うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Inside the Gas Chambers』Shlomo Venezia その1 ――ガス室運営に従事したアウシュヴィッツ体験者の回想録

 アウシュヴィッツ=ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)に連行され、収容所内でゾンダーコマンド(Sonderkommando)として勤務し、生き延びた人物の貴重な証言。


 ギリシア・サロニカのユダヤ人市街で生まれ、イタリア、次いでドイツに占領されるまで、貧しいが平穏に暮らしてきた著者ら一族は、ドイツ人の驚くべき抹殺計画に巻き込まれた。

 サロニカは現在テッサロニキと呼ばれている歴史の古い都市国家であり、大規模なユダヤ人街がかつて存在した。

 1943年時点で居住していたユダヤ人5万人のうち、96パーセントは追放あるいは殺害された。

ja.wikipedia.org

 

 

 当時の価値観に照らしても、先進的で科学技術に秀でたドイツ人がこのような政策を実行するというのは予想できなかったという。

 多くのユダヤ人が、自分たちの運命を察知できず、逃げるタイミングを逸して殺戮された。

 

 本書は、数年前に話題になった映画、『サウルの息子』のネタ元の1つでもある。

サウルの息子(字幕版)

サウルの息子(字幕版)

  • 発売日: 2016/08/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

  ***

 1

 著者の先祖は、15世紀末にスペインから追放されイタリアに移住したユダヤ人である。

 そのため名字はヴェネツィアであり、イタリア市民権も保有していた。

 

 著者は1923年、ユダヤ人の漂着の地であり「バルカンのエルサレム」ともいわれる、ギリシアのサロニカ(Salonica)(現在のテッサロニキThessaloniki)で生まれた。6万人のユダヤ人がおり、そのほとんどは非常に貧しかった。かれらはスペイン系のラディノ語(Ladino)を話した。

 父はイタリア市民として第1次大戦に従軍し、またイタリア市民の特権として領事館から様々な便宜……食糧やイタリア人学校への通学を受け取った。

 イタリアのファシスト運動について、細かいことはわからないが誇りに思っていたという。

 

 ドイツの戦争も詳しいことはまったく伝わってこなかった。ドイツ人は精確・几帳面で、ドイツ製品は優秀だというイメージがあった。サロニカのユダヤ人はラジオも持っておらず、外の情報などは入ってこなかった。

 

 ユダヤ人とギリシア人の間にほとんど対立はなかったという。

 

 イタリアがアルバニアに侵攻した後、ギリシアに侵入した。しかし苦戦したため、北からドイツがやってきて占領した。

 

 著者は学校をあきらめ、兵隊と物々交換したり、配給物資を盗んだりすることで生活した。ユダヤ人たちはその日の食事を確保することで精いっぱいだった。

 ドイツ人は著者の故郷であるユダヤ人街を包囲・閉鎖し、そこから収容所への移送を行った。ドイツ人はユダヤ人に対し、仕事と配給が得られると宣伝したため、だれも疑わなかった。

 

 イタリア領事館の職員は、イタリア系ユダヤ人を救出するためにドイツ当局に逆らって市民をアテネに輸送した――イタリアはユダヤ人政策を明白に拒絶していた。

 しかし、1943年にイタリアが降伏すると、事態は一変した。

 かれはアテネにおいてSSの包囲に巻き込まれ、移送された。

 

 

 2

 アウシュヴィッツ=ビルケナウの様子を説明する。

 かれらは列車から降りた段階で選別され、何もせず待機するグループに組み入れられた。

 自身を含めて、ほとんどの新参者や、移送されてきたばかりの者は、収容所が何をするところなのか理解できなかった。ベテランから、みな火葬されるだろうと説明されても、信じられなかった。

 囚人たちを管理するブロック長(Blockaltester)のほとんどは非ユダヤ人だった。主にドイツ人犯罪者などを採用していた。囚人に対して凶暴に振舞わないと自分自身が粛清されるため、ユダヤ人たちから恐れられていた。

 ブロック長には小姓がおり、身の回りの世話や性欲処理に従事していた。

 

 

 3

 火葬場での作業に従事するゾンダーコマンドに任命されてからの体験。

 ゾンダーコマンド以外の者は、火葬場に立ち入ることができなかった。鉄条網と遮閉板で隔離されているからである。

 

 バンカー(Bunker)と呼ばれる場所には屍体が積み上げられており、かれらはそれを溝に落として焼いた。

 火葬場(Crematorium)では、移送者の服を脱がせ、ガス室に誘導し、殺害した後屍体を火葬場に引きずり、投げ込んでいく作業に従事した。

 人びとはシャワーを浴びるのだと信じていた。先に弱者がガス室に入れられ、その後健康な男を詰め込み、後ろから殴打することで無理やり押し込んだ。

 その時点で押し合いへし合いが始まり、窒息死や圧死が生じた。

 ガスを天井の穴から投下した後、10分強、うめき声や絶叫が響いた。

 人びとは絶望的に空気を求めるため、屍体は何層にも折り重なり、下層の者は圧死していた。

 表面は人によってさまざまで、眼球が飛び出しているもの、体中から血を噴き出しているもの、蒼白になっているものと様々だった。かれらは身体の中身をすべて排出していた。

 20分換気の後、ゾンダーコマンドたちは屍体運搬と清掃を行った。

 屍体をスムーズに炉に運ぶためには水気が必要だったが、ガス室はあらゆる水分……血、吐しゃ物、糞尿、で濡れていた。

 骨の一部は残るため、地中に埋める必要があった。

 

 ゾンダーコマンドとして働いたユダヤ人は数か月で処刑され、人員の入れ替えが行われた。

 

 珍しいオランダ人のSSがおり、かれはドイツ人の前でだけ厳しいふりをしたが、ユダヤ人に対し親切だった。

 話をしたところ、ドイツ人の几帳面さにあこがれて入隊したものの、実情を知った時にはすでに逃げられなくなっていたという。

 火葬場には当直をのぞいてSSはおらず、監督業務はカポがおこなった。

 火葬場は複数あり、4番火葬場や5番火葬場は出来合いの溝にすぎず、トラックから犠牲者が生きたまま燃える溝に投げ込まれるのを見た。

 

 著者は自分のいとこがガス室に押し込まれるのを見送った。

 [つづく]

 

Inside the Gas Chambers: Eight Months in the Sonderkommando of Auschwitz (English Edition)

Inside the Gas Chambers: Eight Months in the Sonderkommando of Auschwitz (English Edition)

  • 作者:Shlomo Venezia
  • 出版社/メーカー: Polity
  • 発売日: 2013/10/21
  • メディア: Kindle