊急事態条項は
米独仏の緊急事態条項を参考に、自民党改正案を検証する。
2015年パリ連続テロ事件の際の「非常事態宣言」は12日以内に限定し、一定の区画内で内務大臣または県知事の権限を強化するというもので、緊急事態条項とは似て非なるものである。
フランス:大統領の権限は非常に強力だが発動条件が厳格、適用はアルジェリアの将軍反乱のみ。また、フランスは戒厳令を持っているが現代では実行可能性は低い。戒厳令とは本来、包囲下の都市で軍司令官が全権を握る一時的な状態を指した。
アメリカ:人身保護令状の特権が、非常時のみ停止されうる。非常時、大統領は一院を招集することができる。英米法には、大陸的な緊急事態条項は存在しない。
アメリカでは非常時あっても、大統領は司法のチェックを受ける必要がある。
続いて自民党草案を検討する。
・発動条件があいまいで、総理大臣が決められる。
・非常時権限に制限がなく、「主権独裁」を招く。
・期間の延長は与党によっていくらでも延長できる。
・基本的人権を「最大限に尊重」とあるので、制限できる。永久条項に相当する不変の価値がない。
反論……
・1942年4月にも衆院総選挙をおこなっている。
・第五十四条第一項の解散規定は、政府の解散権濫用を規制するものであって、非常時は逸脱しても憲法違反でない「訓示規定」である。
緊急事態条項を設置する場合……
・司法・裁判所のコントロールを設ける
・「統治行為論」(政治的問題についての判断は政府に従う)を克服する→憲法に「統治行為論の否定」を盛り込む、裁判所の人事権限を内閣から議会に移す(ドイツでは最高裁判官の任命は衆参両院の三分の二を必要とする)。
――大地震になったら、あるいは外国が攻めてきたら、国会の議論など待たずに首相が次々と政令を発して対処できなければ困るでしょう、というわけですが、では具体的にどんな脅威が迫っているのか。よしんば脅威が迫っているにしても、そうわかっているのなら、なぜそれに対処する法律をあらかじめつくっておくことをしないのか。
自民党草案からは、西洋的な天賦人権説を撤廃し、固有の文化、民族、単一の道徳と生き方を国民に強制したいという意図が透けて見える。
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5 「過去の克服」
西ドイツの歴史において、過去の克服……歴史の保持、補償がいかになされてきたか。
アデナウアー時代は、アウシュヴィッツについてはまったく教育されず、話題に上ることもなかった。このため、再び反ユダヤ主義が勃興した。
しかし、1961年のアイヒマン裁判や、戦犯に甘いドイツの裁判所に対する批判をきっかけに、若い法曹や学生たちが反対運動を始めた。
1963年、ヘッセン州でアウシュヴィッツ裁判が行われたことで、若者たちは絶滅収容所の事実を知ることになった。
有名な演説の一節……
――……なぜなら、過去に何があったかを思い起こせない人は、今日何が起きているかを認識できないし、明日何が起きるかを見通すこともできないからです。
1979年のテレビ映画「ホロコースト」の影響。
1985年、キリスト教民主・社会同盟コール首相が、レーガン大統領とともに、武装SSの墓がある墓地で式典を強行した。これを受けて、ヴァイツゼッカー大統領が「荒れ野の四十年」の演説を行った。
――……しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ドイツ統一のためには英仏などの支持が不可欠であり、それは過去に対する認識とつながっていた。
――……自国の過去に向き合うことは同時に、自分たちがどのような憲法原理を選び取ってきたのか、選び取りたいのかという意識をも喚起してきたはずです。
ヴァイツゼッカーは、罪と責任を分けるという考え方を示した。
――この人たち(若者)は自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません。……しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
都合の悪い歴史と向き合い、これを教訓として、憲法の理念を理解することは、重要であるが「人間の自然の本性には反したプロセス」である。
よって、意識的に理解や教育を進める仕組みや運動が必要となる。
安全保障とは生命・財産を守るだけでなく、憲法理念も守ることが含まれる。
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