1947年に発見された死海文書についての研究成果や概要を細かく記載した本。発見の経緯や、文書の内容、クムラン共同体の説明など、非常に具体的に書かれている。
一部の記述はあまりに細かいため聖書に関する知識が必要になるので、わたしは流し読みした。
訳者の秦剛平は『ユダヤ古代誌』の翻訳など、古代文献研究で有名だという。
死海文書は現在も研究が進んでいるようで、最近もいくつかニュースになっている。
***
1 諸発見
A はじめに
戦後まもなく、イスラエル・死海の北西岸クムランの12の洞窟において写本が発見された。イスラエルでこうした文書が見つかるのは9世紀以来のことだった。
壺に収納された巻物とともに、居住区の跡も発見された。
B クムランで発見された巻物
1947年、2人のベドウィンが洞窟と写本を発見し、ヘブライ大学教授の手に渡り、最終的にイスラエル博物館が入手した。
1949年以降、国連委任統治中のベルギー軍大佐や、ベドウィンらが周辺洞窟の発掘をおこない写本断片を発見した。最終的に約800の写本が発掘された。
考古学的な分析によりクムランは紀元前数世紀から紀元後1世紀にかけての共同体居住区であり、写本もその時代に書かれた、また一部は持ち込まれたものであることがわかった。
年代の特定には書体学(写字生が扱うテクストの文字の書き方についての研究)による分析、加速器質量分析(AMS)、テクストの内容(王名など)からの推測などを用いた。
***
2 写本概観
A 聖書関係のテクスト
この時代には、どの文献が聖書かという権威ある定説がなかったため、モーセ五書、歴史的・預言者的文書、詩篇を便宜的に聖書と呼ぶ。
聖書関係のテクストは約200本が発見された。数の多いのは詩篇、申命記、イザヤ書である。主に礼拝用、クムラングループの根拠、メシア的指導者についての予告として使われたようだ。
紀元前、ヘブル語を話す者がほぼいなくなったため、聖書がヘブル語で朗読されると、すぐに口頭でアラム語に翻訳された。
アラム語のタルグム(翻訳)文書がクムランから出土した。
テフィリンとメズゾートは聖書の文言を記した装飾品や家の装飾である。
B 外典と偽典のテクスト
外典(アポクリファ)……カトリックにあってプロテスタントにない文書はセプチュアギント(旧約のギリシア語訳)に由来する。
発見されたのはトビト記、シラ書、エレミヤの手紙(バルク書六章)、詩篇一五一である。
偽典は「紀元前の最期の数世紀および紀元後の最初の一世紀から二世紀に書かれたが、ヘブル語聖書やセプチュアギントの一部とならなかったユダヤ人の宗教的な文書を包括する述語である」。
ふつう権威ある者の名前を借りて書かれる。
エノク(第一エノク書)、ヨベル書、十二族長の遺訓の材料、その他多くの断片的な偽典(新解釈)。
C 他のテクスト
クムラン・グループ独自の見解を表現するテキスト。かれらは聖書解釈を毎日実践していた。
聖書関係文書の註解……逐条解説、テーマ別
法規関係のテクスト……クムラン研究の最重要分野である。代表的なテクストはダマスコ文書(勧告と規則)、宗規要覧(共同体規則、クムラン共同体の基本法)、神殿の巻物、トーラーの著作の一部。
ダマスコ文書の「ダマスコ」がどこをさすかは特定されていない。
礼拝のための文書
終末論的な文書……エノク書の一部分、ヨベル書、ダニエル書など。クムラン共同体の人びとは自分たちが終末に生きていると考えており、その文書の多くは終末に関係する。
「戦いの書」は、光の子と闇の子との四〇年戦争を描く。
――この著者はかなりの紙幅をトランペットや、軍旗、軍隊の編成、戦闘で使用される武器などの記述にさいている。
知恵のテクスト
銅の巻物……未解明の、財宝のありかを示すもの
記録文書的なテクスト……商取引、手紙
***
3 クムラン・グループとは?
クムラン文書の作者についての論争を概観する。
A エッセネ派説
エッセネ派はパリサイ派、サドカイ派とならぶユダヤ教哲学の1つである。死海の西岸に、俗世から離れたエッセネ派の共同体があると大プリニウスが『自然誌』で言及している。
またエッセネ派の信仰と慣習が、死海の巻物の内容とよく一致する。
特徴:
すべては定められているとする予定論的神学
死後肉体は獄舎かつ束縛であり亡びるが、霊魂は不滅とする説
死後の復活を支持している
油を使わず、金を持たない、所有物の共有
浄めの食事
日曜日は労働厳禁であり、歩行制限があり、トイレにもいかない(土に埋める)
――戦いの日に(尻の)穴が汚れている者は、かれらとともに戦いに赴いてはならない。聖なる天使たちがかれらの軍勢と一緒にいるからである。その中間に厠が置かれる。
唾を吐くことの禁止
B エッセネ派説の問題
いくつかの学者からの反論が存在するが、大方は反論可能なものである。
「エッセネ派」の語源は不明であり、死海文書にも「エッセネ」の語は一語も見当たらない。
C 他の説
サドカイ派説、エルサレム起源説(第1次ユダヤ叛乱時にエルサレムから巻物を避難させた)
[つづく]